取材・文:野本由起 写真:干川 修
※「ダ・ヴィンチ」2026年2月号より転載
『グロリアソサエテ』朝井まかてインタビュー
正末期、「民藝運動」が勃興した。この理念を最初に提唱したのが、柳宗悦、河井寬次郎、濱田庄司の3人。「奇跡の三人に捧ぐ」という献辞から始まる『グロリアソサエテ』は、彼らが名もなき職人の手になる美を発見し、それを民藝と名づけ、世に問うていく日々を描いた小説だ。
「実は、3人が京都でそろっていた期間はさほど長くありません。けれどそのわずかな年数の中で彼らは共に朝市を歩き、いいね!と感動し合い、日本の芸術に新しい美を提唱しました。それは既成の美術界から一顧だにされてこなかった日用の陶磁器、布などです。けれど彼らは、無名の職人たちの手仕事に無私の美を見出しました。そこで、民衆の芸術という意の『民藝』と名づけたんです。その京都時代がドラマチックで、彼らを書いてみたいと思いました。当時は立派なおじさんですけれど、3人ともまだ三十代でした」
ちなみに、この日朝井さんが着ていたセーターも、民藝運動を推進した仲間のひとり、バーナード・リーチの絵をデザインしたもの。「もう何年も着てます」と笑う。
「私も古いものが好きで、京都の骨董市も若い頃から通っていました。お皿やお湯呑みも『この器は誰それの作』なんて意識せず、ただ好きだから何十年も使っています。民藝ってとらわれない。自由なんです」
実在の人物をモデルに小説を書くことには、葛藤もあった。
「民藝については、評伝や美術書、雑誌の特集がたくさん出ています。今、小説にする意味はあるのか? あるとすれば小説にできることは何なのだろう? とても考えました」
そこで朝井さんが設定したのが、柳家で女中奉公するサチという少女。彼女の視点で、柳と河井、濱田、その仲間や家族の姿が描かれていく。
「サチは柳家の使用人なので、柳の家庭で見聞する描写が増えます。濃くなる。気持ちとしては河井や濱田を等分に扱いたいのですが、サチが3人の間を動き回るのは不自然です。で、小説としてあるべきようを優先しました。結果的にサチ自身の人生も伏流として描くことができましたし、フィクションと史実がうまく溶け合った作品になったと思います」
名もなき人々の手による
無私で自由な美
東京で生まれ育ったサチは、関東大震災で父を亡くし、縁あって京都に越してきたばかりの柳家に住み込み、女中奉公することに。主人は、宗教哲学者の柳宗悦。その妻・兼子と小さな2人の息子、小言の多いばあやとの暮らしが、京の風景とともに描かれていく。青物屋の店先に並ぶみずみずしい花菜や土の匂いのする里芋、柳の友人の志賀直哉から届けられた掘りたての筍など、食の描写からも季節感、生活感が匂い立つ。
「柳はお酒は飲まないんですが、食については一家言ありました。甘いものや油っこいものも好きで、たまに『僕に任せろ』と中国料理をつくっては家族が大迷惑していたとか(笑)。そんな実際のエピソードもふんだんに盛り込みました。書いている私も楽しくて」
そしてある日、柳家を訪ねてきたのが、河井寬次郎と濱田庄司。過去に柳が河井の作品を痛烈に批判したため張り詰めた空気が漂うが、木彫りの素朴な地蔵仏を前に意気投合。これがのちに3人が研究することになる木喰仏なのだが、以来、京の町で親交を深めていく。
「柳家にあった木喰仏で、河井はわかってしまったんですね。芸術の原点を。そして柳という人間の持つまなざしを。――河井は京都で工房を開いていた作陶家で、宗教哲学者の柳は関東大震災を契機に東京から京都に移住しました。リーチと共にイギリスで作陶していた濱田も、震災の報を聞いて帰国したんです。しかも京都の河井家に居候した。つまり関東大震災が起きたことで、3人は出会いました。震災は凶事ですけれども、歴史として振り返れば不思議な作用を起こします。とくに大正時代のあの震災は東京の文化人がたくさん関西に避難してきて、上方文化とのシャッフルが起きました。京都という土地の磁場もありますね」
柳たちは連れだって朝市へ出かけ、〈下手物〉と見向きもされない古びた陶磁器や布を次々と購入。お供するサチは、子どものように目を輝かせる3人に魅せられ、いつしか自身も日常の美に目覚めていく。
「柳たちは、分業や機械化も否定しません。名もなき職人たちの共同作業にも尊さを見出したのが、この3人です」
作中で、柳の妻・兼子は彼らを次のように評している。〈柳は、これからも発見するわね。古き佳きものを、新しい価値を見出す。そして書く〉〈河井さんはこれからも、黙々と作者の道を極めるでしょう〉〈濱田さんは動くのよ。何かあると動く〉――これは朝井さんから見た3人の人物像でもある。
「柳は、説明のつけようのないセンスと学識の持ち主です。西洋の美術にも親しみ、いち早く『白樺』で紹介しました。河井は求道的で、本人には創作の苦悩もあったようですが、周囲にそれを見せることはなくて。取材させていただいたお孫さんが『いい人すぎておもしろくないかも』とお笑いになったほどの人格者で、厳しいのは自分の芸術に対してだけでした。濱田もまた面白い人です。社交的で、人と人とをつなぐ接着剤みたいな存在。でも若い頃に河井の才能を知ってしまったことで、とてもかなわないと一度は絶望している。河井は学校と職場の先輩でしたから。それで日本を離れてリーチとイギリスで作陶し、益子や沖縄の壺屋にも拠点を置くんです。当時、周囲からは放浪、彷徨に見えたかもしれません。でもそれが濱田の作品の根となり、独自の芸術を花開かせました。でも京都時代の彼らはまだ若い。本作では、途方もない才能と情熱を秘めた3人がどう生き、どう暮らしたのかを書きました。彼らの暮らしは、民藝そのものであったからです」
使用人のサチも
3人に見出された日常の美
女中のサチを視点人物にしたことで、柳家の内情もつぶさに描かれていく。中でも強い印象を残すのが、妻であり声楽家の兼子の存在だ。
「柳は兼子に『芸術家たれ』と願い、大恋愛の末に結婚しました。でもいざ妻になると話は変わり、兼子の芸術性を認めつつも『で、僕の飯は?』となる(笑)。柳といえど、家庭人としては明治の男性の典型でした」
兼子は、家庭の平和も自身の音楽も成し遂げたい。資金を貯め、ドイツへ留学しようと試みた彼女は、夫と激しく衝突する。
「柳は若い頃に、定収入を持たないと決めた人でした。兼子も兼子で、夫に働いてもらおうとは考えず『私が頑張る、歌うわ!』となる。柳が朝鮮に行くとなれば、兼子も同行して現地でリサイタルを開いて旅費を稼いでいましたから。なんという、行き当たりばったりな2人! もう大好きです(笑)」
兼子のほかにもさまざまな人々に支えられ、民藝運動は大きなうねりとなっていく。
「実業界、新聞社も彼らを支援しました。文化に情熱と理解のある人々がたくさんいた時代です。今も名の残る数々の文化人が3人を囲み、食べ、生き生きと語り合いました」
民藝が芸術界に波紋を起こす本筋と並行して、サチの半生も語られていく。切ない恋もし、そして終盤では意外な素性も明かされる。
「サチは、誰からも顧みられることのない、けなげな存在の象徴です。そして奇跡の3人によって人生が大きくうねりました。民藝は今も変化しながら、生き続けています。サチと一緒に、その始まりの物語に立ち会っていただけたらうれしいです」
プロフィール
朝井まかて(あさい・まかて)
1959年、大阪府生まれ。2008年、『実さえ花さえ』でデビュー。14年『恋歌』で直木賞、『阿蘭陀西鶴』で織田作之助賞、16年『眩』で中山義秀文学賞、18年『雲上雲下』で中央公論文芸賞、『悪玉伝』で司馬遼太郎賞、20年『グッドバイ』で親鸞賞、21年『類』で芸術選奨文部科学大臣賞、柴田錬三郎賞など受賞多数。
作品紹介
書 名:グロリアソサエテ
著 者:朝井 まかて
発売日:2025年12月12日
その家は、佳きものと美しい暮らしに満ちていた――新たな美「民藝」の誕生
大正十三年、宗教哲学者の柳宗悦が住む京都の家で女中奉公をはじめた少女サチ。ある日、河井寛次郎という陶芸家が柳家に来訪する。英国帰りの陶芸家・濱田庄司も同席し、男たちはすぐに意気投合した。彼らは共に小道具市を巡り、「下手物」すなわち日用の品に自由な美を見出し、それらを「民藝」と名付けた。薄汚れた古布や、埃にまみれた陶磁器に感嘆し、その美を世に提唱する三人の姿に驚かされるサチ。佳き品々に満ちた柳家での暮らしと、美を愛する人々との出会いを経て、彼女自身もやがて「民藝」に魅せられていく。百年前の京都で、新たな美「民藝」の世界を切り開いた人々の情熱と輝きの日々を描く歴史長編。
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