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レビュー

金田一の愛すべき人柄は捜査側にも、犯人の側にもしこりを残さない――『毒の矢』横溝正史 文庫巻末解説【解説:中島河太郎】

横溝正史生誕120年記念復刊! 横溝正史の異色傑作!
『毒の矢』横溝正史

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

毒の矢』横溝正史



『毒の矢』文庫巻末解説

解説
中島河太郎 

 著者が博文館に入社されたのは大正十五年であった。はじめ「新青年」の編集に従事し、「文芸俱楽部」に移り、最後は「探偵小説」を任された。
「探偵小説」は海外作品の翻訳と実話読物を主にした雑誌だったが、著者は長篇の一挙掲載を心掛けた。そのなかにメースンの「矢の家」がある。これはまがまがしい密告状が横行して、疑心暗鬼とさいしんをそそりたてる物語だが、本篇の発想にも幾分かその影を落としているかもしれない。
「毒の矢」の原型は昭和三十一年一月号の「オール読物」に発表された。そのとき百十五枚だったものを、改稿して三倍近くにされたのが本稿である。
 黄金の矢と署名した人物の密告状から幕を開けるが、こういう警察には持ち込みにくい難問の相談をもちかけるには、まさに金田一耕助はうってつけであった。しかも彼はここ、世田谷区緑ヶ丘に事務所を設け、たちまち近隣の人たちから親愛の情を寄せられ、信望を博するに至った。秘事に触れた不吉な文書を受け取ったものが、相談したくなるような人柄が、また金田一のしんしようでもあった。
 このおぞましい手紙の筆者は、同じ相手に何回も繰り返し送っているばかりか、同様のものを方々に書き送っているらしい。金品を用意せよという、脅迫がましいことが記されているにもかかわらず、どうやらその方には目もくれぬらしい。そうするとまるで「毒矢のように、他人の古傷の古傷をあばき、他人の家庭の平和を破壊するのが目的」だとすると、ますます犯人の邪悪な意図を警戒しなければならなくなる。金田一ならずとも、このまがまがしいよううんの重苦しさを憂慮せざるを得なくなるのである。
 緑ヶ丘は戦前、東京都内でも富裕人種の住宅街として知られていたが、戦後は住人もあらかた入れ替ってしまった。それだけにめいめいの生活も人柄も皆目見当がつかなくなった。そのためこういう密告状の内容が、果して真実なのか、中傷なのか、一概に予断を許さないし、隠微な事柄だけに訊くことをはばからねばならぬような性質で、さすがの金田一も時機の熟するのを待つほかはなかった。
 だが、この卑劣な書状が単なる家庭の破壊者として、ばつしているうちはまだよかったが、一週間後には血なまぐさい殺人事件をき起こすに至ったのである。
 アメリカ帰りの陽気な未亡人が、黄金の矢の狙いの的になっているのだが、彼女のじようは明らかでない。彼女は密告状に悩まされている緑ヶ丘の住人に代って、その正体をあばいてふくしゆうし、同時にみんなをアッといわせようという趣向で、パーティーを開く。その会合で彼女自身が血祭りにあげられたのだ。
 しかもその殺害の方法が、麻酔薬をがしていんこうをしめて殺し、それから矢を突き刺すという念の入ったものである。彼女の背中には十三枚のトランプのカードの刺青いれずみが施されていて、そのうちハートのクイーンの上に、矢が突っ立っていた。
 この異様な死体状況の謎を解く鍵が、鋭敏な少女によって与えられたというのも、この事件の特異な点であった。身体障害児の被害者の養女は、殺された刺青女が自分の母親とは思いもよらぬだけに、冷静にさいな点まで見のがしていなかった。それが犯人のこうな計画の裏をかく結果になったのだから皮肉である。
 だが、この鋭敏な観察眼の持主だけに、こわくなった犯人は、少女の口を封じておこうと、絞殺の挙に出たものの、発見が速くて未遂に終わった。この不幸中の幸いをみんなが知ってしゆうを開いたあと、事件は急転直下、解決して、金田一のきよくを尽くした絵解きに堪能させられるのだ。
「黒い翼」は「毒の矢」に引き続いて執筆され、昭和三十一年二月号の「小説春秋」に掲載された。
「毒の矢」事件の解決は、それに悩まされていた緑ヶ丘の住人をあんさせた。「この緑ヶ丘の住人で金田一耕助先生をしらなきゃもぐりでさあ。緑ヶ丘の恩人じゃありませんか」といわれるほど、名声とみにあがったのである。
 その折り恩恵をこうむった映画監督が、金田一が遊びに寄ったのを幸い、新たにこの地区の住人となった人気女優の引っ越し祝いの会に紹介かたがた引っ張って来られた。そこへ持ちこまれたのが、幸運の手紙ならぬ黒い翼であった。
 幸運の手紙なら、戦後流行して世を騒がせたことがあるから、まだ記憶しておられる読者もあるかと思うが、このほうは葉書を出さぬと、恐ろしい秘密が暴露し、ひいては流血の惨事の起こることを予言して、一段と不吉な凶相を濃くして、たちが悪い。前の「毒の矢」が個人的な秘密を嗅ぎつけて脅迫するのとは少し趣きを異にしていて、文面が画一的だから圧迫感は薄らぐものの、そのまま捨て置きにくい不安を醸成するにはやはり効果的であった。
 世間一般はともかくとして、もっとも被害をこうむったのは有名人であり、ことに芸能界の人気者は被害甚大だった。緑ヶ丘へ新たに転入した人気女優のサロンでも、この黒い翼が話題になるのを避けられなかったのは当然であったろう。
 ここへ集まったのは監督、俳優、マネージャーなどの映画関係者だが、一年ほど前にこの家で女優が不可解な死を遂げたときも顔をそろえていた連中である。しかも死者の妹、そのとき立ち会った医者までいて、金田一を除いてはみな事件につながっていた。
 死んだ女優の一周忌の追悼会についての打ち合わせを兼ねた集まりでもあり、ことに金田一が出席しているので、一年前の事件についての論議がむし返されたのは当然かもしれない。はじめは自他殺をきめかねたのだが、一転して自殺と決着した。生前、清純女優として知られていた彼女も、どうやらきようかつされるだけの暗い秘密を背負うていたらしい。
 一周忌の供養が、みんなを悩ましている黒い翼の葉書を焼却する行事に発展し、こぞってマスコミの関心と支援を得て、盛況に終わったあとの女優邸でのパーティーの席上、凶事がぼつぱつした。さいやくを追放するどころか、逆に招き寄せたような皮肉な結果となったのである。
「毒の矢」事件で緑ヶ丘の警察に協力した金田一は、橘署長、島田捜査主任、佐々木医師らとも顔じみだし、解決のため一肌ぬいでくれるよう要請された。そうでなくても彼の眼前で行なわれた二重殺人事件の解決に、猛然と闘志をかきたてられずにはいなかったのだ。
 改めて死んだ女優の臨終の告白がろうされ、彼女のゆずったロケットに隠された秘密を発見したことから、金田一の推理はえて、一挙に両事件の真相に肉薄する。
本陣殺人事件」以下の岡山物が、封建制下につちかわれた観念と習俗に織りなされた人間の思考に導かれた錯誤であったとするなら、「毒の矢」「黒い翼」ひいては「白と黒」に見られるとくめいの通信文は、個人の陰湿で加虐趣味にとらわれた変質者の凶行であった。だが後者の術策は必ず策におぼれて、そのさかしらが金田一のために墓穴を掘る結果となっている。
 これら緑ヶ丘の警察との協力は、「悪魔の降誕祭」「女の決闘」などにも見られる。金田一の愛すべき人柄は捜査側にも、犯人の側にもしこりを残さない。陰湿な惨劇を扱いながら、後味がいいのはひとえにこの探偵の存在があずかって大きい。

作品紹介・あらすじ
『毒の矢』



毒の矢
著者 横溝 正史
定価: 814円(本体740円+税)
発売日:2022年04月21日

横溝正史生誕120年記念復刊! 横溝正史の異色傑作!
高級住宅街緑ヶ丘町一帯に、突然、悪意に満ちた奇怪な密告状が舞い込み始めた。差出人は黄金の矢と名乗る謎の人物。はじめは、たちの悪いイタズラと笑い過していた人々も、殺人事件が起こるにいたり、たちまち恐怖のどん底に叩き落された。被害者はアメリカ帰りの富裕な未亡人で、むき出しの背中に彫られたトランプ散らしの刺青のうちハートのクイーンの部分を、無気味なからす羽根の矢が深々と刺し貫いていた! 金田一耕助の名推理が冴える奇怪ミステリーの傑作、ほか一篇を収録。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322202000839/
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