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レビュー

葉室麟の隠れた名作――『刀伊入寇 藤原隆家の闘い』文庫巻末解説【解説:青木千恵】

「日本」の運命は、荒くれ者の公卿に託された!
葉室麟の隠れた名作。
『刀伊入寇 藤原隆家の闘い』

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

刀伊入寇 藤原隆家の闘い』著者:葉室 麟



『刀伊入寇 藤原隆家の闘い』文庫巻末解説

解説
青木 千恵(書評家)

 生きることの意味とは、本当の美しさとは何か。人間の生き方を、歴史時代小説を通して描いた作家が、葉室麟さんである。本書『刀伊入寇』は、実在の公卿を主人公にした平安戦記エンターテインメントだ。
 時は平安中期、主人公の藤原隆家は、一条天皇(第六六代天皇)の摂政関白を務め、中関白と呼ばれた藤原道隆の四男として生まれた。貴族の家に生まれながら、隆家の心にはなぜか荒ぶるものがあり、「どこかに、強い敵はおらんものかな」と呟いていた。天皇の外戚となることをめぐって兄弟同士がいがみ合う、藤原家内部の政争を隆家は好まなかった。自分はそんな生き方はしたくない。だからこそ、強い敵を求めて闘いたいのだった。
 物語は、長徳元年(九九五)に始まる。前年に十六歳で公卿に列した隆家は、四月六日、十七歳にして権中納言となる。三歳上の姉定子は一条天皇に寵愛されており、父道隆の隠退後は、五歳上の兄伊周が関白の座に就くと思われていた。ところが四月十日に道隆が亡くなり、叔父の道兼が関白職に就く。その道兼が疫病で五月八日に没すると、皇太后詮子の策動で叔父道長が昇進していく。凡庸で鷹揚に見えた道長は地位を得て変貌し、伊周と対立する。一方、中関白家に恨みを抱く花山院(第六五代天皇)には、異様な風体の「鬼」たちが仕えていた。陰陽師の安倍晴明は、「いえ、あなた様が勝たねば、この国はほろびます」と隆家に言い、鬼たちの名は「」だと告げた──。
『刀伊入寇』は二〇一〇年から一一年にかけて「月刊ジェイ・ノベル」に連載され、実業之日本社から一一年六月に単行本、一四年四月に文庫が刊行された。今回の角川文庫版は、再編集による二次文庫だ。実業之日本社の単行本、文庫で割愛された部分も収録した、雑誌連載に沿った編集である。映画なら名作『ブレードランナー』に、初期の劇場公開版、ディレクターズ・カットなど複数のバージョンがあるのと同じだ。読み比べたところ、どちらも面白い。本書は雑誌連載に沿っているので、執筆時の筆の勢いが残り、隆家の荒ぶる気性と闘いの惨さ、著者のイマジネーションを、より素の状態で読めるバージョンである。また、著者の葉室麟さんが亡くなられてから五年が経ち、そのまなざしと作品をあらためて捉え直すことができる一巻となる。
 私(青木)は二〇一〇年十月と二〇一二年二月に、葉室さんにインタビューをする機会を得ている。一度目は「刀伊入寇」を執筆中の葉室さんに取材していたわけで、〈〝推古天皇からマッカーサーまで〟がキャッチフレーズで(笑)、古代に遡ってずっと歴史を描きたい。どういうふうに題材と出会うか、その都度、手探りでやっていきます〉(トーハン「新刊ニュース」二〇一一年一月号)と仰っていた。作家としてどう歩むか、手探りの時期だったのだ。驚いたのは、私の名刺を見て「あ、『秋月記』の書評を書いてくださったでしょう」と言われたことである。びっくり。本についての同人サイトで書いた書評を、ご覧になっていたとは。葉室さんは、穏やかな印象の人だった。
 さて、本書『刀伊入寇』は、どんな物語だろうか。前述したように、父道隆の死後、中関白家の運命は暗転する。花山院と中関白家の確執と「闘乱」事件を利用した道長によって、隆家と伊周は配流される。大切な人を次々に亡くし、隆家は孤独な境涯に落ちていくが、荒ぶる気性は変わらない。圧倒的権力者へと上り詰めていく道長と、権力の外側へ追いやられる伊周、隆家兄弟という、「光と影」の対比は鮮やかだ。だが、葉室さんは物語を通して、いや、本当はどちらが「光」なのか、人生の輝きはどんな瞬間に放たれるのかを問いかける。道長の娘彰子に仕え、『源氏物語』を描いた紫式部が登場して、〈伊周の美しさと優しさ、そして隆家のぜんとした強さを兼ね備えた男こそが光源氏そのひとではないか〉と問うのだ。〈道長は現世で光源氏のような栄華の中にいる。だが、その心映えは光源氏のように美しさを持っていない〉。それなのに道長が栄華を極めるという、人間社会の不条理を描き出している。
 また本書は、個性的なキャラクター、引き込まれるストーリー、政争もアクションもありという、歴史小説の醍醐味を存分に味わえる作品だ。水木しげるや白土三平の漫画に親しみ、高校時代にリアルタイムで司馬遼太郎『竜馬がゆく』を読むなど、歴史物の潮流にずっと触れていた葉室さんには、エンターテインメントを描く素地があった。隆家はやがて九州の大宰府に赴き、真の「強い敵」とついに相まみえる。それは、「排除」と「忖度」がばつする宮廷の、ちまちました陰湿な権力争いとはまったく事情の異なる大敵だった。どんな状況でも、隆家は自分らしくあり続ける。そんな隆家とかかわるのは、謎の法師乙黒、花山院に仕える異形の鬼たち(その正体は次第に明かされていく)、清少納言、紫式部、藤原道長ら平安オールスターズである。
 ここで、「刀伊入寇」という題材を、デビュー六年目の葉室さんが選んでいた点に注目する。平安中期に政治を担っていたのは、京都の天皇と貴族たちだった。〈武家の勢力はまだ台頭しておらず、藤原氏は一門内での出世争いに狂奔するばかりで、国外に目を向けることなく、言わば惰眠をむさぼっていた〉。権力者と取り巻きの「今だけ、ここだけ、自分だけ」の腐敗は、いつの時代も、どこの国でも起こる。葉室作品には、架空の小藩を舞台にした直木賞受賞作『蜩ノ記』のように、小さな組織内の濃密な人間関係を描いたものがあれば、本書のように「国」のスケールに主人公を立たせるものもある。葉室さんはミクロとマクロのまなざしを併せ持つ作家で、市井の人の繊細な心情も、存亡の危機に立ち向かう闘いも描いた。本書では、宮廷の濃密な人間関係を離れ、大宰府に赴いた隆家の闘いを描く。一人の人間がそこでどう生きたのかに着目しており、そして実は彼こそが、まつりごとを担う公卿の本来あるべき姿だったのだ。暴れん坊の貴公子だった隆家が学び、いつしか国際的な視野からの選択を為す公卿となっていたことを、史実に基づいて示す。
 美しい、と人はよく口にするけれど、美しさとは何だろうか。本書には、葉室さんの考える美しいものが描かれている。藤原道長には、自らの権力を詠んだ有名な和歌がある。「此の世をば我世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」だ。こうこうと夜空に浮かぶ満月はたしかに美しい。しかし、欠けていく虚しさを通り越した先にある、それでも生きようと再び姿を現した月のほうが、もっともっと美しいのではないか。〈困難や悲しみに出会ってもくじけず、悲哀を乗り越えて生きたとき、その人は輝き、人生の意味が深まっていると思います〉(前掲「新刊ニュース」)と、葉室さんは仰っていた。くじけずに生きた人たちがいてこそ、この世界は続いてきたのではないか。ならば歴史を自分なりに見据え、そこにいた美しい人の物語を紡ぐ。葉室さんは穏やかな印象の人だったが、隆家のように荒ぶるものを心に抱いていたのではないだろうか。そうでなければ、十三年という短い間に、獅子奮迅の勢いで六十余りもの作品を描けない。
 晩年の葉室さんは明治維新からの「日本の近代化」をテーマにし、二〇一七年の急逝により、外交官・陸奥宗光を描いた『暁天の星』は未完となった。この国はどのように歩んできて、どこへ向かうのか。日本の来し方を探る葉室さんの新作を読むこと、けいがいに接することはもう叶わないけれど、作品は残されている。葉室さんの言葉を聞きに、繰り返し訪ねたい秀作ばかりだ。本書はその一冊。通説の歴史は勝った側が構成したもので、実は本書のように知られざる出来事があり、人がいて、歴史の奔流の大部分を成している。ただ、知られていなかったのだ。

作品紹介・あらすじ



刀伊入寇 藤原隆家の闘い
著者 葉室 麟
定価: 880円(本体800円+税)
発売日:2023年01月24日

「日本」の運命は、荒くれ者の公卿に託された! 葉室麟の隠れた名作。
どこかに、強い敵はおらんものかな――。平安時代、栄華を極める一門に産まれた藤原隆家は、公卿に似合わぬ荒ぶる心を抱えていた。朝廷で演じられる激しい権力闘争のさなか、安倍晴明と出会った隆家は、国を脅かす強敵が現れることを予言される。やがて花山院と対立し、九州に下向した隆家が直面したのは、熾烈を極める異民族の襲来だった。荒くれ者公卿は、世の安寧を守り抜くことができるのか。血湧き肉躍る戦記ロマン!

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322210000687/
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