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レビュー

子を守る母と支える僕、家族の一代記――窪美澄『ははのれんあい』文庫巻末解説【解説:白石一文】

直木賞作家が放つ、渾身の家族小説。
『ははのれんあい』窪 美澄

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。



『ははのれんあい』文庫巻末解説

小説の効用

解説
しらいし かずふみ(作家)

 近年は、娯楽商品としての小説はちまたにあふれているが、実用に耐え得る小説(つまりは読者の人生に具体的に役立つという意味)はほとんど見かけなくなった。
 小説家の家に生まれ、長じては老舗しにせの版元で編集者として働き、不惑のときによんどころない家庭の事情も手伝って小説家になった私が、ここ数十年の小説の世界をかんして眺めるところ、「エンターテインメント」という言葉が文芸の世界に持ち込まれ、編集者までもが小説を「エンタメ小説」とか「〇〇エンタメ」と言い出し、あげく作中人物たちを「キャラクター」だの「キャラ」だのと呼びらわし始めたあたりから、先に書いた人生に役立つ実用小説は徐々に市場から姿を消していったように見受けられる。
 いまどきは、作家に対して詳細なプロットの提出を求め、「こういう小説を書いてください」、「こんなキャラを混ぜ込んでください」と、まるでプロ野球のコーチよろしく編集者が作品に介入するのが、漫画の世界同様に文芸の世界でも慣習化しているらしい。
 読んだことはあっても一度も書いたことのない者たちのコーチングとは一体なんぞや? まあ、そういう「プロット出し」や「プロット会議」なるものを唯々諾々と受け入れている作家の側にも大いに問題がある。
 最近売り出し中のとある作家が「このままでは小説は好事家のあいがん物になってしまう。問題はさまざまあるが、作家が多過ぎるのがその一因だ」と嘆いていたという噂を先日耳にした。なるほど、それはその通り。コーチの資格のない者たちが「直近の数字」だけを指標に、「今、売れさえすればいい」と粗製乱造した作家がじゃんじゃん市場に送り出され、それによって市場全体が均質で凡庸で魅力のないものに堕しているのは事実だろう。
 そのうえ、新人発掘の文学賞は乱立し、老舗のそれでさえ主催する版元のそろばん勘定で大盤振る舞いの現状にある。読者はどんどん減っているのに、デビューする新人はどんどん増えている――そんな皮肉で戯画調の風景がいまや文芸界で常態化してしまった。要するにアマチュアの世界になりつつあるのだから、商品としてほんとうに価値のあるものが生まれにくくなるのも理の当然と言えば当然なのである。
 とまあ、そんな話はこのへんにして、冒頭で書いた「人生に具体的に役立つ」小説とは、一体どんな小説なのか。小説の本来の役割とは何なのか――そのあたりをもう少しきちんと説明しておきたい。
 私たちの人生というのは簡単に言えば、人間関係の数珠じゆずつなぎである。
 自分は他人とかかわることによって初めて「自分」となる。だとすると、私たちの人生を善きものにするも苦難の塊にするも、結局はいかに人間関係をうまく取り結んでいくかにかかっている。そして、この人間関係を豊かで学び多きものにするというのが、実は、とてつもなくむずかしいのである。
 なかでも一番やっかいなのは「家族」という存在だ。
 自分を生んだ親との関係、兄弟姉妹との関係、そして、自らが家庭をもうければ今度は配偶者との関係、子どもとの関係、義父母との関係、義理のきょうだいとの関係――よくもまあというくらいに次から次へと家族絡みの課題、難題に私たちは直面する。
 進学、自立、結婚、出産、育児、病気、認知症、そして介護。平凡でつつましやかでかまわない、ただ穏やかで幸福な人生を送りたい――と願ってみても、現実は、それを容易には成し遂げさせてくれない。
 むろん、折々の困難に際して、誰より力になってくれるのも「家族」ではある。だが、一方でその「家族」がさまざまなトラブルを持ち込み、往々にして一生御免こうむりたいような憎しみやうらみ、苦しみやかなしみをもたらしもする。
 そんなつらいとき、私たちは一体何に頼って、よりよい解決策を見出せばよいのだろうか? 有効なアドバイスは一体誰から受け取ることができるのか?
 いつの世でもそうした家族の問題を原因として、怪しげな宗教がばつし、詐欺師の手口にまんまと乗せられてしまう被害者が生まれる。
 ひとりひとりに専門の相談相手がいれば、それに越したことはない。だが、そんなことは望むべくもない。
 おさなみ、学生時代の親友、恩師、職場の仲間などが親身に手を貸してくれることもある。とはいえ、それも大体はその場限りだし、運が良ければの話だ。むしろ、困難な問題であればあるほど私たちは一人で抱え込んで、自分で自分を追い詰めてしまう傾向にある。
 そもそも一番に必要なのは、自分なりの対処方針を編み出すことなのだ。しかし、現実にはそれが最もむずかしい。何しろ人間は複雑だ。誰もが正と邪、寛容と不寛容、無私と我利の両面をあわせ持ち、時と場合によって一人の人間のなかでそれらはめまぐるしく入れ替わる。まずはそうした人間の複雑な内面をしっかりと把握した上で、私たちは目の前の人間関係に踏み込んでいかなくてはならない。
 実際、小説の役割とは、まさにそこのところにある。
 小説というのは人間の複雑さを私たちに教え、自分なりの人間観、人生観を練り上げていくうえで欠かせない貴重な“ものの見方”を伝授してくれるツールなのだ。
 小説家は善悪や利害で人間を描かない。本来、登場人物にかんぺきな役割分担などさせないし、作者本人にとっても手ごわいほどに複層的な人物たちを作中で絡ませることで一筋縄ではいかぬ物語を作り上げる。なんとなれば小説家自身が実人生で、人に裏切られ、救われ、屈辱に涙し、励まされ、度重なる辛酸をめ、それを乗り越え、それでも減ることのない日々の苦しみを身をもって味わい、人生の残酷さと美しさとをよくよく承知しているからだ。私たちはそういう人間の書いた小説を読むことで、自分と深く関わる人々の本性を見極める目を養うことができる。
 小説家は、なりたいだけでなれるものではない。本をたくさん読んで小説を愛しているからなれるものではない。まして私のように小説家の家に生まれたからと、家業を継ぐがごとくになれるものでもさらさらない。小説家になるには、やはり“小説家になるための人生”を否応なく歩まされる必要があるのだ。つまりは、プロットやキャラなどというポップな言葉で語れるほど、誰かと相談ずくで書けるほど、ほんものの小説は甘くはないのである。
 必然的に小説家の数は限られる。
 さて、本書『ははのれんあい』は、ほんものの小説家が書いたほんものの家族小説である。冒頭でも述べたように、いまどきめずらしい実用に耐え得る作品だと言っていい。
 くぼすみは小説家らしい小説家だ。裕福だった実家は父親の失敗で没落し、嫁しゆうとめの仲たがいで彼女は早くに母に去られている。結婚後、二人の子どもに恵まれるが、最初の子を幼くして病気で亡くし、やがて離婚。中学生の息子を女手ひとつで育て上げなくてはならなかった。幼少期からものを書くのが好きで、文章力は誰にも引けを取らなかったようだ。その自負を頼りに、飛び込み営業的なやり方でライターの仕事に就く。それからはさまざまなジャンルの取材をこなし、その後につながる豊富な知識と、息子を抱えたシングルマザーとしての貴重な体験をわが身に刻み込んだ。そして、四十半ばで作家としての才能を一気に開花させ、そこからの活躍は周知の通りであろう。
 本書はそんな彼女が、おそらくはこれまでの実体験のエッセンスをふんだんに盛り込んで作り上げた、圧倒的なリアリティーに富む傑作だ。これから恋愛し、結婚し、母になろうかという相応の年齢の女性たち、そうした軌道を一応は脳裏に思い描いている若い女性たち、彼女たちはみんなとりあえずこの小説を一度読んでみた方がいいと強く思う。
 ここには自分の今後の人生にとって大切ないろいろや、やがて経験するさまざまなかつとうや苦悩、人の無情と有情が惜しげもなくちりばめられている。
 第一部では、地方都市で小さな縫製工場を営む一家に嫁いだ由紀子がやがて三人の子の母となり、夫や義父母との波乱に満ちた関わりのなかで一人の女性として成長していく様子がまずは丹念につづられる。そして、第二部では高校生になった長男、智晴の視点を用いてさらに込み入っていく家族の形がリアルに描き出される。ことにこの長男は母、由紀子の人生をのびやかに肯定する存在として、非常に現代性を帯びた「家族の新しい形」を体現しており、作中の彼の言動や心理に触れているうちにこころが軽やかに開かれていくのが感じられるだろう。『ははのれんあい』という挑戦的なタイトルも、この長男の見事な人物造形によって支えられているのだ。
 人生を試験運転できれば、当たり前ながら本番での失敗の回数を激減させることが可能になる。本書は、ただじっくりと物語を追いかけていくだけで、その試運転ができるように仕組まれたな作品だ。同時に、自身がこの物語の主人公たちと似た立場に置かれたとき、作者が描いている主人公たちのこころの動きや決断が我が身に迫り、「そうか、あそこで書かれていたのは、こういうことだったのか」とひざを打つようなそうかいかんを覚えることもあるだろう。
 そして、読了後には、
 ――ああ、自分は決してひとりぼっちではないんだ。自分と同じような目にあい、同じように苦しみ、それを乗り越えた人たちがこの世界にはいまもむかしもたくさんいるんだ。
 という深い慰めと微かな希望を手にすることができるに違いない。
 それこそが、読者に対して小説が与え得る最大の効用なのである。

作品紹介・あらすじ



ははのれんあい
著 者:窪 美澄
発売日:2024年01月23日

この子のためならなんだってできる――子を守る母と支える僕、家族の一代記
夫とは職場の友人を通じて知り合った。口数は少ないし、ぶっきらぼうだけど、優しい。結婚して智晴(ちはる)が生まれ、慎ましいながらも幸せな3人生活が始まった。しかし生活はなかなか立ち行かない。息子を預けて働きに出た由紀子は、久しぶりの仕事で足を引っ張りながらも何とか食らいつき、家庭と両立していく。そんな矢先に発覚した、双子の次男と三男の妊娠……家族が増えてより賑やかになる一方、由紀子の前に立ち塞がる義母の死、夫との不和、そして――。「家族は時々、形を変えることがあるの。だけど、家族はずっと家族なの」。どんな形をしていても「家族」としてどれも間違ってない、ということを伝えたかったと語る直木賞作家・窪美澄が放つ、渾身の家族小説。文庫版には家族のその後を描いたスピンオフ短編「ははのけっこん」も収録。解説・白石一文

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322307000522/
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