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特集

【インタビュー】『猿』京極夏彦インタビュー【お化け友の会通信 from 怪と幽】

京極夏彦さんが『怪と幽』に連載していた『』が単行本にまとまった。
主人公の夫が怯える猿、かすかに感じる妙な気配、地図にない村、心霊スポット、呪物。
私たちはなぜそれらを恐れるのか。恐怖とは何なのか。
不穏なムードに満ちた長編について、京極さんにうかがった。

取材・文:朝宮運河 写真:ホンゴユウジ

「ダ・ヴィンチ」2026年2月号の「お化け友の会通信 from 怪と幽」より転載

『猿』京極夏彦インタビュー

世の中で怖いとされているものは、本当に怖いのか

 令和のホラーブームが盛り上がるなか、“恐怖”をメインテーマに据えた京極夏彦さんの長編『猿』が刊行された。怪しげな限界集落にまつわる恐怖小説のようで、恐怖の正体に迫るメタホラー小説でもある、という京極さんらしい挑戦的な一冊だ。
「『怪と幽』という雑誌は半分は怪談専門誌なので、本来怖い小説を書くべきなんでしょうが、常々言っているように僕なんかの技量では怪談なんてとても書けないんです。『幽』で連載していた「 」談シリーズも“怖い”と感じてくださる読者はいらして、それはありがたいことなんですが、あれは怪談でもホラーでもないですね。今回もホラーを書いたつもりはないんです。『猿』は読者を怖がらせることに主眼を置いた作品ではありません。昨今は若い人を中心に、恐怖を喚起させることに特化した作品を生み出すための模索が様々なアプローチでなされていて、成功かどうかはともかく実に革新的だし、どれも面白い。確実に成果は出てます。そこに今さら僕なんかが手をつけたとしてもあんまり面白くないでしょう。一方そうした工夫は何もしていないのに、何となく“それっぽい”からホラーのラベルを貼られちゃってるものもある。それ怖いですか? と思ってしまうことも多い。と、いうわけで、いや、そこじゃないでしょう、そこが怖いわけじゃないから、という身も蓋もない小説は書けないかなと。身も蓋もないことを書くのは、デビュー作の頃からの芸風のようなものなので(笑)」
 主人公・松永祐美は、夫の隆顕とふたり暮らし。隆顕は新型コロナ感染とその後遺症によって心身の調子を崩し、仕事を休んでいる。その隆顕が「猿がいる」と言い出したところから物語は始まる。夫婦が暮らす東京のマンションに猿などいるわけはない。しかし祐美も妙な気配を感じ始めた。
「誰だって“怖い”気持ちになるということはあります。ただ怖くなる理由というのは、よく考えてみれば漠然としたものですよ。たとえばその場所で過去に人が死んでいたとして、じゃあなぜ怖いんでしょう。幽霊が出るから? まあほぼ出ませんよね。でも怖い。何も起きていなくても、怖いと思えば怖くなるんです。理屈より感情が先んじてある場合がほとんどです。じゃあ恐怖って何なのか」
 祐美は今、夫を残して旅行に出る準備をしている。音信不通だった曾祖母が、岡山県の山奥の集落で亡くなったという知らせを受けたからだ。曾祖母はその不便な限界集落で、長年ひとりで暮らしていたらしい。相続の手続きをするため、祐美は岡山に向かった。
「どれほど人里離れた山村であっても、国勢調査は入るし、住人には選挙権があるし、税金だって払ってますよね。フィクションに出てくるような“外界から隔絶された村”という舞台ひとつ作り出すのだって、現代では極めて難しいんですよ。もちろん創作なら何でもアリなんだけど、一方で恐怖の担保としてリアルさを用いるスタイルってやたらと多い。なのにそこだけ飛ばしちゃうのは何だかなあ、とは感じてたわけで」
 岡山駅に着いた祐美は、同じく相続権を持つ再従姉の戸田芽衣と6年ぶりに再会。そこで祢山村についての詳しい話を聞かされた。村の人口は高齢者ばかり約80人。周囲との交流はなく、墓地もお寺の過去帳も存在しないという。しかし芽衣によれば、そこはホラーによく出てくる“因習村”などではない。
「田舎は閉鎖的で昔ながらの暮らしをしているから常識が通じないというのは偏見、というか幻想ですよね。村は別に怖い場所ではないですよ。と、いうかタブーや因習なんて都会にもあるし、排他的なのはむしろ都市部で。現代で因習めいたものを一番温存している共同体は家族かもしれない」
 村の土地建物の管理を任されている弁護士の山川と、彼と同じ事務所で働く尾崎と合流し、車で祢山村に向かった祐美たち。人里離れた村への長いドライブは、さまざまな不安や恐怖を喚起する。宿泊先の薄暗いホテル、奇怪な物音、窓に張りついた手形。
「はじめに言ったように、人はこれという理由もなく怖くなるものなんです。今の時代、その恐怖の理由とされる記号があり過ぎですよね。心霊だとか祟りだとかUFOだとか、ヒトコワだとか。自然災害から陰謀まで、選びたい放題ですよ。でもそれ、本当に怖いものなんでしょうか。怖いというのなら、なぜ怖いんでしょう。あまり深く考えずにただ記号に反応しているだけじゃないのかと。しかも、無条件・無批判に、です」
 心霊スポットや事故物件、そして呪物。怪談やホラーでおなじみのモチーフが次々に姿を現すが、それらがまとった不気味なオーラは、尾崎らの発言によって論理的に解消されていく。よくよく考えてみれば、それらは怖いものではない。
「だからといって、そんなものは嘘っぱちだとかないとか、そんなことが言いたいわけじゃないんですね。オカルトは、人が生きていくために生み出した便利な文化です。ただ、それに隠蔽されてしまうものもある。上に張られたラベルだけを見て判断していいのかなとは思います。貴志祐介さんの作品に『さかさ星』という傑作があります。僕は実にフェアな特殊設定ミステリーとして、大変面白く読みました。作中に通俗的なオカルトのモチーフがたくさん出てきますが、あれは怖がらせるためというより、すべて謎を構成する要素として配置され、謎を解くための手掛かりとして巧妙に機能しているんです。でも、ガジェットだけでホラーだと判断されてしまいがちなんですよね。多様な読み方が抑制されてしまう傾向がある」
 さまざまな恐怖を解体した先に、いったい何が残るのか。それとも何も残らないのか。『猿』は小説における恐怖の核を見据えようとしている。これほど真面目に恐怖を扱った小説も、珍しいかもしれない。
「書き手が怖いからといって、どうだ怖いだろうと押しつけてくるような怖がらせ方は有効ではありません。個人差に応じてカスタマイズされた怖さを不特定多数に提供できなければ駄目なんじゃないかと。その方法が掴めれば僕にも怖い話が書けるかもしれないんですが、しかしそれはとても難しいことですよね。『猿』は、怖がらせる記号やラベルを一枚ずつはがしていったら何が残るのだろうという小説でしょうか」
『猿』を特徴づけているのは、その大胆な展開だ。祢山村をめぐる祐美たちの探索は、思わぬ形で結末を迎える。
「起承転結はなくて、起がずっと続いていきなり結、というか。目次もないし章立てもしていないし、構造的には長めの短編ですね。矛盾した言いかたですけど。発想の段階では伏線も回収され、なおかつ怪しいことも起きる、クライマックスに相当するような部分があったんですけど、きれいさっぱりカットしました。答えを出すのはきっと面白くない(笑)」
 怪談やホラーが好きな人にとって、『猿』は間違いなく刺激的な小説だ。自分にとっての“怖いもの”を思い浮かべながら、不穏な物語に浸ってほしい。
「この世に怖いものなんてない、なんてことはありません。不思議なことはなくても怖くはなるんですよ。むしろ何にもなくたって怖いじゃんという。こんな変な小説はたぶん喜ばれないんだと思いますけど、同じスタイルのものはもう二度と書けないでしょうし、どうかご勘弁ください(笑)」

作品紹介



書名:『猿』(KADOKAWA)
著者:京極夏彦

曾祖母が亡くなったとの連絡を受け、岡山県に向かった祐美。曾祖母は100歳になるまで限界集落でひとり暮らしをしていた。再従姉の芽衣、法律事務所の山川と尾崎と待ち合わせ、地図にない村を目指す祐美だったが……。不安と恐怖に満ちた旅路を描く長編。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322408001786/


プロフィール



京極夏彦(きょうごく・なつひこ)
1963年、北海道生まれ。94年『姑獲鳥の夏』でデビュー。『魍魎の匣』で日本推理作家協会賞、『嗤う伊右衛門』で泉鏡花文学賞、『覘き小平次』で山本周五郎賞、『後巷説百物語』で直木三十五賞、『遠巷説百物語』で柴田錬三郎賞、他に日本ミステリー文学大賞などを受賞。著作多数。2025年印刷博物館館長に就任。

好評発売中



書名:『怪と幽』vol.021(KADOKAWA)

特集1
 この世界にはムーミンがいる
トーベ・ヤンソン、あさのあつこ、杉江松恋、中丸禎子、はおまりこ、萩原まみ、藤野恵美、堀江敏幸、森絵都、森下圭子、横川浩子
特集2 澤村伊智十周年
京極夏彦×澤村伊智 対談掲載!
朝宮運河、辻村深月、東雅夫、宮部みゆき
小説:小川洋子(新連載)、小野不由美、澤村伊智、山白朝子
漫画:押切蓮介、高橋葉介、諸星大二郎

X(旧Twitter) @kwai_yoo
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詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322403000643/
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