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試し読み

必死で築いてきた「普通」の生活が、崩れていく――。『夜がうたた寝してる間に』大ボリューム試し読み#3

 この特別教室はどうしてかいつも、ほこりっぽくかびくさい。週に一度は使っているのに。掃除が行き届いていないんだろうか。ずっとここにいると体を壊してしまいそうだ。
「昨日の件ですけど」
 その声に我に返る。目の前では学年主任の国城さつきが、背筋をぴんと伸ばしこちらをじっとにらみつけている。その姿勢の良さは、学年主任という肩書に恥じぬよう虚勢を張っているかのようだ。
 毎週土曜のロングホームルーム。いつも自習で終わるその時間は、国城という異質な存在がいるだけでいつもと全く違う様相だった。
 国城は小柄だが、その威圧感からかそれを感じさせることはあまりない。丸い眼鏡の奥の小さな目をこれでもかと見開いて、反対に厚みのある唇はぎゅっと結ばれている。
 その横では岡先生が腕を組んでうつむいている。神妙な面持ちをしているようにも見えるし、退屈に耐えているようにも見える。
 そして教卓の前の席に、俺たちは三人並んで座らされている。いつもと違う席に座っているというだけで、なんだか妙にそわそわする。
 昨日の件、とはもちろんあのことだ。誰かが校舎内に侵入し、二年の教室内の机や椅子を全て投げ捨てたあの事件。脳裏に、あのオブジェのように積み重なった机が浮かぶ。
「どうして私が今日ここに来たか、分かってますよね?」
 まるで責めるように、国城は向かいにいる三人の生徒の目を順々に見つめる。篠宮、俺、我妻。普段は生徒に対し敬語なんて使わないくせに、わざわざ丁寧な言葉遣いをするあたりどことなく嫌味っぽい。
 事件の後、当然のことながら学校じゅう騒ぎになった。あの後生徒たちは体育館に集められ、校長からの話があり、そして二年生の一時間目の授業はそれぞれが自分の机と椅子を戻す作業でつぶれた。その間生徒たちの間では、「一体誰がやったのか」という話題で持ちきりだった。
 生徒なのかな。先生かも。部外者って可能性もあるよね。学校に恨みがある人なのかな。ただのいたずらにしてはちょっと、度が過ぎてるよね。
 そして当然のように、その声は上がってくる。
 やったの、能力者のやつらじゃないの?
 俺は直接誰かにそう言われたことはなかったが、陰でそうささやかれていることは知っていた。二年の教室だけでしか事件が起こっていないせいもあるのだろう。能力者は、この学校では二年にしかいない。
 ふざけんな、と思った。確かに、能力者が事件を起こしたという話はしょっちゅう耳にする。だからといって、そいつらと一緒にされたのではたまったものじゃない。
 きっと国城は、生徒たちのその噂を聞きつけてここに来たのだろう。いや、正確に言えば、その噂を利用して、というほうが正しいかもしれない。元々国城は俺たちのことをよく思っていなかった。毛嫌いしていると言ってもいい。
 学校側が能力者の受け入れをしているとはいっても、教師陣が一枚岩というわけではない。急に能力者を相手にしなければならなくなったことに反発を覚えている教師もいるだろう。そもそもこの学校がその受け入れを決めたのだって、学校の評判を上げるためだからだと囁かれている。
「俺じゃないよ、センセー」
 痛いほどの沈黙に耐え切れなくて、俺は口を開いた。顔の横で両手をひらひらさせて見せる。それを国城がじろりと睨む。
「別にあなたたちを疑っているわけじゃありません。ただ何か事情を知っているなら、教えてほしいだけです」
 よく言うよ、と心の中でつぶやく。疑いまくってるくせに。本音を押し込めて笑う。
「知ってることなんてなんもないですよー、俺だって朝びっくりしたんですから。うわ、机落ちてる! って。なあ?」
 右隣の篠宮に声をかける。彼女は小さくためいきをついた後、「まあね」と答えた。
「私も学校に来て初めて状況を把握したので。特に知ってることはないです」
 不機嫌さを全く隠そうとしていない声色だった。幼い声も相まって、子供の文句のようにも聞こえるが、国城を見る目つきは鋭い。国城が彼女の様子をじっと見つめる。それ以上の情報を引き出そうとしているかのようだったが、篠宮はもう口を開こうとはしなかった。
 そのとき、ふぁ、と空気の抜けるような音がした。国城が、即座に篠宮から我妻に視線を移す。どうやら大きなあくびを放ったようだ。何やってんだよ、と舌打ちしたくなる。案の定、国城の顔が引きっていく。
「我妻くん、いい度胸ねあなた」
 目の辺りをこすりながら、「すみません」と全く悪びれぬ様子で我妻が謝る。
「我妻くんはどうなの」
 国城の口調からは、さっきのいんぎんさはすっかりせていた。それでも全く意に介さぬ様子で、我妻はぽりぽりと頭をく。
「分からないです。そもそも俺、その例の現場きちんと見てないんで」
「ええ? そんなわけないでしょう。あれだけ騒ぎになってたのに」
「本当ですよ。教室に行ったら、誰もいないし物もなくてびっくりしたんです」
「あぁ、そうね。あなたはそういう人だったわね」
 いかにもあきれましたというような物言いで溜息をつく。どうにもいちいちあおるような仕草を繰り返すが、我妻本人は全く気にしていないようだ。後頭部の辺りには今日もまた寝癖がぴんと跳ねていて、それを気にする素振りすらない。
 国城がいらたしげに、教卓をかつかつと爪でたたく。まるで私は苛立っているとアピールするかのように。
「あなたたちね、このままだといつまで経っても帰れないわよ」
 えーっ、と思わず声を上げた。いくらなんでも横暴だ。
「岡先生はどう思われますか」
 じっとやり取りを静観していた岡先生に矛先が向けられる。先生が首をぐるりと回した。ぱきぱき、と骨の鳴る音がこっちにまで聞こえてきた。
「どう、と言われても。まあ、彼らがやったのかもしれませんね」
 その言葉に、俺は思わず目を見張る。俯いたり視線をらしたりしていた他の二人も、同時に岡先生の顔を見る。けれど先生に一切たじろいだ様子はない。何かを言いかけようとした国城を「でも」と遮る。
「彼ら以外の誰かがやったのかもしれません」
「はあ?」語尾が甲高く上がる。同時に両方のまゆり上がっている。「何を、当たり前のことを」
「そう、当たり前ですよね。別に彼らじゃなくたって、学校に侵入して机を投げ捨てるなんてこと、誰にだってできる」
 授業の終了を知らせるチャイムが鳴った。静まり返っていた廊下が、一気にけんそうあふれ出す。教室のドア一枚隔てて生徒たちが騒ぐ声が聞こえてくる。
「嫌疑をかけるのなら、この学校の人間全員を平等に疑うべきです。この子たちかもしれない、でも別の生徒かもしれない。もしかしたら教師かもしれない。私がやったのかもしれない。もしかしたら、国城先生だったりして」
 おどけたように岡先生が言うと、国城がぎろりと睨みつける。
「岡先生、いい加減にしてくださいよ。実際ね、生徒たちから声が上がってるんですよ。やったのはこの子たちじゃないかっていう声が」
「あ、怪しい。その生徒怪しいなあ。大抵、そうやって言い出す奴が一番怪しいんですよ」
「岡先生!」
 いよいよ国城が声を荒らげる。しかしそれすら意に介さぬ様子で、黒板の上の時計を見上げた。
「国城先生、チャイムはもう鳴ってますよ」
 何か言いたげに国城が口を開いたが、そこから出てきたのは大きな溜息だけだった。呆れたように首を二、三度小さく振る。
「それじゃあ、私からはもう何も言いません。このようなことはもう二度とないとは思いますが、よくよくお願いしますよ」
 低い声でゆっくりと告げると、教壇を降り、教室のドアをがらりと開ける。そこには数人の生徒が聞き耳を立てるようにたむろしていたが、国城がいちべつするとさっと道を空ける。ドアを閉めたのを見計らうと、ふう、と岡先生が息を吐く。

(つづく)

作品紹介・あらすじ



夜がうたた寝してる間に
著者 君嶋 彼方
定価: 1,650円(本体1,500円+税)
発売日:2022年08月26日

高校二年の冴木旭には、時間を止めるという特殊能力がある。だが旭にとって一番大事なのは、普通の場所で、普通の人と同じように生きていくことだ。異質な存在に向けられる無遠慮な視線や偏見に耐え、必死で笑顔をつくっていた旭だったが、大量の机が教室の窓から投げ捨てられるという怪事件が起こり、能力者が犯人ではないかと疑われる。旭は真犯人を見つけて疑いを晴らそうとするも、悩みをわかり合えると思っていた能力者仲間の篠宮と我妻にも距離を置かれてしまう。焦りを覚えていたところに、また新たな事件が起きて……。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322204000318/
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▼君嶋彼方特設サイトはこちら
https://kadobun.jp/special/kimijima-kanata/



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