2 葉子明(仮名)

事件当時26歳、在日中国人留学生 取材当時51歳、民主化活動家
「八九六四」当時の所在地:日本国 東京都内
取材地:日本国 関東地方某都市のサイゼリヤ
取材日:2015年2月13日ほか

「うんざり」する天安門の話

「あんた、天安門の本を書くったって、いつものやつは勘弁してくれよ」
 こちらは2015年2月13日、私が日本国内で最初に話を聞いた、ある在日中国人の民主化活動家による開口一番の言葉である。本人の意向でオフレコなので、仮に名前を葉子明(イエヅウミン)としておこう。
「学生たちの望みは正しかった。当局の弾圧はよくなかった。当たり前の話だ。だが25年も前の事件だぞ。私の立場としては公言できないけれど、天安門事件はもう過去だ。非常に重要な問題なのは確かだが、それはあくまでも歴史的事件としての話でしかない」
 あの春、26歳の葉は日本に留学中だった。やがて5月21日に5000人、鎮圧当日の6月4日に一万人が参加したともいう在日中国人の街頭デモの一員となった。故郷の北京で起きた惨劇を聞いて、怒り心頭に発した彼は、事件の3か月後にパリで成立した世界的な中国民主化団体・民主中国陣線(民陣)の日本支部の結成に参加する。
 だが、最初は大勢いたはずの仲間はいつの間にか脱落していき、日本支部どころか民陣の本部も分裂状態になった。葉自身、ひとまず現在も活動家の看板を下ろしてはいないが、街頭デモや在日中国大使館前での抗議行動といった、表立った行動にはほとんど参加しなくなった。
 母国に帰れない身とはいえ、気付けば日本での暮らしが人生の半分を占めた。ちょっとしたビジネスをおこない、まずまずの車を買い、それなりに生活の基盤もできてしまった。
「正直、天安門の話で取材を受けるのは、うんざりしているんだ。当時は誰がどんなひどい目に遭ってかわいそうだったか、共産党政権の罪をどう思うか、みんな似たような質問をして似たようなメモを取って、同じ結論を記事に書くだけの話だろう? 最近はあなたのような取材者に会うたびに、『もういいよ。やめとけって』と内心で思ってしまってね」
 なんとも意気の上がらない話だが、言わんとすることはわかる。
 私も取材の準備段階で、過去のさまざまな報道や関連書籍に目を通した。かつて学生時代に歴史学を専攻していた私にとって、現代史のトピックとしての天安門事件は、文化大革命や日中戦争など他の歴史的な事件と同じく興味深いものだった。
 だが、この四半世紀を通じての事件の取り上げ方については、やはり「うんざり」した思いを抱いたのも確かだった。

 現代中国を語るうえで「六四天安門事件」はかなりの重量感を伴う言葉だ。
 国連常任理事国に名を連ねるアジアの大国の政府が、体制改革を要求する一般人のデモに軍隊を投入して武力鎮圧し、一党専制体制を強引に延命させた出来事なのだ。重要さは言うまでもない。
 だが、天安門事件とは何だったのか。考えるほど首をかしげてしまうのも確かである。
 もちろん、当時の北京で起きた出来事のディティールについては多くの情報が出ている。香港や台湾では当時の学生リーダーや一部の党指導者の回顧録がたくさん出版され、武力鎮圧の負傷者や遺族の証言もかなりの分量にのぼる。これらには日本語で読めるものも少なくない。アメリカのカーマ・ヒントン監督のドキュメンタリー映画『天安門』も有名だ。
 2017年12月には、機密扱いが解除された事件翌日の英国大使館の外交文書の内容が香港メディアによって報じられている。当時の中国国務院の関係者が、犠牲者数について従来の国際社会の想定よりも多い一万人規模にのぼったと見積もっていたことが明らかになった。
 また、毎年6月4日の前後になると、香港をはじめ世界各国の民主派の中国人が追悼集会を開く。
 この時期には日本でも、新聞やテレビの報道番組がしばしば事件を特集し、社説で大いに論じる。一般人にも関心の高い人がいるらしく、日本語のツイッターを検索すると毎日数件は事件に言及した新規の書き込みが見つかる。中国の人権問題を憂慮するリベラル派から、中国人に人種的な嫌悪感を抱くネット右翼的な人たちまで、投稿者たちの政治思想は左右の別を問わない(もっとも「右」の人たちの方が、中国の現体制にとって大きなタブーであるこの事件を好んで論じたがる傾向はある)。
 いっぽうで中国共産党の側も、近年は言及が少ないものの、党員向けの文書や外交部の定例記者会見などでは事件への評価を述べている。穏健に言えば「八九年の政治的トラブル(八九年政治風波(バージヨウニエンヂエンヂーフオンボー))」、厳しく言えば「反革命暴乱(フアンゲエミンバオルアン)」。もちろん、いずれもネガティヴな評価だ。
 事件は政権の暗部なので、当局は現在もセンシティヴである。むしろ近年の習近平政権はイデオロギー統制の強化に努めているため、毎年6月4日の前後は国内の治安警備が従来以上に強化される。この時期は反体制活動家が監視や拘束を受けるのはもちろん、スマホ決済の送金機能で「六四」元や「八九六四」元の金額指定が不可能になるほど、当局は躍起になって事件の痕跡(こんせき)を隠したがっている。
 事件に対する国外の評価も中国当局者の評価も、非常にわかりやすい。

 しかし、私のモヤモヤした思いは消えない。
 理由のひとつは、事件に価値判断を下すメッセージがいずれも極めて紋切り型だからだ。中国当局の主張が教条的なのは当たり前だが、実は事件に批判的な言及をおこなう側もあまり変わらない。1989年の北京市内で何が起きたかは掘り下げて書いていても、記述の全体を貫く論調はいずれも同じなのだ。

 ──民主主義は正しい。ゆえに民主化運動は正しい。それを潰すのは悪い。
   (なので、きっと将来いつか正義は勝つ)

 その通りだ。民主主義国家の国民としては、この解釈が正解だと考えるべきでもある。
 だが、正論だけに空々しい響きもないではない。たとえ正しい意見でも、同じ主張にばかりに触れていると飽きてきて、敬してこれを遠ざけたい気になってくる(「うんざり」するのはこういう理由だ)。
 また、「正しい」民主化運動が「悪い」武力鎮圧に歯が立たなかった点は仕方ないとしても、なぜその後もながらく、民衆の間で民主化の要求が強まらないのかも不思議である。
 当時、中国全土で命懸けで声を上げたように見えた数百万人の若者(心情的なシンパを含めればもっと多い)は、果たしてどこに行ったのだろうか。事件後も意見を発信できるような有名人はともかく、あの渦のなかにいた一般人は事件をどう思っているのだろうか。
 彼らは夢を諦めていないのか、現実と折り合いを付けながら若き日の記憶を大事にしているのか、それともすっかり当時の思いを忘れて恬然(てんぜん)としているのか。
 天安門事件についての「正論」の説明は、これらについて何も答えを教えてくれない。

「最も美しいとき」のあとも人生は続く

「全共闘のシンボル」といわれた男は、瀬戸内海の小島で自動車修理工場を営んでいた。日大全共闘議長だった秋田明大(あきたあけひろ)さん(61)。50代半ばで20歳年下の中国人妻と再婚し、4歳の息子と3人暮らし。過疎化が進む島で、経営状態は決して良くない。油まみれの作業服にジャンパーを羽織り、盛んにたばこに火をつけた。
「運動せんかったら、と考えることもありますよ。船乗りになっとったらとか、若いうちに工場を始めてりゃあ、もっともうけられたとか。まあ似たりよったりの人生とも思うけど…」

 秋田さんは「自分でも、あんなことをやるとは思わんかった。たまたま社会科学研究会に入っとっただけで、最初は水泳サークルじゃったしね。革命とか言っとる者もおったけど、わしはマルクスもレーニンもかじっただけじゃし…」。
 当時の状況を尋ねても反応は鈍い。
 中枢メンバーの名前を何人か出しても、「はあ、昔のことじゃけえ、よく覚えとらん」。1万人もの学生を指揮したことについても、「あのまま号令をかけて、クワを持たせて農場でも始めれば違った道があったかもしれん」。
 こちらは、産経新聞取材班が2009年に刊行した『総括せよ! さらば革命的世代』(産経新聞出版)に登場する一節だ。上記の日大全共闘のリーダー・秋田明大をはじめ、日本赤軍元最高幹部の重信房子(しげのぶふさこ)、赤軍派元議長の塩見孝也(しおみたかや)(2017年11月死去)……といった往年の有名人から、名もなきデモ学生、鎮圧側に回った警官まで、全共闘世代の元運動関係者へのインタビューをまとめた本である。
 社論が保守寄りの産経新聞としてはめずらしく、往年の学生運動を高みから一方的に断罪するような編集方針は取らず、淡々と当事者の姿を描いている。登場する元闘士たちは、すっかり政治から距離を置いた人から現在もなお闘いの残り火にしがみつく人まで十人十色。だが、字面を追ううちに、彼らが敗れた理由やその後に過ぎ去った時間の重みがじわじわと伝わってくる。
 日本において、すでに全共闘運動が「歴史」に変わり、いっぽうで当事者が存命しているからこそ可能になった特集だろう。

 2011年の北京で郭定京の話を聞いてから、私はこれとやや似た取材を、天安門世代の中国人たちに対してやってみたいと考えるようになった。
 四半世紀以上も昔の事件は「歴史」なのだが、70年代の全共闘運動と較べると圧倒的に生々しい。自国が別の未来を選択したかもしれない大事件に直面した当時の若者たちはいまや40代から50代になり、現代中国の社会を担う立場にいる。
 大人になった彼らは、事件は過去の話だと(うそぶ)きつつも、酔っぱらうと当時の武勇伝をやけに語りたがる。そんな人もめずらしくない。
 ──彼らは語りたい。私はそれを聞いてみたい。
 ゆえに私は数年の時間をかけて、天安門事件の思い出を持っていそうな中国人のおっさんやおばはんを国内外で探し続けた。また、偶然出会った人間にもできるだけ質問をぶつけてみた。当時、北京にいなかった人や、それほど大変な目には遭わなかった人、事件に何も興味がなかった人なども含めて、60人以上に話を聞いたはずである。
 この本で紹介するのは、なかでも印象深かった十数人の目から見た天安門事件の姿と、その後の彼らの生きざまだ。さらに第六章では、彼らの人生になんらかの影響を与えた往年の学生リーダー2人にも、私なりの切り口からご登場を願うことにした。
「ぼくは20歳だった。それが人生で最も美しいときだなんて誰にも言わせまい」

 元フランス共産党員で第二次大戦で戦死した作家、ポール・ニザンの著書の一節だ。
 たとえ青春の輝きが消え失せても、本人が生きている限り人生は続く。その人生は、若き日よりも美しいものとなったか否か。その評価は、事件後の彼らが社会人となって担ってきた、現代中国の社会全体の性質を考えるうえでも参考になるかもしれない。
 私がこの本に記すのは、正しくも悪くもない、うんざりしない天安門の話である。
※なお、本書における単語のルビは省レベル(一級行政区画)の地名や、日本の教科書に登場するレベルの人名はひらがなの日本語読み、それ以下の行政単位の地名や人名はカタカナの普通話(プウトンホア)読みとした。香港の地名や一部の会話表現は、英語もしくは広東(かんとん)語とした。

書籍

『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』

安田 峰俊

定価 1836円(本体1700円+税)

発売日:2018年05月18日

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    書籍

    『和僑 農民、やくざ、風俗嬢。中国の夕闇に住む日本人』

    安田 峰俊

    定価 821円(本体760円+税)

    発売日:2016年04月23日

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