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レビュー

シリーズ作者ならではの視点と技術が盛り込まれ、かつ一冊完結ならではの魅力が詰まっている――『髪結おれん 恋情びんだらい』千野隆司 文庫巻末解説【解説:大矢博子】

女の髪は、心の内側を現す――著者渾身の感動作!
『髪結おれん 恋情びんだらい』千野隆司

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

髪結おれん 恋情びんだらい』千野隆司



『髪結おれん 恋情びんだらい』文庫巻末解説

解説
おお ひろ(書評家)

 ブームと呼ばれる時期を過ぎ、すっかりひとつのジャンルとして定着した文庫書き下ろし時代小説のシリーズ。たかはまさにそのジャンルをけんいんしているひとりだ。二十巻を数える『おれは一万石』シリーズ(双葉文庫)や、角川文庫に場を移して新章も好調な『新・入り婿侍商い帖』シリーズ、商人の世界を描く『下り酒一番』シリーズ(講談社文庫)や『出世商人』シリーズ(文春文庫)など、並行して幾つものシリーズを精力的に読者に届けてくれている。一年の刊行点数が十冊を超えることも珍しくなく、まさに「月刊千野隆司」状態だ。
 ところが、それほど忙しい中にもノンシリーズの作品をじようするから驚く。それが本書『髪結おれん 恋情びんだらい』である。シリーズ作者ならではの視点と技術が盛り込まれ、かつ、シリーズとはまた違った一冊完結ならではの魅力の両方が詰まっているので、それを紹介していこう。
 主人公は、姉のおまつとともにまわり髪結を生業なりわいにしているおれん。両親を亡くし、姉に髪結を習いながら、ようやくひとりでお金を稼げるようになったところだ。両替商で働くきちと恋仲で、弥吉が手代になったのを機に所帯を持とうと告げられた。また、姉のお松もかざり職人のつたといい雰囲気で──というなんとも幸せな場面から物語が始まる。
 しかし、弥吉が店の金をやくざ者に奪われたことから運命が狂い始める。弥吉はその後、再度やくざ者に襲われたとき、誤って相手を殺してしまうのだ。下されたは遠島。帰りを待つと誓ったおれんだが、その前後からおれん姉妹は何者かに付け狙われるようになる。なぜ彼女たちが狙われるのか? そのてんまつは?
 ──というのが第一話「鬼灯ほおずきの味」のあらすじだ。物語はおれんが十六歳のときに始まり、二十歳までを描いている。
 まず、廻り髪結という設定がいい。髪結を主人公にした時代小説といえば『髪結い伊三次捕物余話』シリーズ(文春文庫)を筆頭に、いずみゆたか『髪結百花』(角川文庫)、いま髪ゆい猫字屋繁盛記』(角川文庫)、くらもと『むすめ髪結い夢暦』(集英社文庫)など多く思いつくが、髪結とはさまざまな家庭や店に出入りして客と接する職業であることに注目願いたい。主人公がそこで客の人生にかかわったり、トラブルに巻き込まれたり、捕物帳の場合はそこで情報を集めたりすることで、群像劇や連作短編の形になりやすいのである。
 本書でも、離縁して一人暮らしをしているっぽい女性の本音、船宿の娘の恋とそれに反対する女将おかみ、矢場のごうつく婆の事情、はては女すりが巻き込まれた事件など、一話ごとに実にバラエティに富んだ物語が用意されている。さらにそれぞれサスペンス仕立てになっていて、謎解きにうなる話あり、立ち回りにハラハラする話あり。これはシリーズものの構成だ。このままおれんを主人公にシリーズにすることだってできたはずなのである。
 けれど著者はこれを単発の長編として描いた。それはおれんの四年間の成長と心情の変化こそがこの物語の主題だからだ。
 おれんが出会った客たちを思い返していただきたい。姉も含め、ここに登場するのは理由は違えど「ひとりで生きていくことを決めた女性」が大半なのである。小さなおふさですら、誰かにしてもらうのを良しとせず自分にできることを見つけようとする。
 おれんは島流しになった弥吉のことを思い続ける。けれどいつ赦免になるかはわからないし、戻ってこないかもしれないのだ。であれば自分も一生ひとりで生きるのか。そんなときこころかれる男性が現れる。その揺らぎ。おれんが出会う女性たちは「なったかもしれない」自分なのである。これがシリーズであれば、おれんは狂言回しとして、それぞれの客を主人公とした物語が展開されるだろう。けれど本書では、客の彼女たちはおれんの心を揺らす存在として登場する。男を信じられない女もいれば、愛しすぎる女もいる。愛を貫くとはどういうことか、とらわれるとはどういうことか、断ち切るとはどういうことか、あきらめるとはどういうことか、そして、ひとりで生きていくとはどういうことか。さまざまな女性と、その恋情の行方を見せることで、おれん自身を浮き彫りにしていく。
 そしてもうひとつ、お松を含め、おれんが出会った女性たちが物語の中で「変わる」ことにも気付かれたい。望むと望まざるとにかかわらず、人は変わる。環境が変わることもあるし、事情が変わることもある。そして彼女たちは、その変化を誰一人として後悔していないのである。
 変化とは、選択なのだ。第四話で、おれんはひとつの選択をする。その選択に後悔はないが恐れはある。選択したのはおれんだとしても、それを他の人が(誰が、と書くと話の展開をばらしてしまうことになるのでぼかした表現になるが)どう感じるかはわからないから、それが恐い。そんなおれんの心情の描写が見事だ。読者はおれんとともに、「その瞬間」をかたんで迎えることになる。
 本書を最後まで読めば、これがシリーズではなく、ここで完結する意味がおわかりいただけるだろう。第一話から続いていた未解決の事件と、おれん自身の迷いや恐れが、実に鮮やかな形で、ここしかないという場所に落ち着くのだ。決して八方がハッピーエンドになるわけではない。一部には、とても胸がふさがれるような切ない結末もある。だがそれも含めて、物語は見事に幕を閉じるのである。
 さまざまな運命の女性たちと対比させながら描かれた、おれんの恋の物語だ。各話に登場する植物も、それぞれのテーマを象徴している。鬼灯の苦味、寒さの中で実るやぶこうりゆうじよのはかなさ、くわうりの甘さ。章題にもなったそれらの植物の並びのあとで、唯一、最終話だけが異なるタイトルがつけられている。私にはそれが、春夏秋冬それぞれのつらさを越え、しっかりと未来を見つめるおれんの決意表明に思えてならない。
 シリーズ作品の読者も、ぜひ本書を手にとっていただきたい。シリーズ作品の技術がふんだんに生かされた、けれど単発作品ならではのダイナミズムと情感がたっぷり味わえることを、お約束する。

作品紹介・あらすじ
『髪結おれん 恋情びんだらい』



髪結おれん 恋情びんだらい
著者 千野 隆司
定価: 792円(本体720円+税)
発売日:2022年04月21日

女の髪は、心の内側を現す――著者渾身の感動作!
神田小柳町の裏店で暮らす、廻り髪結の姉・お松と、妹・おれん。おれんは両替屋で手代となったばかりの弥吉から所帯を持とうと告げられ、哀しい恋の過去を持つお松も錺職人の蔦次と良い関係となり、姉妹の家は幸せにあふれていた。だがある日、店の金を奪われそうになった弥吉が誤ってやくざ者を殺してしまい、無情にも遠島を申しつけられてしまう。哀しみに暮れながらも帰りを待つと誓ったおれんだが、なぜか姉妹にあやしい影がつきまとい始める。ついに人気のない場所で匕首を突きつけられたおれんは、背後から良く知った声を聞く――「おまえらは、見なくていいものを見てしまった」。そこに助けに入ったのは、同じ髪結の郷太で……? 江戸の片隅、健気に生きる髪結い姉妹の波瀾万丈な恋模様を描く人情時代小説。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322111000512/
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