『ジョーカー・ゲーム』の著者が戦中を舞台に描くもう一つのスパイミステリ
『アンブレイカブル』柳 広司
角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
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『アンブレイカブル』文庫巻末解説
解説
たしかに彼は揺るぎない信念のもとにプロレタリア文学を書き続け、『蟹工船』のような骨のある作品を
本書『アンブレイカブル』の第一話「
ちなみに、過去の著者インタビューを見るに、本書のタイトル『アンブレイカブル』は「敗れざる者たち」を示すようだ。たしかに全四話、どの主人公も何者にも奪うことのできない鋼の精神力を秘めている。死をも覚悟して何かに挑むとき、人間の命はこんなにも鮮烈に輝くものなのかと、彼らの静かな戦いを追いながら、その
「雲雀」はまさしく小林多喜二の「生の光」に満ちた名編だ。その生に触れずして、どうして彼の死を心から悼めるだろうか。
生の光という点においては、第二話の「
陸軍に入営後、鶴彬は新兵の身分で
その鶴彬を追いかける二人──本書の全話を通じて登場する内務官僚のクロサキと、立場を異にする
それにしても、特高の頂点に立つクロサキ参事官の存在は不気味だ。本書を読み進めるほどに、その空恐ろしさは増殖する。
そもそも特高自体がじつに奇怪な組織なのである。一九一〇年の大逆事件を機に、一九一一年に設置された警視庁の特別高等課。彼らは思想犯として狙い定めた人々を片っ端から検挙して拷問にかけ、その徹底ぶりによって国内の左派を壊滅せしめたのちも、弾圧の手を緩めることなく、むしろ暴走に輪をかけていく。
その異常さをありありと刻しているのが第三話の「カサンドラ」だ。
満鉄の調査室に勤める
一体なぜ彼らは検挙されたのか。志木は合理的な筋道を立ててこの謎に挑むものの、どうにも理由が見つからない。そこではたと気付く。まともな論理のもとに動いていない組織の動機を解くには、まともに考えてはならないことに。志木が「東條内閣流の狂った算術」に則って事の真相に迫っていく過程は見事で、それ故に足下からヒルが
それにしても、と私は読書中、一つの疑問を絶えず頭に渦巻かせていた。すでにこの時期、彼らの敵は検挙と拷問で総崩れになっていたにもかかわらず、なぜ特高はこれほど
第四話「赤と黒」ではこの謎の答えが明かされる。
特高が共産主義者や反戦主義者として目をつけた人々をどこまでも追いつめた動機──これが実に官僚的なのである。こんなことのために彼らは生の光を失わなければならなかったのか。頁をめくるほどにやり場のない怒りが募り、しまいには脱力した。取り返しのつかない過去を前にして、おそらく読者の多くが同じような虚脱を体験するのではないかと思う。だからこそ、本書のラストを締めくくるこの作品に登場する
クロサキと同郷にして真逆の道を行く哲学者、三木清。徹頭徹尾、自らの思考に則って動き続けた彼がいかにしてクロサキを圧倒せしめ、そして私たち読者を感動せしめるのか──未読の方はぜひともご自身で確かめていただきたい。少なくとも私は彼の人としての大きさ、あたたかさによって、虚脱の底から
残念ながら、その三木清は小林多喜二と同様、獄中で死を迎えている。しかし、本書における彼のセリフ「共産党党員というのは、彼の人格の一部分にすぎない」に照らして言うならば、死というものも人生の一部分にすぎない。言うまでもなく重要なのは「いかに死んだか」ではなく「いかに生きたか」であり、本書『アンブレイカブル』は信念を貫く各主人公たちを徹底して死ではなく生の側から描いているからこそ、私たちはその輝きに力をもらうことができるし、そしてまた、だからこそ、その命が惜しくてしょうがないのである。
作品紹介・あらすじ
アンブレイカブル
著 者:柳 広司
発売日:2024年01月23日
『ジョーカー・ゲーム』の著者が戦中を舞台に描くもう一つのスパイミステリ
歴史の闇の中であっても輝きを放つ、「敗れざる者たち」の矜恃とは――?
蟹工船の乗組員の谷は、内務省の役人・クロサキに雇われ、“プロレタリア文学の旗手”と称される小林多喜二の取材を受けることに。
だが現れた多喜二は、驚くほど気さくな青年だった。
仕事を早く終わらせたい谷は多喜二の尾行を始めるが――(「雲雀」)。
特高に監視されながらも川柳で時代と闘う鶴彬。
“消えた”記者の謎を追う満鉄社員の志木裕一郎。
稀代の哲学者・三木清。
信念を貫き続ける彼らに、クロサキの影が迫る。
累計130万部突破「ジョーカー・ゲーム」シリーズの著者が令和の世に問う、
輝ける男たちを描いた希望と感動のスパイ・ミステリ。
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