男装の麗人として名高い、漢詩人・原采蘋の人生を描く圧巻の時代ミステリ!
『女だてら』諸田玲子
角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。
『女だてら』著者:諸田玲子
『女だてら』文庫巻末解説
解説
すでに著者あとがきを読まれた方はご承知のことと思うが、解説から目を通している人のためにあらためて記しておく。
本書の主人公・
号を原
漂泊の男装詩人──といえばそれだけでさまざまなドラマが生まれそうだし、〝男装の麗人〟
そこに目をつけたのが
ところが、一読して驚いた。原采蘋が主人公というから、漢詩は男の教養とされた江戸時代に才覚と努力で名を成した女性の闘いの記録のようなものを想像していたのだ。あるいは漢詩人としての業績を描くのかも、とも思った。しかし本書で展開されるのは密書を巡る時代ミステリではないか! しかもアクションあり、謀略あり、ロマンスありの、完全にして抜群に面白いエンターテインメントなのである。
なるほど、こう来たか──と膝を打った。
歴史小説とはある面において推理小説に似ている。史実として確定しているものや史料として残されているものを手がかりとして繫ぎ合わせ、その隙間を想像・推理し、矛盾のないように埋めてひとつの物語を組み上げる。アクロバティックな創作が史実と辻褄が合う形できれいにハマったときのサプライズと快感は、まさに手がかりを集めて意外な真相を導き出すミステリの醍醐味に通じるものだ。
では諸田玲子は、この原采蘋のどこに謎を見出したのか。秋月から江戸を目指した采蘋の旅日記が途中で途絶え、翌年に江戸で存在が確認されるまでの彼女の足跡が不明なことだ。おりしもこの時期、秋月藩では後継を巡るお家騒動が起きている。
男装の放浪詩人・お家騒動・日記の空白。
まるで三題噺のような「史実」を、諸田玲子が見事に繫げて鮮やかなフィクションに練り上げたのが本書なのである。
文政十一年三月、若年寄・
一方、その少し前。福岡藩の支藩である秋月藩で嫡子が急死した。養子を巡り、本藩寄りの家臣と現藩主が対立。江戸で藩主が家臣たちに軟禁されるという事態になる。その対抗策として国許では、縁のある公卿を介して幕府の権力者に繫ぎをとろうとした。だが藩士が動けば妨害される。そこで旅の経験が豊富なみちが密書を託された。公卿への奏上や関所の詮議は男の方が都合がいいので、みちは兵庫で男装し、そこからは弟の名を名乗って旅を続けた……というのが諸田玲子のアイディアだ。
思わず唸った。「男装の放浪詩人・お家騒動・日記の空白」という三つの「史実」がこれほど見事に、かつアクロバティックに、ひとつの筋にまとまるとは! 男装の詩人という史実を「密書を運ぶための隠れ蓑」とし、この時期だけ日記が存在しないという史実に「秘密のミッションだったから」という解釈をつける。その密書やミッションはお家騒動という史実からの発想だ。もちろん創作である。創作ではあるが、しかし、まったく史実と矛盾しない。史実と矛盾しないということは、「そうだったかもしれない」ということでもある。
これこそ歴史小説の面白さだ。歴史小説がもたらす昂奮だ。
さらに本書を魅力的なものにしているのは、そのサスペンスである。京から江戸まで東海道を使って旅をするのだが、同行者ですら敵か味方かわからない。味方だと信じることができても、自分が女であることは明かせない。みちに惚れた女性から迫られたり、男性の連れとひとつの部屋で泊まることになったりと、ばれそうになるスリルもたっぷり。普通なら女性が男性のふりを通すこと自体が無理筋なのだが、原みちという女性は体格も良く性格も豪傑、「その様は磊磊落落、男子に異ならず」なのだから史実が説得力を与えてくれるのだ。
もちろん密書運びにはさらなるスリルが用意されている。すんでのところで追手を
ロードノベル的面白さも見逃せない。七里の渡しを船で渡り、
幾つものピンチをどう切り抜けるか、江戸についてからもさまざまな妨害が待ち受け、事態は一筋縄ではいかない。そしてここでもまた──詳細をここに書くのはやめておくが、みちが男装しているということが、とても大きな意味を持つ展開が終盤に待っているのだ。いやあ、上手いなあ。
だがエキサイティングなだけではない。男にも女にもなれる、というのが本書でのみちの大きな武器なのだが、それは同時に、恋には障害となる。また、使命を託されたからには、たとえ兄が危篤に陥ろうが帰ることはできない。父である原古処が「不許無名入故城」(無名にして故城に入るを許さず=目的を果たすまで帰ってくるな)という遺言をみちに与えたという史実にダブルミーニングが付与され、ここで効いてくる。
手に汗握るサスペンスの隙間にふと、女としての、娘としての、妹としての、みちの哀しみが
原采蘋という魅力的な人物を、男社会で闘う女性でもなく漢詩の業績でもなく、お家騒動の中で使命を託されたミステリの主人公として描いた諸田玲子。その選択は変化球のように見えて、実は、ともすれば史実以上に明確にみちの置かれた状況を紡ぎ出していると言える。男装しなければ旅ひとつできない、身分の高い人に会うこともできない、そんな中を才覚と度胸で泳ぎ抜き、見事ミッションを果たしたみちの姿は、そのまま、没落した家にあって勉学を怠らず、当時珍しかった女性漢詩人として活躍するに至ったみちの生き方に重なるのである。
江戸時代に、こんな女性がいたのだ。それを知るだけでも、なんだか励まされるではないか。事実の驚きと創作の力の両方を存分に堪能できる一冊である。
なお、本書が気に入られたら、ぜひ諸田玲子の代表作である『
作品紹介・あらすじ
女だてら
著者 諸田 玲子
定価: 880円(本体800円+税)
発売日:2023年02月24日
男装の麗人として名高い、漢詩人・原采蘋の人生を描く圧巻の時代ミステリ!
文政11年、漢詩人・原古処の娘であるみちは、若侍に姿を変えた。昨年、秋月黒田家の嫡子が急死し、福岡の黒田本家の専横に対抗できる人物を立てるべく、京、そして江戸へと向かう密命をおびたためだ。女であることをひた隠しにしながら任務に邁進するみちに、兄の友人・石上玖左衛門という心強い旅の道連れができる。だが酒を酌みかわし、心を通わせていく一方で、みちは、彼にも秘密があるのではないかと疑心暗鬼に囚われる。不気味な追っ手の影、錯綜する思惑、巨大な陰謀―聡明なみちは得意の変装術と機転で、危機を切り抜けていくが…。実在した漢詩人・原采蘋の数奇な半生と、秋月黒田家お家騒動の驚きの内幕をスリリングに描いた、圧巻の歴史ミステリー。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322111000502/
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