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レビュー

【書評】悲しみにのまれず、自分の手で人生を切り開いたリュウの背中が、眩しく心に刻まれる――高瀬乃一『天馬の子』【評者:吉田伸子】

凍てつく冬の大地を春へと駆ける少女の物語。
高瀬乃一さんの最新長編『天馬の子』の発売にあわせ、吉田伸子さんによるレビューをお届けします。

高瀬乃一『天馬の子』レビュー



評者:吉田伸子

 あぁ、ここに決着するのか。読み終えた後、胸に残ったのはなんとも言えない清々しさだった。
 本書の主人公は、なん藩・おし村集落に暮らすリュウだ。藩の所有する御牧を守る猟師として奉公していた父親は、乗馬と鉄砲に長けていたが、リュウが生まれてすぐに病死。七つ上の兄・こうきちは、父の血を継いで乗馬の腕前は忍野村随一で、十三から十五まで、野馬捕りで先頭に立って馬を追いかける「名子」を務めるほどの腕前だったが、二年前の冬、不慮の死をとげていた。
 男手を二人も喪ったリュウの家では、目が悪く畑仕事ができない祖母をのぞいて、祖父と母、そしてリュウが畑に出ている。リュウの家には「いけづき」という名のめすうまがいて、その世話をするのもリュウの役目だ。
 ひと月前、生築が産んだ仔馬は立ち上がれず、間引かれていた。母馬は産後ひと月ほどで発情するため、祖父のさぶろうが村名主のもとへ、種付けに行くことになっている。生まれた仔馬が駄馬(牝馬)なら、村の里馬としてこの先も飼うことができるが、駒馬(おすうま)なら、藩の牧へ引き取られ野馬(藩所有の馬)になるものの、と評されればばくろうへ売られていく。「馬は生まれ落ちた瞬間に一生が決まる」。そのことにやるせなさを感じながらも、リュウは、ただいまは生築に元気で丈夫な仔馬が生まれますように、と願うばかり。
 その生築が産んだのは双子で、先に生まれたのは駄馬、後に生まれたのは駒馬で、この駒馬がなかなか立ち上がれない。間引かれそうなその馬は、けれど、あわやというところで命拾いをする。やがて、むろと名付けられたその駒馬は、リュウの運命を変えることになる。 
 描かれているのは、寒村での貧しさゆえの過酷な暮らしだ。赤子が間引かれるその現場をリュウたちが目撃したり(この時の赤子は、よその家に貰われていくことになり、命が助かる)、間引かれたはずだったのに命が助かったことで、“いないもの”として扱われているスミという少女がいたり。飢饉に襲われれば命の危機となる危うい日々。
 それでも「女正月」に集う女たちが、ひととき羽目を外して笑い合ったり、リュウが仲間たちとの“隠れ家”で過ごす時間だったりと、置かれた状況を嘆くだけではなく、ささやかな喜びを見つけて、逞しく生きていくリュウたちの姿が、読み進めるうちに胸の中に重ねられていく。そこがいい。
 やがて、リュウは馬喰の与一に弟子入りを乞う。一旦は「駄馬は歩くほどに千金になる。だが人のおなごは歩くほど銭がかかって面倒だ」と断った与一だったが、リュウが野馬となっていた氷室を捕まえたこともあり、その熱意にほだされる。
 与一についていくということは、家を出るということだ。祖父が亡くなり、働き手は母親のキヨ一人。自分が家を出ることで、母と祖母が「村八分」になりかねないのだ。それでも、リュウは村の外の世界に出ることを選ぶ。こっそり旅立とうとしていたリュウだったが、母親のキヨに見つかってしまう。けれど、キヨはリュウを叱るどころか、その背中を押す。リュウの不安を「わぁを誰だと思ってるんだ。村の男は、みんなわぁのとりこじゃ。あとのことは気にするこたねえよ」と吹き飛ばす。キヨもまた、逞しく生きてきた女だったのだ。
「物の役に立たん生き方はするな」「だども、親より先に死ぬんじゃねえよ。殿さまも馬も見捨ててもいいすけ、おめは、死んじゃなんねえよ」リュウに向けられたキヨの言葉に、思わず目頭が熱くなる。
 馬喰見習いとしてのリュウの日々。ここでも貧しさゆえに悲しみを強いられる女たちがいる。「馬っこが、好きなだけじゃ」という想いで村を出たリュウだったが、貧富の差や身分の差はどこに行っても変わらない。世の中の理不尽に押しつぶされそうになりながらも、リュウは前へと進んでいく。
 物語のラスト、リュウが自分の子に付けた名前を知った時、涙がこぼれた。あぁ、リュウ、忘れてなかったんだね。悲しみにのまれず、自分の手で人生を切り開いたリュウの背中が、眩しく心に刻まれる。良い物語を読んだという喜びに、しばし身を委ねたい。

作品紹介



書 名:天馬の子
著 者:高瀬乃一
発売日:2025年09月02日

何度でも立ち上がる。歩き続ける。冬の大地を春へと駆ける少女の物語。
『貸本屋おせん』で日本歴史時代作家協会賞新人賞受賞、
『梅の実るまで』で山本周五郎賞候補となった注目の新鋭が満を持して放つ感涙の長編時代小説!

南部藩の村に生まれたリュウは馬と心を通わせる10歳の少女。厳しい自然のなかで名馬「奥馬」を育てる村では、時に人よりも馬が大切にされていた。リュウの家にも母馬が一頭いるが、毛並みの良い馬ではない。優れた馬乗りだった兄が二年前に亡くなり、家族は失意のなかにあった。祖父は孫娘に厳しく、母は小言ばかり。行き場のない言葉を抱えたリュウが馬の世話の合間に通うのは「柳の穴」と呼ばれる隠れ家だった。姉のようにリュウを見守る隣村の美少女セツ。村の有力者の優しくてドジな次男坊チカラ。「穴」に住む家無しのスミ。そこでは藩境を隔てて隣り合う村の子どもが集まり、自由な時を過ごしていた。

ある日、片腕のない見知らぬ男が「穴」に現れる。「仔は天下の御召馬になる」。馬喰(馬の目利き)の与一を名乗る男はリュウの育てる母馬を見て囁いた。将軍様の乗る御馬、即ち「天馬」。しかし天馬は天馬から生まれるのが世の道理。生まれにとらわれず、違う何かになることなどできるのだろうか? リュウは「育たない」と見捨てられた貧弱な仔馬を育て始める。

村を襲う獣、飢饉、「穴」の仲間や馬たちとの惜別。次第に明らかになる村の大人たちの隠しごと。与一との出会いから大きくうねり始めるリュウと仔馬、仲間たちの運命。なぜ人の命も馬の命も、その重さがこんなにも違うのか。馬も人も、生まれや見た目がすべてなんだろうか。いつか大人になったら、すべてわかる日が来るのだろうか?

生きることの痛みも悔しさも皆、その小さな体に引き受けながら、兄の遺したたくさんの言葉を胸に、少女と仔馬は生きる道を切り拓いていく。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322404001478/
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