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鎌倉の権力の座を巡る複雑な人間模様と陰謀を鋭く描いた傑作歴史小説―― 永井路子『寂光院残照』文庫巻末解説【解説:諸田玲子】

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

永井路子『寂光院残照



永井路子『寂光院残照』文庫巻末解説

解説
もろ れい

 私事ながらうれしかった経験──。
 今から10年近く前、とこなめ市のおお城へ取材に出かけた。次なる小説の主人公があさながまさとおいちかたの末娘、よど殿どのの妹でもあるごうひめで、彼女が12歳で嫁いだ最初の夫のろうが当時、大野城主だったからだ。といっても、夫婦がその城にいたのはわずかな期間でしかなく、しかも今は小さな公園にごくささやかな城が築造されているだけなので、取材に訪れる者はめったにいないらしい。
「こうしてご一緒したのは、実はお二人目です」
 案内をお願いした郷土史家は目を細め、得意そうに、しかも宝物を扱うように恭しく、一冊の文庫本を見せてくださった。年輪を経たその本は江姫を描いた『乱紋』の上巻、本文のトビラに著者のながみちさんのサインが入っていた。
「ちょうどここから、この同じ景色をご覧になられました」
 そう教えられたとき、感激のあまり胸が熱くなった。
 永井路子さんは私にとってはあこがれの存在、のみならず、許可も得ず勝手に言うことを許していただけるなら〈歴史小説を書く上での恩師〉でもある。
 若いころの私は歴史が苦手だった。海外の小説ばかり読みあさっていた。ところがあるとき永井路子さんとすぎもとそのさんの歴史小説に出会った。同年代のお二人は、へいあんかまくらむろまち・戦国、そしてを舞台に精力的に新作を発表されていて、これまで刺身のツマでしかなかった女性を堂々と主人公に据えたり、周知の事件をまったく異なる方向から描くことで隠されていた真実を暴いてみせたり……と、まさに車の両輪のように、既成概念をらして新たな土壌を開拓してゆくさまがなんとも小気味よかった。
 お二人の小説を、私はむさぼるように読んだ。それまでは遠い存在のように思っていた歴史上の人々──とりわけひと色に染められてきた女性たち──が、永井さんの手にかかるとあざやかに息を吹き返し、その一喜一憂がまるで我が事のように感じられる。本書でも女人の一人称の語りや、「あんたってひとは」「わかってますったら」「そんなこと言ったってだめ」というような現代口語の軽妙なやりとりがみられるが、読みやすさだけでなく、登場人物の愛憎や喜怒哀楽を生き生きと伝えてくれるので、時代を超えて、いつの世も変わらない女心や人情の機微を読者も共有することができるのだ。
 もちろん、こうした芸当は、歴史への深いぞうけい──ひとことで言ってしまうのがはばかられるほどの幅広い知識や奥深い研究──と、飽くなき好奇心があってこそ。
 この解説を書いている私の手元には、08年に刊行された評伝『岩倉具視 言葉の皮を剝きながら』がある。このあとがきで永井さんは、四十数年も前にいわくらともを書きたいと思い、折にふれ史料を集めてきたと記しておられる。「史料というものは問いかけによって別の答え方もするし、時代によって違う顔を見せてくれるのだ、ということが解ってきたのだ。慌てて書かないでよかった……」とも記され、岩倉具視を書くという悲願を抱きつづけることで「私は死なずに生きてきた」とも述懐されている。このしんな、ストイックでもある歴史との向き合い方が、〈永井さんの歴史文学〉の真髄と言える。
 本文庫は単行本の刊行時から数えて44年の歳月を経ているが、永井さんの真髄にふれるにはまたとない6編が収録されている。舞台は平安朝の末期から鎌倉時代にかけて──武士が台頭し、げんへいを滅ぼし、よしなかよしつねよりともに討たれ、さらに日本史上、数少ない女傑、ほうじようまさが登場する時代──である。つまり、ひとつの価値観が崩れ去り、騒乱とこんとんの中で新たな秩序を生み出そうともがく人々が、欲望をむき出しにして水面下で権謀術策をめぐらし、必死に生き抜こうとする姿を照射している。
 6編を時代の推移にそってみてゆくと──。
きさきふたたび」は、この天皇とじよう天皇という二人のみかどの后になったふじわらのよりながの養女・おおい、その数奇な運命をとおして、けいばつを利用しのし上がろうとするぎようたちの攻防を描いているのだが、この語り手が多子の侍女と川原の浮浪者であることに意表をつかれる。遠景にいる人物が語りをつとめることにより、時代の風景が重層的に映し出される。永井さんならではの大胆で画期的な試みである。
さのぼうしようしゆん」は、頼朝の意を受けて義経を討ち果たしにゆく荒法師の話だ。なんとしても手柄を立てなければと、皆にあきれられようが無謀な挑戦におもむく男はこつけいあわれを誘う。そのてんまつに読者の関心をひきつけながらも、さらなる闇──頼朝が異母弟の義経に殺意を抱く経緯──が、読み進めるにつれ明白になってゆく。それこそがこの短編の眼目かもしれない。
 表題作の「じやくこういん残照」は、平氏滅亡後、おおはらの寂光院でいんせいしているけんれいもんいんのもとへしらかわ法皇が御幸するという「平家物語」でも知られる場面を描いた短編。女院と法皇、語り手の侍女ともう一人の侍女、それぞれの心模様を細やかに描き分け、まるで舞台の一場を観るようだ。読者を華やいだ残照の余韻にひたらせながら、せいひつな中にも人の世の無惨をにじませることができるのは永井さんしかいないだろう。修羅を超えてなおりんとして生きる女院の姿が胸を打つ。
「頼朝の死」は、章題どおり、平氏を滅ぼして鎌倉幕府を開いた源頼朝の謎の死の真相に迫る短編。もちろん永井さんだから幾重にも趣向が凝らされている。なにしろ主人公のゆきは、頼朝の浮気相手と噂され、行方知れずになった女房の妹なのである。当事者ではないな娘の目をとおすからこそ、もうりようがうごめくまつりごとの世界の恐ろしさが浮かび上がってくる。その一人として登場するのが北条政子だ。巧妙な仕掛けが心憎い。
「右京局小夜がたり」は、頼朝の後継者であるさねともが暗殺された事件を題材にしている。といっても、語り手は実朝のだいどころとなった姫の乳母めのと。実朝と周囲の女たち──実朝の乳母、あまだい政子、御台所の姫──を、乳母の目から観察し分析し、冷静に的確に語りつくす趣向は、政争と相まって人の心の闇を暗示してお見事。
 最後になったが「ばくちしてこそ歩くなれ」も異色の短編である。主人公のそんちようがばくち好きの名僧というのもどうもくに値するが、兄弟子の目をとおして語られる尊長の生きざまはなんとも不可思議でつかみどころがない。ところが上皇の側近としてじようきゆうの乱の首謀者となったとき、尊長が半生をけて打ったばくちがなんであったのか、目からうろこが落ちる。永井さんのあざやかな手腕に脱帽。
 6編はすべてが、脇役の目から主役である当事者を、事件を、世相を眺めるという手法を用いている。かんすることで時代を重層的に描き、幾方向からも人の心のひだに分け入って真実をあぶり出そうとしている。十二分に練り上げられた短編を、読者は心ゆくまでたんのうできる。
 このたび私の愛読書が新たな文庫本となった。一人でも多くの皆さんに永井路子さんの短編のだいを実感していただきたいと心から願っている。

作品紹介・あらすじ



寂光院残照
著者 永井 路子
定価: 704円(本体640円+税)
発売日:2022年01月21日

鎌倉の権力の座を巡る複雑な人間模様と陰謀を鋭く描いた傑作歴史小説。
壇ノ浦の戦いで九死に一生を得て寂光院に隠棲した建礼門院。彼女のもとに突然、後白河法皇が姿を見せる。平家に対する裏切りに一切の罪悪も感じない様に恐怖と憤りを覚える侍女に対し、驚くほど冷静な女院。彼女は何を思うのか。平家滅亡後を描く表題作の他、義経追討に名を挙げた男の顛末を描いた「土佐房昌俊」、「頼朝の死」など全6作を収録。鎌倉時代の権力の座を巡る複雑な人間模様と渦巻く陰謀に切り込んだ傑作歴史小説。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322108000252/
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