蘇った刑事 デッドマンズサイド

「殺しちゃおうよ」刑事の頭の中に響く声の正体は!? 『蘇った刑事 デッドマンズサイド』試し読み #2
「あなたは死人なんです。言わばゾンビです。一度死んだけれど、とある理由で生きながらえている」
頭を撃たれながら奇跡的に蘇った刑事の入尾は、覚醒後、元部下の波多野にそう告げられた。そして、波多野もまた、一度死んだのだという――。
柿本みづほさんの書き下ろし最新作『蘇った刑事 デッドマンズサイド』は、札幌が舞台のサイコサスペンス警察小説です。九死に一生を得たのと引き換えにある衝動を抑えきれなくなった主人公は、刑事として正義を貫けるのか――。根源的な問いが詰まったスリル満点の本書。その冒頭部分を特別に公開いたします。
『蘇った刑事 デッドマンズサイド』試し読み #2
□
薬の臭いがする。
ピッピッという電子音も聞こえる。
体を動かそうと思ったが、指先にさえ力が入らない。
自分は何をしていたのだろう。今どこにいるのだろう。何故こんなことになっているのだろう。
記憶は──ある。
自分の名前は入尾信司。札幌西警察署刑事課強行犯係長。階級は警部補。妻はいたが離婚し、今は
「ん……」
ゆっくりと
真っ先に視界に飛び込んできたのは〝白〟だ。ぼんやりとした視界に白い何かが広がっている。よく見るとそれは天井のようだった。
天井にはカーテンレールが取り付けてある。となると、ここは病院か。
首が動かなかったため視線だけを左側へと向けた。見えるのはアイボリー色のカーテンだけだ。
今度は右に視線を向ける。
その瞬間、金属製のものが倒れる派手な音がした。
右方にいたのは、
「しっ、信司……目が、さめて」
女は顔を歪めて子供のように泣きじゃくった。その声を聞いてようやく女が自身の母──入尾
何故ここにいるのか分からない。誰かを追っていたような気がする。夜の住宅地を走っていた記憶がある。
銃。──そう、銃だ。
銃声と
──俺は、銃で撃たれたんだ。
「どうかされましたか?」
女の看護師が部屋の中を
「
声が廊下に響く。まるで死人が生き返ったかのような慌てぶりだ。
「藤原先生、今カンファ中ですッ」
「じゃあ戻り次第伝えて!」
「バイタルとりにいきます」
「ご家族への連絡はどうします?」
「ご家族、今病室にいらっしゃるからとりあえず大丈夫!」
慌ただしい足音が聞こえる。
駆け込んできたのは男の看護師と小柄な女の看護師だ。二人とも母とは顔見知りらしく、女の看護師は母を抱きしめて「よかったですね」と声をかけている。
「入尾さん、おはようございます。具合はどうですか」
男の看護師は入尾の左腕を持ち上げて掛け布団の上に置いた。
感覚のない腕を目にするのは変な気分だ。作りものが肩から伸びているような感じがする。
入尾は「動け」と強く命じた。筋張った左手は、五回目の命令を受けてようやく跳ねるように動いた。
「うまく動かないみたいですね。半年も眠っていたんですから仕方がありませんよ。ゆっくりリハビリをしていきましょう」
入尾は
だが、看護師が口にした言葉を
「今担当医が来ますからね。それまで血圧や脈拍を……」
「待って、くれ」
看護師は血圧計の腕帯を手に持ったまま動きを止める。
「どうしました?」
「俺は、半年も寝てたのか」
「はい。入尾さんが搬送されてきたのが二〇一九年の二月二十八日で、今日が九月十日。ほぼ半年ですね」
サアッと頭の中から血の気が
絶望する入尾をよそに、看護師たちは血圧測定をしたり体の具合をチェックしたりと忙しそうにしている。
「入尾さん、自分の名前と生年月日は分かりますか?」
「……入尾信司。一九八一年十月三十一日生まれ。三十七歳」
「記憶は正常そうですね。詳しい話は担当医の方からしますので」
左の二の腕が血圧計によって強く締め付けられる。
「うん。血圧、心拍数共に異常ありません。いつも通りです」
いつも通り。──その言葉がひどく残酷なものに思えてならなかった。
□
目を覚ましてから二週間後。九月二十四日。
本来、遷延性意識障害──つまり植物状態にあった患者は筋力の低下が著しく、覚醒したとしてもすぐに動けるようにはならないらしい。
だが入尾の場合、眠っている間も体だけ反射的に動くことが多々あったようで、手指や腕の筋力はある程度保持されていた。脚はまだ思うように動かないのでリハビリを続けていくしかないが、今のところ順調に回復している。
入尾はリハビリ用のハンドグリップを握りながらぼんやりとテレビを眺めていた。
流れているのは昼すぎのワイドショーだ。芸能人のゴシップやら、ちょっとした社会問題やらを取り上げている。
半年の間にいくつか変わったことがあった。
まず元号が平成から令和になっていた。他にも好きだった女優はいつの間にか芸人と結婚していたし、好きだった俳優は薬物使用で逮捕されていた。
中でも一番驚いたのは父の死だった。
父は元々心臓があまり良くなかったが、息子が植物状態になった心労で症状が悪化し、今年の夏に息を引きとったのだそうだ。
眠っている間に父が死んでいた──その事実を知った時、言いようのない虚無感と罪悪感に
同時にどこか
記憶はきちんと保持している。撃たれた夜のことについては
己を支える柱がない。己が何者なのか分からない。自分は入尾信司の死体に入り込んだまったくの別人なのではないか──そんなことばかり考えてしまう。
『政治家はすぐ記憶にありませんと言いますけどね、それじゃあ国民は納得しませんよ。そんな言い訳、今時子供だって──』
コメンテーターが随分興奮した様子で語っている。怒声が頭に響くためチャンネルを変えた。
『銃を捨てろ、こいつがどうなってもいいのか』
男が少女に銃を向けて怒鳴っている。昔の海外ドラマか何かだろう。
入尾はテレビの電源をオフにした。フィクションとはいえ、銃を目にすると胸の奥がざわついて仕方がなかった。
半年前、入尾は右脇腹と左前頭部を撃たれた。頭の銃弾は前頭葉を破壊し、側頭葉で留まった。幸い脳幹への影響はなかったため生命活動が停止することはなかった。
脳の細胞というのは現在の医療では再生が難しく、損傷すれば様々な認知機能や学習機能に障害が発生する。左前頭葉と側頭葉を大きく損傷しているとあっては、生命活動を維持しているだけの肉体──つまり植物状態になる可能性は極めて高かった。
だが搬送されてから二週間後、驚くべきことが起こった。
損傷したはずの入尾の脳は完全に修復されていたのだ。
二〇一六年以降、脳細胞が自己修復したという症例は、道内に限って相当数報告が挙がっているらしい。
何らかの物質が特定のタンパク質に作用し、海馬付近に存在する神経幹細胞の増殖、分化を促進させたのではないか──というのが現状での最も有力な見解だが、推測の域を出ず、医学界では気味の悪い現象として認識されている。患者の
ともあれ搬送から半年後、入尾は目覚めた。様々なテストの結果、脳機能や記憶にはほとんど影響がみられないという結論が出た。
奇跡。担当医は何度もその言葉を口にした。これは医療の限界を超えた現象だと。
だが入尾は別の見方をしていた。
己は、死に損なったのだ。
運命の
「要するに、ゾンビみたいなもんだよなあ」
声は静まりかえった個室に
病室には入尾しかいないため、当然返事がくることはない。母は夕方に顔を出すと言っていた。──はずなのに。
「しんちゃんはゾンビなんかじゃないよ。ちゃんと生きてる」
慌てて右方を見る。
そこにいたのは淡く微笑む髪の長い女だった。
「……な」
絶句する入尾をよそに、女は丸椅子を引っ張ってきてすとんと腰掛けた。
いつの間に現れたのだろう。廊下に足音が響くため、人が近づいてきていればすぐに分かるはずだ。
いや、そんなことはこの際どうでも良い。
傍らにいるのはみゆき──離婚した元妻だ。
「なんで、ここに」
みゆきは口元に手を置いてふわりと笑った。
「なんでって、元
「いや、駄目じゃない……けど」
「はっきりしないなあ。そんなお化けでも見るような顔しちゃって」
まさかこんなにあっさり再会するとは思っていなかった。
みゆきと離婚したのはちょうど一年前──いや、一年半前。遠因はみゆきの流産だ。
ひどく落ち込んでいたみゆきに対し、入尾は心ない言葉を投げかけた。「年齢も年齢だからもう子供を持つ気はない」と突っぱねたのだ。みゆきは次第に心を病み、ある日何も言わずに離婚届を差し出してきた。
その後は一度も連絡をとっていない。何をしていたのかも、どこにいたのかも知らない。もう北海道にいないとばかり思っていた。
「しんちゃん、痛かったよね。怖かったよね。目が覚めて一安心だね」
──何か、違和感がある。
みゆきはこんな屈託のない笑顔を浮かべるような人間だっただろうか。離婚して気が楽になったというのなら、それはそれでいいのだが──。
「頭を撃たれるなんてかわいそう。ひどすぎるよ。だから……」
ふいに、L字形の何かがベッドに落ちてきた。
布団に半分ほど埋もれているのは SIG saure P230──射撃訓練で何度も手にした
「殺しちゃおうよ」
続く
作品紹介
蘇った刑事 デッドマンズ・サイド
著者 柿本 みづほ
定価: 792円(本体720円+税)
一度死んだ者にしか嗅げない事件の”におい”がある――
頭を撃たれながら奇跡的に蘇った刑事の入尾は、覚醒後、“ある衝動”を伴って現れる元妻の幻覚に悩まされていた。ある日、突然入尾の前に姿を見せた元部下の波多野は、その原因を「頭にいる女王のせいだ」と説明。自分は仲間だとも言う。女王とは一体? そもそも撃たれたのは何故? 一方、周囲では熊害が頻発していた。当面の利害が一致し、行動を共にすることにした2人が辿りついた真実は? 型破りな書き下ろし警察小説!
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