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怪奇・残虐味に装われた二重三重の構成が興味をそそる、金田一耕助の推理シリーズ――『吸血蛾』横溝正史 文庫巻末解説【解説:中島河太郎】

横溝正史生誕120年記念復刊! 横溝正史の異色傑作!
『吸血蛾』横溝正史

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

吸血蛾』横溝正史



『吸血蛾』 文庫巻末解説

解説
中島河太郎 

 私は繰り返し推理小説史を書いている。「推理小説」の誕生は昭和二十一年、その名付け親の木々高太郎は、探偵小説、考証小説、思想小説などの分野にわたって、彼一流の理想を盛りこもうとしたのである。
 それに対して江戸川乱歩は、謎解き本位の本格探偵小説こそ「推理小説」の名称にふさわしいと説いたが、結局どちらの所説も一般化しなかった。「推理小説」は「探偵小説」の戦後、衣裳を変えた呼び名で、同義語として通用するようになった。
 この名称が普及して二十年にもなろうとする現在、再び探偵小説の名称が散見するようになった。わざわざ「探偵小説特集」を試みる企画や、探偵小説専門誌の創刊、探偵と銘うったシリーズなど、しきりに目につき始めた。
 それはここ十数年来の推理小説が、社会性、風俗性への依存度が強く、リアリティーを重視したため、奔放な夢と奇想のロマンを喪失し、味気ないものが多くなったその反動といえないこともない。名探偵は引退を余儀なくされたし、奇抜なトリックが白眼視されるようになると、推理小説から驚きが消えてしまった。
 そこで、わざわざ「探偵小説」という古い名称が復活したのは、読者自身があっと驚かせてもらいたいからなのだ。作者と読者との知恵の争いはいうまでもなく、ゾクゾクするようなスリルと、手にとったらやめられぬサスペンスに、思いきり陶酔したいからなのである。
 もう数年前のことになるが、夢野久作、小栗虫太郎、久生十蘭ら、異色の作家の著作が続々刊行されて、ジャーナリズムの注目をいたことがある。千編一律の中間小説に倦きた読者のかついやしたのだが、謎解きのおもしろさを主軸としたものではなかった。
 新作が期待されない以上、旧作がもてはやされるのは当然であった。中でも謎解きの興味と濃厚なロマン性に彩られた著者の作品が強烈な郷愁をび起こした。古い読者は懐しいよき時代の妖異探偵譚に、新しく手にとった人々は驚くべきトリックの数々に、いまさらながら探偵小説のたのしさを満喫させられたにちがいない。
 私などは著者の作品の発表を追うて、ずっと読み続けてきた。昭和四十九年に十年余り、中絶したままになっていた『仮面舞踏会』を完成されたから、五十年以上の作家活動が続いていたことになる。しかし、その長い期間に探偵小説の流れも、変遷を免れなかったので、著者は私たちの時代のアイドルだと思いこんでいたのだが、全集本、新書版、文庫本などいろいろな形式で続続刊行された。殊に文庫本などわずか三年ほどで、三百万部を越すという熱狂的な歓迎を受けたというのだから、こういう作品を待望していた読者が、いかに多かったかを如実に物語っている。
 この『吸血蛾』は戦後、数多く書かれた金田一耕助の推理シリーズでも、『幽霊男』『悪魔の寵児』などのように、もっともサスペンスの効果を強く表面に出した系列の作品である。昭和三十年の新年号から一年間、「講談俱楽部」に連載されたもので、同時に『三つ首塔』が並行して執筆された。その前年に『幽霊男』を、翌々年からは『悪魔の手毱唄』に着手しておられるから、油ののった時期であった。
 作品に扱われたものはもっとも華かな服飾デザイナーの世界である。トップ・モードを競うけんらんたる顔触れのなかに、突如顔を突っこんできた怪人物の登場から幕が開く。つば広帽子、ふかぶかと立てたがいとうの襟、鼻まで隠したマフラ、おまけに眼鏡の色まで、すべて灰色で統一した無気味な男が、人気絶頂のデザイナーに贈物を届けにきた。その男がくゎっと口を開くのを見たら、耳まで裂けて、狼のようなぎざぎざの歯の持主なのだ。
 この狼男が狙っているデザイナーは、彼の贈った林檎についていた歯型に似たきず跡を乳房につけているらしい。彼女のライバルを裏切って、彼女に弟子入りした美少年、ファッション・ショー・マニアの老紳士、ショー担当の敏腕新聞記者、彼女専属のモデルで結成した虹の会のメンバーなど登場者にはこと欠かないから、事件のほうも派手な舞台を選んでいる。
 彼女の経営する婦人服飾店は、戦場のような騒々しさと混雑状態だった。そこへ運び込まれていたマヌカンを収めた箱から、虹の会の一人が死体となって現われたのだ。ついで昆虫収集家の変り者の邸内の浴室から、両脚を切断され、乳房の嚙みきられた二番目の犠牲者が出た。
 恐慌をきたした虹の会の発意で、金田一の出馬を要請することになった。捜査当局からはお馴染の等々力警部の担当というので、コンビを組むには組んだが、今度の事件だけは快刀乱麻をたつわけにはいかなかった。
 アド・バルンにぶらさげられ、空中で道化踊りを踊る脚、浅草の劇場のライン・ダンスにまじる片足が、いっそうセンセーションをまき起こし、捜査側を歯ぎしりさせる。しかも犠牲者は六人を加えて、さんと残虐を極めるのに、肝腎の金田一も手を束ねて見守るほかはない。
 いささかないほど、手も足も出せず、殺人鬼のちようりようをほしいままにさせている。この大量殺人の謎はあとに至ってしゆこうできるように組み立てられているが、読者も読み進んでいるうちは、やはり金田一同様、この途方もなく大胆不敵な犯行の全貌をつかむのに戸惑いを感じるにちがいない。それほど複雑にして怪奇を極めた惨劇であった。
 この作者は岡山を舞台にした一連の作品では、農村に根強く残存する習俗や人間関係を、こくめいに描写して、始めて欧米のそうはくめない純日本的探偵小説を樹立した。ここでは珍しく、偶像姦だの、狼きなどを扱って、思いきって外国的な趣向を取り入れている。
 日本にも狐や狸がひとにとり憑くといい、犬神や蛇神のように家筋までがあるという俗信が行われていたが、狼憑きだけは聞かれなかった。本篇ではヒロインが告白して、その伝承を説明している。満月の夜に狼に嚙まれたり、狼と交わったりしたものが狼憑きになり、急に気が荒くなって、人間の血や肉を求めるようになる、また歯なども次第にとがってくる。発作が起これば四つん這いになって、狼そっくりの行動をとるというのだ。
 戦時中、ディクスン・カーの著作に惹かれて、本格長篇を書きたくて腕をしていた作者だから、カーの作品に濃厚な怪奇趣味にも共鳴するものがあったと思われる。著者はこの狼男の恐怖で全篇をおおうたばかりでなく、単なる恐怖小説に陥らせないで、探偵小説的技巧をらしている。
 物語は九人の被害者が出るまで、犯人を追い詰められぬもどかしさに、いらいらさせられる。犯人の告白があって事件が一段落してから、今回はあまり冴えなかった金田一のめんもくやくじよたるものがあるのは、終りの数頁である。作者はこのクライマックスを描きたいために、金田一をいんにんちようさせていたと思われるほどだ。
 この物語ほど、あいしゆうのはげしさが悪念を呼び、悪業がさらに悪業を生んでいく凄じさを追うたものはない。怪奇・残虐味に装われた二重三重の構成が興味をそそるのである。

作品紹介・あらすじ
『吸血蛾』



吸血蛾
著者 横溝 正史
定価: 880円(本体800円+税)
発売日:2022年04月21日

横溝正史生誕120年記念復刊! 横溝正史の異色傑作!
木箱のふたをこじあけた瞬間、思わず縫い子たちは後ずさりした。箱の中には、乳房をえぐりとられ、その血だまりに一匹の蛾を浮かべた若い女の死体が……。服飾界の女王として君臨する美人デザイナー浅茅文代。だが、突然アトリエに死体入りの木箱が送り込まれたのを手始めに、彼女の大事な専属モデルたちが次々と殺されていった。犯人の目的は何か? そして、灰色ずくめの服装で暗躍する無気味な狼男とは何者? 全編にあふれる怪奇とロマン、横溝正史の傑作長編推理!
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322202000850/
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