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レビュー

歴史の闇の中であっても輝きを放つ、「敗れざる者たち」の矜恃とは?――『アンブレイカブル』柳 広司 文庫巻末解説【解説:森 絵都】

『ジョーカー・ゲーム』の著者が戦中を舞台に描くもう一つのスパイミステリ
『アンブレイカブル』柳 広司

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。



『アンブレイカブル』文庫巻末解説

解説
もり    

 ばやしは悲劇的に死んだかもしれないが、決して悲劇的に生きたわけではない。二十九歳でようせいしたこの作家について語られるとき、獄死という最期だけがクローズアップされ、故に彼の人生そのもの──あるいは彼という人間そのもの──に暗く痛ましい影がついてまわる傾向を、私はつねづね残念に思っていた。
 たしかに彼は揺るぎない信念のもとにプロレタリア文学を書き続け、『蟹工船』のような骨のある作品をのこしている。しかし、プロレタリア文学とは関係のない作品も遺している。たとえば、『老いた体操教師 瀧子其他』に収録されている短編小説「ある役割」は、失恋した青年がフランス語劇で豚の役を演じることになり、舞台の上で「ブー、ブー、ブー」と言わねばならない恥ずかしさと格闘する、という話である。妙に忘れがたいこの一編と出会って以来、小林多喜二というのは意外とひょうきんな人だったのではないか、と私は考えるようになった。知りたいのは彼の死に方ではなく生き方だった。
 本書『アンブレイカブル』の第一話「雲雀ひばり」は、まさにその生き方を、そして多面性に富んだ多喜二の人となりを活き活きと焼きつけた作品である。気鋭の小説家である多喜二は、同時にたるの銀行に勤める行員でもある。女性行員たちに読書の手引きなどをする気のいい同僚である一方、笑いの絶えない家庭の夫でもある。常に温厚な彼はどこでも、誰からも好かれている。作中では、そんな多喜二と彼の発表した小説を対比したある人物が、「これを本当にが書いたのですか?」とおののく場面があるけれど、まさにそのギャップこそがこの小説の魅力であり、また多喜二自身の魅力でもあると思う。人たらしでお茶目、多芸多才でつかみどころのない快男児。みつに組まれたストーリーの面白さもさることながら、その愛すべき人物像にすっかり魅了された。
 ちなみに、過去の著者インタビューを見るに、本書のタイトル『アンブレイカブル』は「敗れざる者たち」を示すようだ。たしかに全四話、どの主人公も何者にも奪うことのできない鋼の精神力を秘めている。死をも覚悟して何かに挑むとき、人間の命はこんなにも鮮烈に輝くものなのかと、彼らの静かな戦いを追いながら、そのまぶしさに何度も胸が震えた。
「雲雀」はまさしく小林多喜二の「生の光」に満ちた名編だ。その生に触れずして、どうして彼の死を心から悼めるだろうか。

 生の光という点においては、第二話の「はん」で描かれた川柳作家のつるあきらも負けじと劣らない。
 陸軍に入営後、鶴彬は新兵の身分でれんたい長に直言し、不敬の罪で処分を受ける。その後も懲りずに問題を起こし、軍法会議の席ですら堂々と持説を主張して、しゃべり疲れると「休ませてほしい」と悪びれず求める。空気を読まない天然くんのようにも見えるそれらの言動は、しかし、冷静に考えれば、いずれも至極当然のことだ。質問するのも、意見を言うのも普通のこと。その普通がまかり通らなかった狂気の時代、鶴彬は共に狂うことに命がけであらがい続けた。そこに彼のきようじんなきらめきがある。
 その鶴彬を追いかける二人──本書の全話を通じて登場する内務官僚のクロサキと、立場を異にするまるやま憲兵大尉の対決も、本編における見所の一つである。鶴彬を社会から抹殺したいクロサキと、鶴彬の性根をたたき直したい丸山。現在の視座からすればどちらもどうかしているが、終始緊迫した彼らの対話からは、己の正しさを信じることでしかその時代を生きられなかった個々の切実さが伝わってくる。そして、最後に丸山の過去が明かされるとき、私たち読者は憲兵の軍服というよろいに覆われていた彼の柔らかな内面に触れ、同時に、川柳という表現媒体の真価を(皮肉な結末とともに)目のあたりにするのである。

 それにしても、特高の頂点に立つクロサキ参事官の存在は不気味だ。本書を読み進めるほどに、その空恐ろしさは増殖する。
 そもそも特高自体がじつに奇怪な組織なのである。一九一〇年の大逆事件を機に、一九一一年に設置された警視庁の特別高等課。彼らは思想犯として狙い定めた人々を片っ端から検挙して拷問にかけ、その徹底ぶりによって国内の左派を壊滅せしめたのちも、弾圧の手を緩めることなく、むしろ暴走に輪をかけていく。
 その異常さをありありと刻しているのが第三話の「カサンドラ」だ。
 満鉄の調査室に勤めるゆういちろうは、知人の出版社社員から「知り合いが最近、次々に、何人も消えてしまったのです……」と物騒な相談を持ちかけられる。どうやら神奈川県の特高が、都内の出版社に勤める人々を次々と引っぱっているようだが、その理由がわからない、と。
 一体なぜ彼らは検挙されたのか。志木は合理的な筋道を立ててこの謎に挑むものの、どうにも理由が見つからない。そこではたと気付く。まともな論理のもとに動いていない組織の動機を解くには、まともに考えてはならないことに。志木が「東條内閣流の狂った算術」に則って事の真相に迫っていく過程は見事で、それ故に足下からヒルがい上がってくるような底気味の悪さを感じさせ、読後もぞわぞわとした波が胸に残る。この話が実在する事件をベースにしていることを思うと、尚さら波は荒ぶるのである。

 それにしても、と私は読書中、一つの疑問を絶えず頭に渦巻かせていた。すでにこの時期、彼らの敵は検挙と拷問で総崩れになっていたにもかかわらず、なぜ特高はこれほどしつように捜査の手を広げ続けなければならなかったのか?
 第四話「赤と黒」ではこの謎の答えが明かされる。
 特高が共産主義者や反戦主義者として目をつけた人々をどこまでも追いつめた動機──これが実に官僚的なのである。こんなことのために彼らは生の光を失わなければならなかったのか。頁をめくるほどにやり場のない怒りが募り、しまいには脱力した。取り返しのつかない過去を前にして、おそらく読者の多くが同じような虚脱を体験するのではないかと思う。だからこそ、本書のラストを締めくくるこの作品に登場するきよしが救いとなる。
 クロサキと同郷にして真逆の道を行く哲学者、三木清。徹頭徹尾、自らの思考に則って動き続けた彼がいかにしてクロサキを圧倒せしめ、そして私たち読者を感動せしめるのか──未読の方はぜひともご自身で確かめていただきたい。少なくとも私は彼の人としての大きさ、あたたかさによって、虚脱の底からすくいあげられた一人である。
 残念ながら、その三木清は小林多喜二と同様、獄中で死を迎えている。しかし、本書における彼のセリフ「共産党党員というのは、彼の人格の一部分にすぎない」に照らして言うならば、死というものも人生の一部分にすぎない。言うまでもなく重要なのは「いかに死んだか」ではなく「いかに生きたか」であり、本書『アンブレイカブル』は信念を貫く各主人公たちを徹底して死ではなく生の側から描いているからこそ、私たちはその輝きに力をもらうことができるし、そしてまた、だからこそ、その命が惜しくてしょうがないのである。

作品紹介・あらすじ



アンブレイカブル
著 者:柳 広司
発売日:2024年01月23日

『ジョーカー・ゲーム』の著者が戦中を舞台に描くもう一つのスパイミステリ
歴史の闇の中であっても輝きを放つ、「敗れざる者たち」の矜恃とは――?

蟹工船の乗組員の谷は、内務省の役人・クロサキに雇われ、“プロレタリア文学の旗手”と称される小林多喜二の取材を受けることに。
だが現れた多喜二は、驚くほど気さくな青年だった。
仕事を早く終わらせたい谷は多喜二の尾行を始めるが――(「雲雀」)。
特高に監視されながらも川柳で時代と闘う鶴彬。
“消えた”記者の謎を追う満鉄社員の志木裕一郎。
稀代の哲学者・三木清。
信念を貫き続ける彼らに、クロサキの影が迫る。

累計130万部突破「ジョーカー・ゲーム」シリーズの著者が令和の世に問う、
輝ける男たちを描いた希望と感動のスパイ・ミステリ。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322211000500/
amazonページはこちら


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