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レビュー

『涙香迷宮』の流れを汲む迷宮的サスペンス・ミステリ―― 竹本健治『狐火の辻』文庫巻末解説【解説:宇田川拓也】

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

竹本健治『狐火の辻



竹本健治『狐火の辻』文庫巻末解説

解説
がわたく(ときわ書房本店)

 提示された不可解な謎が推理と手順を踏まえて解き明かされるのだから、ミステリととらえても間違いではない。けれど一番の読みどころが謎解きにあるかというと、そうはいい切れない要素をはらんでいるから悩ましい。
 と書けば、なるほどつかみどころのない物語なのだな──と思うかもしれないが、解かれるべき一連の謎は解かれてしまうのだから、〝摑みどころのない〟という印象はどうもふさわしくない。けれど摑んだはずの手からは「本当に摑めているのか」という感覚がじわじわと伝わってきて仕方がない。
 たけもとけん『狐火の辻』はように、割り切れるのに割り切れないこころもとなさを読み手に植え付け、地に着いていた足をふっと浮かせてしまうようなあやしい魅力を持った作品だ。本書は、「文芸カドカワ」二〇一八年十一月号から二〇一九年七月号(四月号を除く)、「カドブンノベル」二〇一九年九月号から十月号まで連載され、加筆修正のうえ二〇二〇年一月に刊行された単行本を文庫化したものである。
 物語は「序としての三つの断章」と題されたプロローグから幕が上がる。少年が森の奥へと続く小道の先にある〝底なし沼〟のほとりで遭遇した、「カ・エ・セ」と不気味な声で迫る鎌のような刃物を持つ全身真っ黒な姿のなにか。土砂降りの夜、若い男がき逃げされる現場に居合わせた目撃者と、その心の内に込み上げてくる〝〟への怒り。温泉宿での大学サークルのOB会のさなか、元恋人が目の前で車にねられるショッキングな場面に出くわした女性が見た、旅館の仲居さんのひどく驚いたような、放心したような、なんともいえない表情。
 二番目と三番目の話でひとが車に撥ねられる出来事が共通する以外、場所もシチュエーションもバラバラ。接点らしい接点もとくに見当たらない。
 そしてこの導入部を経て登場する、直近では『涙香迷宮』でも顔を見せた、ボサボサ髪にやぶにらみの眼、らんぐいのぞく口でニチャニチャとしやべるのが特徴のわら署刑事──なら。彼が興味を示す不可解な出来事が、高齢女性の運転する乗用車がハンドルを切りそこねて河原に落ちる際、撥ねたはずの男の姿が消えてしまったという、これまたつながりがあるのかないのか微妙な内容で、さらにそこから、何者かが募らせる恨みと殺意、近ごろネットで流行はやっている河原がわらのタクシー怪談、誰かを尾行している若い作業着の男とビルの屋上からなにか小さなものを投げ落とす謎の人物、最近おかしな人間が夜の街をウロウロしているというウワサ、たまたま夜の道で出会った若い男ふたりが十分後に戻ってみると消えていた──といった断片的なエピソードが連なり、まったくもって全容を推し量ることができないままパズルのピースばかりが増えていく。
 こうした雲を摑むような謎の数々をさかなに居酒屋談義を繰り広げるのが、前述の楢津木、交通課のいわぶちかおる、そしてゲスト参加のおみIQ二百八の天才棋士──まきともひさだ。
 その話の流れのなかで、智久が「タクシー怪談のルーツ」について様々な情報と事例を列挙しながら語ることで(ここがまためっぽう面白い!)、楢津木が一連の怪談的な出来事の読み解き方のヒントを得る場面は本作でも極めて重要なポイントといえる。物語の後半で、増えに増えたパズルのピースがみるみるはまり、こんなにも複雑だけれどな要素もなく、それぞれのつながりに説明がつくとは──と誰もが感嘆してしまうに違いない。
 そのうえで、著者は作中に小さな種をさりげなく配している。民生委員のがひたすら真っ暗な九十九つづらおりを車で走りながら「もう何十回も通って慣れた道なのに、今日は何だかいつもと違う。そうだ。この町で何かが起こっているのが本当なら、その何かが──それを裏で操っている何物かがこの奥深い山のどこかにひそんでいてもおかしくないだろう」と強い不安に駆られる場面、そして楢津木が居酒屋で口にする〝枯れススキの存在〟がそれだ。
 ラストで楢津木の目に映るある光景を通して、読者は『狐火の辻』というタイトルの意味を知ることになる。そこに智久が語った「タクシー怪談のルーツ」の深遠さ、志津恵が覚えた不安と〝枯れススキの存在〟を重ねてみると、何気なく過ごしている日常にもそこはかとなく〝何物か〟の気配が感じられ、いまという一瞬が無数にある〝辻〟のひとつへと引き寄せられている過程のようにも思えてきてしまう。この得もいわれぬ読後感は、鬼才の名をほしいままにしてきた竹本健治ならではといえよう。
 最後に、著者はツイッターの自身のアカウントにてロス・マクドナルド『さむけ』を引き合いに出し、「僕はミステリを伏せられたカードが次々にめくられていくものと考えてるんだけど、それからすると、この作品がまさにそう。トリックやロジックではなく、純粋にカードのセッティングとめくる手順のみでうならせる。(略)うまくいくとこんなにカッコいいんだという好例だが、ちなみに僕の『狐火の辻』もこの〈純粋カードめくり〉を狙ったのでした」と明らかにしている。新婚旅行の初日にしつそうし、帰るつもりはないといっていた妻が両手を血まみれにした錯乱状態で夫のもとに戻ってくる。彼女をここまで追い詰めるに至った真相を私立探偵リュウ・アーチャーが探る、このハードボイルド小説の名作中の名作をあわせて読むと、本作の難易度の高い試みをより深くたのしめること請け合いだ。

作品紹介・あらすじ



狐火の辻
著者 竹本 健治
定価: 792円(本体720円+税)
発売日:2022年01月21日

『涙香迷宮』の流れを汲む、鬼才が放つ圧巻のサスペンス・ミステリ。
土砂降りの雨の夜、湯河原の町で起きた轢き逃げ事件。数年後、またも温泉街で生じた交通事故。どちらも犯人逮捕に至らないまま、再び起きた郊外の交通事故では、なぜか被害者が跡形もなく消えてしまった。連続する事故に興味を抱いた刑事の楢津木は、やがて街中で次々に起こる奇妙な出来事や怪談にも繋がりを見出すが捜査は難航。彼はIQ208の天才棋士、牧場智久の力を借り真相解明に乗り出す。本格ミステリ大賞受賞作、『涙香迷宮』の流れを汲む迷宮的サスペンス・ミステリ。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322108000226/
amazonページはこちら


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