文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。
(解説:竹内 薫 / サイエンス作家)
この解説から読み始めてしまった(少数の)読者のみなさん、どうか、本文を読み尽くしてから、この解説に戻ってきてください。ミステリー小説のネタバレほど不条理なことはありませんので。
で、解説だ。
この本を読んでいる間じゅう、ジョルジュ・デ・キリコとアンリ・ルソーの絵柄が私の脳を占拠していた。なぜか。
キリコとルソーの絵柄は、一言でいえば非現実的だ。その現実との
本書は
そもそも、音楽は数学ときわめて相性がよい。私の知っている音楽家の多くは驚くほど数学が得意だ。一見、芸術に属する音楽と理学・工学に属する数学とでは、真逆のような気がするが、もちろん音楽は数学そのものだ。
たとえば、ジャズでよくお目にかかるⅱ─V─Iというヴォイシングは、具体的にはDm9-G13-Cmaj9だったり、B♭m9-E♭13-A♭maj9だったりするわけだが、そのパターンはⅱ─V─Iとして抽象化できるわけで、音楽家は、自由自在に音の階段を上り下りする。物理的には異なる振動数の音ではあるが、相対的には同じ音なわけで、まさに相対性理論のローレンツ変換と同じ意味を持っている。
この作品が音楽と数学をモチーフとして練り上げられていることは、作品の構造として美しい。
われわれはよく小説を読むときに「自然なプロット」などという表現を使うが、数学的なプロットは、
私の周囲には何人もの数学屋がいるが、彼らの多くは、論理の世界の住人であり、感情の世界が苦手だ。かくいう私も、よく妻の主張することが理解できずに頭が「???」だらけになることがある。
たとえば、経営する会社に応募してきた人を採用したいと妻が言う。なぜだと
本書は、そんな数学屋(あるいは数学愛好家)にとって、すこぶる心地よい空間だ。虚の島の形もそうだが、構造そのものが心地よい。題名からして、「ああ、虚数が出てくるんだな」とワクワクするし、ガウス・アルガン平面のところでアルガンの逸話が出てくればフムフムと
本書は、中学生から高校生くらいで、いまだガウス・アルガン平面もクオータニオンもよく知らない若い数学屋が、いちばん楽しめるのかもしれない。論理的で勘のいい彼ら・彼女らは、さらりと解説されている数学が、プロットより大切な宝物かもしれない。
老境に達しつつある、私のような数学屋にとっては、「虚数、クオータニオンと来たら、お次はオクトニオンしかないよな」という予想が、最終局面で(当然のことながら)当たるので、勝手な、してやったり感が大きい。
読者の中には、クオータニオンとか虚数時間とか、絵空事としか思えない、という人もいるだろう。しかし、作者も書いているように、クオータニオンは、3DCGが登場するゲームのプログラミングでは、あたりまえのように使われているし、「車椅子のニュートン」と形容された故スティーヴン・ホーキング博士の
それにしても、「二十四の
だってそうでしょう。いくら虚の島が特殊環境で、しかもウイルスに感染してしまったとはいえ、同じ部活の仲間たちと平気で殺し合うなんて、まさかの展開としかいいようがない。
数学的な仕掛けは読めても、ストーリー展開が全く読めない。そのアンバランスさが幸いして、この作品は、まるで片腕倒立のようなギリギリの危うさを保ちながら、作品として成立している。
ところで、本書を読みながら、新型コロナウイルスが
いま人類は、本書の設定のごとく、いまだ正体が
コロナウイルスは、いわゆる、普通にゴロゴロいる風邪のウイルスである。たしかにSARSやMERSという「予兆」はあったものの、日本、欧米各国は、どこか対岸の火事のような目でコロナウイルスを見ていた感がある。今回のCovid-19のせいで、しかし、世界は地獄絵と化した。
数学的世界観が強いという意味で、もちろん、本書の設定はCovid-19の世界とは異なる。だが、ある日突然、不条理な世界へ飛ばされ、人々が憎み合い、生死を
作者の次回作では、是非、オクトニオンの世界に飛ばされた
すばらしき数学世界と奇想天外なプロットが融合した
▼古野まほろ『その孤島の名は、虚』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321910000666/