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人情味溢れる時代小説の新シリーズ――『ほたる茶屋 千成屋お吟』文庫巻末解説【解説:菊池仁】

想いと想いを繋ぐ、そのお役、承ります。人情味溢れる時代小説の新シリーズ
『ほたる茶屋 千成屋お吟』

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

ほたる茶屋 千成屋お吟』著者:藤原 緋沙子



『ほたる茶屋 千成屋お吟』文庫巻末解説

解説
きく めぐみ(文芸評論家)

『ほたる茶屋 千成屋お吟』は、文庫書き下ろし時代小説シリーズの名手として、数多くのヒット作を送り出し、普及に多大な貢献をしてきた作者の単行本シリーズと合わせて十作目となる。第一話「十三夜」の初出は、「小説 野性時代」二〇一七年十一月号でどんな工夫を凝らしてくるか気になったのですぐ手に取った。「これはいける」と思った。この点についての詳細は後述するとして、最初に作者のシリーズものの人気の秘密について述べておく。
 第一は、物語の重要な舞台装置となっている多彩な職業である。例を挙げると、第一作の「隅田川御用帳」では、主人公のおは縁切寺の御用宿の女将おかみ。これを皮切りに橋まわり同心、女医者、口入れ屋、見届け人、渡り用人といった職業が登場する。多彩な職業だが共通項がある。いずれもの町で暮らす人が苦難であえいでいたり、心に傷を抱えたりした時に、手を差し伸べ、寄り添うことを目的とすることを第一義に置いているところだ。つまり、人情の機微を敏感に感じ取り、情に濃い性格を主人公に付与し、そこに職業を媒介することで人生ドラマを紡ぎだす手法をとっている。それが共感を呼んだわけである。
 第二は、主人公の魅力である。この点について昨年末に刊行された『江戸のかほり 藤原緋沙子傑作選』の「あとがき」で次のような発言をしている。
〈まずはこの本にかけよう……そう心に言い聞かせて、登場人物も魅力的でなければならないと思った訳です。
 女性の読者の皆さんが「ああ、このような男の人と、ひとときでもいい、いっしょにいたいものだ」と思えるヒーローを登場させること。
 また男性の読者の皆さんが「麗しいうえにりんとして、その上そこはかとない色気を備えたこのような女の人に会ってみたいものだ」と思えるヒロインを登場させること〉
「隅田川御用帳」のお登勢とはなわじゆうろうの人物造形のモチーフを語ったものであるが、これが後続のシリーズの主人公たちの原型となっている。と言っても決して一本調子の人物造形ではない。育った環境や境遇に変化をつけ、職業の持つ独自性を加味することで、新鮮さを打ち出している。
 第三は、流麗な筆致を駆使して描いた情景描写である。作者はこのための重要な舞台装置として、川、橋、渡し場、坂などを場面作りのカギとして多用している。例えば、川は江戸にむ人々の心の故郷であり、橋は離合集散の場であった。川にも橋にも人生の縮図がある。江戸情緒が匂い立つ四季を背景として川や橋にたたずむ人を描くことで、登場人物の心象風景と同一化させる手法を編み出したのである。これが人の情の交錯する深い物語として歩き出し、読者にとっては感情移入しやすい回路として作用する。シリーズものに新しい読者を呼び込んだけつがここにある。
 これを前提として、本書が「いける」と思った理由を述べよう。シリーズがヒットするかどうかの命運を握っているのは、物語の導入部となる第一話の出来にかかっている。この点で第一話「十三夜」は、シリーズのために練りに練って用意した特徴をよく伝える、新鮮さにあふれた内容となっていた。読みどころを見ていこう。
 第一点は、冒頭の場面に注目して欲しい。主人公・おぎんが大坂から江戸見物にやって来たというおいねの依頼で、ないでも紅葉狩りの名所であるしながわかいあんを案内している場面で幕を開ける。お吟の職業がほんばしで『せんなり』の看板を掲げ、御府内のよろず相談を引き受けている女将であること。目鼻立ちも麗しく、立ち居振る舞いのしなやかな体からは、に入った女のようえんさがうかがえる。
 簡潔な紹介でありながら、江戸情緒を醸し出す紅葉狩りを映像的筆致で描き、読者をいざない、その中にヒロインの職業や容姿も織り込むこうけた出だしである。熟達した技量のなせる業といえよう。
 第二点は、お吟の巧みな人物造形である。次に紹介するエピソードがそれをよく物語っている。
 お吟は自分が捕まえたきんちやくりの女房に逆恨みされ、待ち伏せを受ける。み合ううちに女房が商売もののあわの串団子を地面に落としてしまう。うらみ言を言う女房に「そのお団子、みんないただきます」。意外な申し出に驚く女房。この後のセリフが実にいい。「そのかわり約束して下さい。私を恨むのはいいけれど、お団子はにこにこして売らなきゃね。このお団子食べたら福にめぐまれますよって、そういう顔で売らないと……笑顔でいればあなたにも福はきっとやって来ます」。
 窮地に立つ人の切実な想いに情理を尽くして応えるお吟。シリーズもののだいは、こういった質の高いエピソードを重ねていくことで、読者の中でお吟の人物像が豊かなものとして膨らんでいくところにある。そんな予感をもたらすものとなっている。
 第三点は、舞台装置となる職業だが、御府内のよろず相談を引き受けるのが仕事だ。人捜し、道案内、口入れ屋等々、ありとあらゆる困りごとを引き受けている。困りごとを手掛かりとしてその背後にある事情を察知し、もっともよい解決方法を模索する。身分も出身も様々な人々が暮らす江戸だからこその職業といえる。作者の工夫が光っている。
 第四点は、お吟の亭主は五年前に参りに行ったきり行方知らずとなっている。そのため心の中に時折虚しい風が吹いている。このお吟が背負っている喪失感は、お吟の人物造形を豊かなものとしていくための布石である。と同時に、シリーズを貫き、読者を誘い込む導線となっていくだろうと予測できる。
 第五点は、読者の支持を増加させていくコツは、脇役にキャラクターの立った人物を配置することと、チームワークの密度を濃くしていくことで生まれる。その点でも合格である。だいせんろうすけは、お吟の父親たんきたまち奉行所の同心だったあおやまへい右衛もんから十手を預かり、岡っ引として働いていた時の手下で、探索の腕は一流である。その青山は今はせがれに跡目を譲って、隠居して暇を持て余している。お吟が危険な事件に巻き込まれた時、修羅場を潜り抜けてきた経験と、派一刀流の腕前で、助けてくれる頼もしい用心棒的存在。忙しいお吟に代わって一家の台所を任されているのがおちよで、雰囲気を和ませてくれる。お吟を中心に固い結束でまとまっているチームである。
「十三夜」はお吟のもとに、二つの事件が舞い込む。父のかたきを捜すために江戸に出てきたいちの事件と、病んだ母のために女郎となった姉を捜すために江戸に出てきたおきみの事件である。この二つの事件が交錯するプロセスが興味深い。チームの役割分担が機能し、事件は落着する。特筆すべきはラストの二行である。
〈わが命を捨てても父の敵を討つのだと、その一念で生きてきた宇市のこれまでの人生を考えると、お吟は胸が痛くなった〉
 よろず相談をされた人の運命を心に留めて寄り添っていこうとするお吟のかかわり方をたった二行の文章に収めた秀逸なラストである。この他、本書には、「ほたる茶屋」、「雪の朝」、「うみぎり」の全四作が収録されている。
「ほたる茶屋」は女将のおふさを悩ませる奉公人の危難が相談事で、チームワークの良さを発揮して見事に解決する。
「雪の朝」は、半分にちぎられた地蔵の絵を手掛かりに、事件を解決するというミステリー色の強い手法で興趣を盛り上げている。
「海霧」は、ある大名の用人から、さる御仁の食事の世話と、安否を見届けて欲しいという奇妙な依頼で始まる。読者を誘い込む巧妙な仕掛けである。
 以上、作者が満を持して発表した新シリーズの幕が上がる。

作品紹介・あらすじ



ほたる茶屋 千成屋お吟
著者 藤原 緋沙子
定価: 814円(本体740円+税)
発売日:2023年01月24日

想いと想いを繋ぐ、そのお役、承ります。人情味溢れる時代小説の新シリーズ
日本橋で御府内のよろず相談を引き受ける『千成屋』の女将・お吟は、会津から来た客を伴い「ほたる茶屋」にやってきた。ところが、茶屋の女将のおふさと幸助と呼ばれる店の若い衆の、ただごとではない会話が聞こえてきた。幸助が突然店を辞めさせてくれというのだ。おふさは、前科持ちだった幸助を店に受け入れ、家族のように接してきたというが……。(「ほたる茶屋」より) 人と人の想いを繋ぐ、感動の江戸時代小説。新シリーズ、第一弾。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322207000252/
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