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〝悪いこと〟をする悪いやつは本当に〝悪いやつ〟なのか? その問いを読む者に突きつける――『煉獄の使徒』馳 星周 文庫巻末解説【解説:霜月 蒼】

警察×政治家×カルト教団! 上下約1600ページ、著者畢竟の大作!
『煉獄の使徒』馳 星周

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

煉獄の使徒』馳 星周


『煉獄の使徒』馳 星周  カバー画像 

『煉獄の使徒』


『煉獄の使徒』文庫巻末解説

解説
しもつき あおい(書評家) 

 久しぶりに通読して、あらためて「とんでもない小説だ」とうめいてしまった。『煉獄の使徒』のことである。馳星周は日本の犯罪小説史で最重要の作家のひとりだが、そのビブリオグラフィ中、本書は物理的に最長かつ内容的に最凶を誇る代表作。得体の知れない怒りのような熱が、上下合計一六〇〇ページの巨体に充満している。これほどの破壊衝動を描きつくした犯罪小説は他にはない。好き嫌いは脇において、とにかくとんでもないものを読んでみたいというひとは、本書を読んで損はしないはずである。

 本書は二〇〇九年に新潮社より上下二巻のハードカヴァーで刊行された。二〇一二年に新潮文庫に収められ、今回、新たに角川文庫での刊行となった。物語は〈真言マントラの法〉というカルト教団に関わる三人の主人公の視点で描かれてゆく。ひとりめは教祖のじゆうもんげんこうとともに教団を立ち上げ、「侍従長」という肩書で組織としての教団をとりしきる弁護士・こうとしかず。ふたりめは高校を出てすぐに出家し、教団に身も心もささげるナイーヴな若者・おおしんぺい。そして警察庁内部の派閥抗争のあおりで汚名とともに左遷された公安刑事・だまひろ警部補。以上の三人である。
〈真言の法〉は出家信者に財産をすべて喜捨させることなどから、信者の家族とのトラブルが絶えなかったが、教団が宗教法人としての認可を申請している重要な時期に、みずがきという弁護士を中心にして被害者の会が立ち上げられた。水書はテレビを通じて大々的に教団の問題を訴えようとしているという。この報を聞いた教祖・十文字が下した決断は、水書弁護士の殺害だった。幸田と慎平は、他の過激派信者とともに、この弁護士殺害チーム入りを命じられる。だが不幸な偶然が重なり、彼らは水書弁護士のみならず、その妻と、生まれたばかりの赤ん坊まで殺害、遺体を山中に遺棄せねばならなくなった。
 惨殺事件の一部始終を目撃していたのが児玉だった。十文字の命令で暴力団からかくせいざいを仕入れる幸田を見かけ、不審に思った児玉は、ひそかに幸田の監視をつづけていた。それで弁護士一家殺害の現場に居合わせることになったのである。だが児玉は事件を通報しない。代わりにこれをテコにして幸田に接近する。要求するのはカネだ。こうして〈真言の法〉は、児玉のかねづるとなる。やがて教団が自前でドラッグの製造をはじめれば、覚醒剤を暴力団に卸す仲介をする。児玉が狙うのは、自分に汚名を着せた派閥へのふくしゆう。そのための資金を児玉は幸田から巻き上げる。それはやがて児玉の敵の敵である与党議員への政治資金供給につながってゆく。つまり〈真言の法〉は政治家の資金源となる。教団が摘発されれば政治資金は絶える。かくして児玉=政界のコネクションが〈真言の法〉を法の手から守ることになる。
 権力ののもとに置かれていることを知らず、教祖・十文字の反社会的な野望はエスカレートし、幸田のコントロールが効かなくなってゆく。信仰のために幼子を殺した罪悪感に苦しむ慎平も教団の残虐性を目の当たりにし、苦悩を深めてゆく。そして妄想にとらわれた教祖と、それに従う信者たちは、化学兵器によるの無差別テロへと突き進み……。
 というあらすじに、ある種の既視感を感じる読者もいるだろう。そのとおり、本書は、一九九五年の地下鉄サリン事件をはじめとするオウム真理教による一連の凶悪犯罪をモデルにしている。といっても、現実に起きた犯罪を小説風に書いたノンフィクションではまったくない。オウム真理教が実行した「坂本弁護士一家殺害事件」「たんきんテロ未遂事件」「地下鉄サリン事件」や、同教団の幹部が右翼団体の構成員を自称する男に殺害された事件など、現実の事件が『煉獄の使徒』でも描かれているが、こうした現実の事件は、いわば虚構と現実とが交差する点となる。馳星周は、現実の「事件」たちを揺るがさない「定点」とし、こうした定点と定点のあいだの物語を紡いでゆく。われわれの目に見える「事件=定点」を水面下で結ぶ地下茎のようなドラマを。
 三人の主人公の軌跡たる三本の地下茎──正しく美しいものを目指した太田慎平の希望とせつの物語と、信念を失ってクレバーな利益の追求を決意したはずの幸田敏一の焦燥と転落の物語と、裏切り者への復讐のためにすべてを犠牲に捧げる児玉弘樹の非道と自滅の物語。それが『煉獄の使徒』という大作を織り成している。通奏低音となっているのは激烈な「怒り」の感情である。それが世界の破壊へと向かってゆく。
 本書刊行当時のインタビュー(「波」二〇〇九年六月号)で馳星周は、自分の中にある怒りについて、「オウム事件にしても(略)何故こんな酷いことが出来るんでしょうなんて、それだけで放り出してしまう世間の想像力のなさ」に向けられていると語っている。「他人ひとごととして済ませて忘れてしまう共感の欠如に対して」の怒りであると。言い換えれば、『煉獄の使徒』は、オウム真理教事件を読者にとって「自分事」にさせてしまうことを企んだ小説なのだ。馳星周が紡いだ「定点」と「定点」のあいだをつなぐ物語は、そこを目指している。慎平の悲しみと怒り、幸田の絶望とていねん、児玉の野望とおんねん。いずれも僕たちのなかにある悲しみや怒りや絶望や諦念や野望や怨念と変わらない。同じくらい卑小でありふれたものだ。そのことに気づいたとき、僕たちは彼らの激情を共有してしまう。世界の破壊に直結する感情を自分の中に呼び込んでしまう。彼らは他人ではなくなる。
 ポジティヴな感情であれネガティヴな感情であれ、脳内物質の力学を文字によって擬似体験させるのが文学とするなら、ここにあるのはまぎれもなくそれなのだ。

 刊行から十年以上経った今振り返ると、『煉獄の使徒』は馳星周の「第二期」と呼ぶべき時期の到達点であり、それまでの馳星周の総決算だったとわかる。
 一九九六年に『不夜城』でデビューした馳星周は、アメリカのジェイムズ・エルロイやアンドリュー・ヴァクス、イギリスのデイヴィッド・ピースといった作家たちと共振して、「ノワール」と呼ばれる酷薄な犯罪小説を日本で単身切りひらいた作家だった。理性のくびきを逃れようとする衝動のうねりを映すかのような切迫した文体を駆使して、馳星周は己の衝動に引きずられて破滅してゆく人々の物語を紡いでいった。それが第一期だ。
 第二期がはじまったのは二〇〇六年の『ブルー・ローズ』からである。ここで馳星周は、シニカルなユーモアから壮絶な激情への転換という語りのダイナミズムを通じて「馳星周式のノワール」を批評的に解体・再構築してみせ、いわば第一期の総決算と第二期の開幕を高らかに告げた。この第二期を代表するのが本書『煉獄の使徒』と、前年の二〇〇八年に発表された『勒世るくゆー』である。いずれも大作であり、『弥勒世』も文庫本にして一五〇〇ページ超え。この二作はテーマを共有し、対を成すような性格を持っている。
『弥勒世』は返還前夜の一九七〇年に沖縄で起きた「コザ暴動」をモデルとしている。現実の出来事に材を取って、「定点をつなぐ」手法がとられている点が『煉獄の使徒』と共通しているが、それ以上に重要なのは、馳星周がインタビューに答えて、『弥勒世』のテーマは「革命」と「武装蜂起」だと語っている点だろう(Web集英社文庫「歪みと熱気の沖縄返還前夜」)。翻って『煉獄の使徒』は、「テロ」と「武装蜂起」の物語である。「テロ」と呼ばれるか「革命」と呼ばれるかは、蜂起した者が敗北したか勝利したかの違いでしかない。地べたに立つ個人が世界を破壊しようとするという行為の点では一緒なのだ。個人が成しうる犯罪で、国家を殺そうとする武装蜂起よりも大きなものはない。つまりテロリズム・ノワール/ライオット・ノワールとでも呼ぶべき『煉獄の使徒』『弥勒世』は、犯罪小説の極北だった。
 これ以降、馳星周の作品は「ノワール/犯罪小説」の枠を脱してゆく。こうした作風の多様化のキッカケについては、馳星周本人がコミカルな警察小説『アンタッチャブル』のあとがきに記しているので参照いただきたい。いずれにせよ、せいひつな犯罪悲劇『淡雪記』、犬への愛を注ぎ込んだ『ソウルメイト』、山岳冒険小説『蒼き山嶺』、歴史小説『比ぶ者なき』など、第三期の馳星周の多様性は驚くべきものであり、こうした試みが、ついに『少年と犬』による第一六三回直木三十五賞の受賞として結実したことは言うまでもないだろう。

 犯罪小説とは、〝悪いこと〟は本当に〝悪い〟のか、という問いを追究する文学である。正義と理性の高みからではなく、欲望と衝動の地べたから〝悪いこと〟を見つめるノワールという文学──それをたったひとりで日本に定着させたのが馳星周だった。彼が切り拓いた「ノワール」という場所に、いま、深町秋生の『ヘルドッグス』や、柚月裕子の『孤狼の血』や、佐藤究の『テスカトリポカ』といった小説たちがある。
〝悪いこと〟をする悪いやつは本当に〝悪いやつ〟なのか? 『煉獄の使徒』は、その問いを、最大で最悪の犯罪を通して読む者に突きつける。これは犯罪小説という文学にできる最大の問いでもある。彼らは僕らと無縁の他人なのか?
『煉獄の使徒』が突きつけるこの問いに、イエスと言うことは僕にはできない。

作品紹介・あらすじ
『煉獄の使徒』



煉獄の使徒 上
著者 馳 星周
定価: 1,144円(本体1,040円+税)
発売日:2022年04月21日

警察×政治家×カルト教団! 上下約1600ページ、著者畢竟の大作!
“カリスマ教祖”十文字源皇率いる〈真マントラ言の法〉。弁護士の幸田敏一は十文字と共謀し、教団ナンバー2の侍従長として勢力拡大を推し進める。組織に切り捨てられ左遷された公安刑事の児玉弘樹は、金の匂いを嗅ぎつけ、この新興宗教に接近する。教団に不利な行動をとる弁護士の殺害計画が持ち上がったとき、男たちの欲望は業火の火種となり、音を立てて燃えはじめた――。著者畢竟の大作にして圧巻のノワール・サスペンス。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322108000237/
amazonページはこちら



煉獄の使徒 下
著者 馳 星周
定価: 1,144円(本体1,040円+税)
発売日:2022年04月21日

人はここまで堕ちていく――未曾有の巨編が迎える衝撃のラスト。
毒ガス・サリン撒布計画を実行に移す――。教祖・十文字の反社会的なエゴは肥大化し、やがて侍従長である幸田のコントロールが利かなくなってゆく。若き幹部・太田慎平は信仰のために自らが犯した罪に苛まれ、苦悩を深める。一方、金蔓と見定めて彼らと手を組んだ警部の児玉は、権力者たちの暗闘に搦めとられていく。負の感情に囚われ、死臭を放ち始めた男たち。向かう先は天国か地獄か。未曾有の巨編が迎える衝撃の結末。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322108000238/
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