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レビュー

和歌山と埼玉で起きた、一見無関係な2つの事件をつなぐ鍵は――鯨!?この事件、難問です。『鯨の哭く海』

 何かとマスコミの話題になる世界遺産に比べると、まだ知名度が低いかもしれないが、二〇一五年に日本遺産の認定がスタートしている。認定するのは文化庁で、日本遺産ポータルサイトによれば、〝地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として認定し、ストーリーを語る上で不可欠な魅力ある有形・無形の様々な文化財群を総合的に活用する取組を支援します〟とのことだ。
 以後、「日本遺産」は毎年、十箇所以上認定されている。その「日本遺産」に二〇一六年に認定されたのが、和歌山県の新宮(しんぐう)市、那智勝浦(なちかつうら)町、太地(たいじ)町、串本(くしもと)町を対象地域とした「鯨とともに生きる」だ。熊野灘(くまのなだ)沿岸で盛んだった捕鯨にまつわる旧跡、祭りや伝統芸能、そして食文化にスポットライトが当てられている。
 二〇〇一年四月に祥伝社より書き下ろし刊行された内田康夫氏の『鯨の()く海』は、そのタイトル通り、クジラがメインテーマだ。浅見光彦(あさみみつひこ)が、例によって「旅と歴史」から原稿の依頼を受け、紀伊半島の南西部に位置する太地町を取材で訪れている。
 ところが、「プロローグ」はなんと、まったく海に面していない埼玉県の秩父市なのだ。秩父夜祭りで(にぎ)わうなか、スリやかっぱらいの警戒に当たっていた秩父警察署の刑事が不審な男に気付く。祭りにあまり関心を見せていなかったからだが、何かをするわけでもなく喫茶店に入っていった。見込み違いだったか――。ところが翌朝、その男の絞殺死体が公園で発見される。コートには「SEKO」というネーム刺繍(ししゅう)があったけれど、身元はまったく分からない……。
 一方、渋谷の名店で(実在している)、「旅と歴史」の藤田編集長の奢りでクジラ料理を堪能したのが浅見光彦だ。煮物、揚げ物、刺身、鉄板焼き――それは美味だったが、ちょうど浅見家ではクジラ問題で家族会議があったばかりで、浅見の心境はなんとも複雑である。そして藤田編集長は、国際的な大問題となっているクジラをテーマにしたルポを依頼するのだった。
 藤田編集長の「理論」の出所である水産庁OBの永野に取材したあと、予想外の取材費を手にして浅見は、フェリーで那智勝浦へと向かう。かつて『平家伝説殺人事件』で、稲田佐和(いなださわ)の住む高知に向かう際に利用したルートだ。そして訪れた太地町の「くじらの博物館」で、展示されていた勢子(せこ)船の漁師の背中に、(もり)が突き刺さっているのに気付く。それが名探偵の琴線を刺激する。
 役場の企画観光課の課長補佐に取材し、クジラ料理が自慢の国民宿舎に宿を取った。だが、二年半前に背中を銛で刺された未解決事件があり、さらに六年前には旧家の娘と新聞記者の不可解な「心中」事件が起こっていると知っては、名探偵の興味がクジラから謎解きへと移ってしまうのは仕方ないだろう。心中した新聞記者は浅見(あざみ)和生といい、秩父の出身だった。こうして名探偵は秩父へも足を延ばすことになるのだ。
 島国である日本が、古来より海の幸を食料源としてきたのは当然だろう。太平洋を回遊しているクジラも貴重なタンパク源となっていた。もちろんかつてはそんな知識はなかっただろうが、昨今の健康ブームで何かと話題になっているDHAやEPAといった不飽和脂肪酸の、単位グラムあたりの含有量はクジラはトップクラスなのだ。また、動脈硬化を防ぐDPAも豊富だという。
 太地町では江戸時代初期に組織的なクジラ漁が始まっている。それは日本初だった。一六七五(延宝三)年には画期的な網捕法(網掛突捕法)も太地町で発明されている。作中で触れられているような大きな海難事故はあったものの、太地沿岸での捕鯨はずっと続けられた。だが、国際捕鯨委員会を中心にした規制により、一九八八年に沿岸のミンククジラ漁を含むヒゲクジラの商業捕鯨が中断されてしまう。
 それでもゴンドウクジラ類やツチクジラを捕獲する小型捕鯨業と、追い込み漁などの「イルカ漁業」は行われていた。そのイルカ漁(だいたい全長四メートル以下のクジラをイルカと称する)が残酷だと世界的に注目されたのは、『鯨の哭く海』の刊行から八年後、二〇〇九年に公開された映画『ザ・コーヴ』によってだ。さらには『ビハインド・ザ・コーヴ ~捕鯨問題の謎に迫る~』(二〇一五)や『おクジラさま ふたつの正義の物語』(二〇一六)と、その実態を伝えた映画が製作されているが、『ザ・コーヴ』がさまざまな問題を提起したのは間違いない。
 では、クジラを食することは是なのか否なのか。二〇〇三年二月に刊行されたノン・ノベル版『鯨が哭く海』に寄せた〈著者のことば〉で内田氏は、人間が自然界の食物連鎖の頂点に位置する生物である現状を踏まえて、

そういう「やらずぶったくり」の生物は人間である。その人間が(さか)しらな理屈を()ねて、鯨を食うことを是とするのは、まことに理不尽だ――と鯨は慟哭(どうこく)し、悲しげに潮を吹き上げる

と記していた。
 日本人の食文化に問題を投げかけたこの『鯨が哭く海』の執筆の事情については、巻末の「自作解説」に詳しく語られている。簡単にまとめれば、『湯布院殺人事件』(一九八九)と『釧路湿原殺人事件』(一九八九)で探偵役を務めている和泉(いずみ)教授夫妻のシリーズとして発表した「還らざる柩」、「鯨の哭く海」、「龍神の女」の三短編を、浅見光彦シリーズに再構成したのだ。「還らざる柩」と「龍神の女」は一九九一年十一月に書き下ろし刊行された『熊野古道殺人事件』に、そして「鯨の哭く海」は本書に改稿された。
 二〇〇四年に「紀伊山地の霊場と参詣(さんけい)道」の一部として世界遺産に登録され、紀伊半島の熊野古道は有名になった。それに先んじたのが『熊野古道殺人事件』で、刊行されたころにはまだ、熊野古道は知る人ぞ知る観光スポットだった。軽井沢のセンセこと推理作家内田康夫が、友人の教授から補陀落渡海(ふだらくとかい)伝説を再現するイベントへの危惧を相談される。そして推理作家と名探偵の珍道中(!)が始まった。アリバイや毒殺トリックなど、ミステリーとしての趣向がたっぷりだが、浅見光彦のファンにとってはとんでもない事故が起こった作品として記憶に残っているに違いない。
 熊野古道はミステリー作家の琴線を刺激するのだろうか。西村京太郎氏にも『悲運の皇子と若き天才の死』(二〇〇九)があるが、内田氏は二〇一四年十二月から毎日新聞に連載された『孤道』でも再び熊野古道を舞台にした。ただ残念なことに、この長編は作者の病気のため連載は中断してしまったけれど、完結編を公募するというユニークな企画に発展している。
『鯨の哭く海』に『熊野古道殺人事件』と『孤道』を合わせて読めば、紀伊半島の歴史的背景がよく分かるだろう。しかし、この三長編はあくまでもミステリーである。メインは犯罪の謎解きだ。『鯨の哭く海』でも、クジラをめぐる内外の諸問題を取材しつつ、浅見光彦は過去と現在の犯罪を結びつけていく。名探偵はかなり早くから事件の構図を見抜いている。けれど、太地町のクジラ漁の歴史と絡んでの、謎解きの本筋にはなかなか気付かない。謎解きの伏線はそこかしこに張られている。もしかしたら浅見光彦より早く、その真相に辿り着けるかもしれない。
 日本遺産のコンセプトは、浅見光彦シリーズの魅力そのものだろう。名探偵の謎解きの旅のなかで、読者は日本を再発見してきたに違いない。そして、日本の伝統と現代社会の相克で、はからずも(はぐく)まれてしまった殺意が『鯨の哭く海』で描かれている。


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