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試し読み

今年最注目の作家、柿本みづほさんの異色の警察小説 『蘇った刑事 デッドマンズサイド』試し読み #1

「あなたは死人なんです。言わばゾンビです。一度死んだけれど、とある理由で生きながらえている」
頭を撃たれながら奇跡的に蘇った刑事の入尾は、覚醒後、元部下の波多野にそう告げられた。そして、波多野もまた、一度死んだのだという――。

柿本みづほさんの書き下ろし最新作『蘇った刑事 デッドマンズサイド』は、札幌が舞台のサイコサスペンス警察小説です。九死に一生を得たのと引き換えにある衝動を抑えきれなくなった主人公は、刑事として正義を貫けるのか――。根源的な問いが詰まったスリル満点の本書。その冒頭部分を特別に公開いたします。

『蘇った刑事 デッドマンズサイド』試し読み #1

「ちょっとちょっと、こんなところに車を停められちゃ困るよ」
 家から飛び出してきた老人になどいちべつもくれず、いりはスマホとにらみ合った。青白い光がこわばった顔を照らした。
 セダンが停まっているのは住宅地にある空き地だ。ご丁寧に『駐車禁止 罰金一万円』の看板が立っている。
「アンタ、聞いてるのかい。今すぐ車を移動してくれよ。──嫌だっていうなら金を払いな。人様の土地にただで駐車しようなんて、ずうずうしいにも程が」
「緊急事態だ、少しのあいだ停めさせてもらう」
「なんだよ、それ。ふざけるんじゃないよ。そっちがその気なら、こっちにも出方ってもんがある。不法侵入で警察に……」
 入尾は懐から取り出したものを老人の眼前に突きつけた。
「えっ……」
 入尾の手にあるのは警察手帳だ。上面には写真がてんしてあり、その下には〝警部補 入尾しん〟と記載がある。下面のエンブレムに刻まれているのは〝北海道警察〟の五文字だ。
「無断駐車は民事だ。警察は介入できない。どうしても邪魔だっていうならレッカー車でも呼べ」
 乱暴に吐き捨て、入尾は駆けだした。老人はその場にぼうぜんと立ちすくんでいた。
 汗でれたシャツが背中に張りつく。冷え切った空気はのどと肺を容赦なく痛めつけた。
 部下のあさから連絡を受けたのは十五分ほど前のことだ。
 書類仕事を終わらせてようやく帰宅し、スーパーの袋をテーブルに放り投げた瞬間、仕事用のスマホが着信音を響かせた。
 応答した瞬間に聞こえてきたのは、随分と切迫した様子の小声だった。
『今、ホシのマンションにいます。かんじようどおり沿い、まるやま墓地の目の前です。勝手なことをしてすみません。動きがあったらまた連絡します』
 入尾が口を開くより先に通話は切れた。もう一度かけ直してみたが、波多野が応答することはなかった。
 スマホに表示されている〝発信中〟の文字を見つめているうちに、得体の知れない悪寒が全身をい上がっていった。
 気付けば入尾はジャンパーと車のキーを持って家を飛び出していた。スーパーの袋から缶ビールが転がり落ちていたが、気にしている余裕はなかった。
 全速力で車を走らせ、マンション近くの空き地に停車し、そうして今に至る。
「くそっ、あの馬鹿女……」
 周囲に誰もいないのをいいことに、入尾はいらちと焦燥のこもったせいを吐いた。白い息が夜の闇に溶けていった。
 波多野は入尾の部下の中で一番〝甘ちゃん〟な刑事だ。
 二十七歳という若さで強行犯係へ配属されたはいいものの、頭がかたく、理屈っぽく、少しでも壁にぶつかったらすぐに弱音を吐く。そのくせ〝女の権利〟については人一倍うるさく、何かにつけて「それはセクハラです」と口にする。正直なところ面倒な女という印象が強かった。全く折り合わなかった。
 だが、波多野には根性があった。何が何でも事件を解決するという気骨も持ち合わせていた。特に女性が被害者である事件に対しては人一倍のいきどおりを抱いていた。
 今回の件もそうだ。
 三週間前、とある女性が交番に駆け込み「暴行されそうになった」と涙ながらに訴えた。波多野はすぐさま女性の元へ行き、親身になって話を聞いた。
 女性はインターネットで知り合った男性と待ち合わせて車に乗り、そのまま山奥へ連れて行かれそうになったらしい。女性は隙をみて車から逃げだし、靴もかばんもないまま山道を駆け下りた。男はしばらく追いかけてきたが、気付けばいなくなっていたという。
 暴行目的だったのか、あるいは殺害目的だったのか、それは不明だ。どちらにせよ誘拐及び監禁行為であることに変わりはない。波多野はこの件に関して熱心に捜査を進めた。
 だが捜査はあつなく打ち切られることとなった。女性の話はあいまいかつ矛盾点が多く、証拠不十分である──それが上の言い分だった。
 到底納得がいくはずもない。明らかに不自然な決定だ。
 犯人の手口の巧妙さからいって、他にも被害者がいる可能性は極めて高かった。加えて数ヶ月前から若い女性が何人か行方不明になっているとの情報もあり、他の被害者が殺害されている可能性も視野に入っていた。
 入尾は波多野に対して捜査の続行を許可した。
 捜査活動は上に報告せず、表向きは事件から手を引いたように見せかけておいた。波多野も上に気付かれぬよう秘密裏に捜査を進めた。
 波多野が熱くなっていることは知っていたが、まさか単身で犯人の元へ乗り込むとは。
「上司に黙っておとり捜査する馬鹿がどこにいやがるんだよッ」
 その一声は夜の冷気によく響いた。
 しばらく環状通を走っていると、左手に墓地が見えてきた。道路を挟んで反対側にも墓地が広がっている。波多野が言っていた円山墓地だ。
 中道に入り、墓地の隣に建つマンションへ歩を進める。
 立派なマンションだ。十五階建てで、一階はエントランスと駐車場になっている。すぐ隣に山がある落ち着いた場所である。
 ふと、マンション前の歩道へ視線をやった。ロードヒーティングが設置されているのかアスファルトがあらわになっていた。
 誰かいる。倒れている。
 入尾はその何者かに近づき、おそるおそる顔をのぞき込んだ。一拍置いて、唇からひゅっと悲鳴のような音が漏れた。
 ──波多野だ。
 波多野麻海が、頭から血とのう漿しようを飛び散らせて倒れている。
「おい、波多野。しっかりしろ。ふざけんなよ、波多野ッ」
 返事はない。反応もない。その姿はさながら壊れたマネキンのようだ。
 花弁を思わせる〝赤〟がアスファルトに広がっていく。一方で、波多野の顔からはどんどん彩度が失われていった。やる気と正義感に満ちあふれていたひとみも、今ではタールのように黒く、暗い。
 入尾はかたひざをつき、波多野の顔を間近で見た。
 空気の漏れるような音が聞こえる。よく見てみると胸がかすかに上下している。
 ──まだ、息がある。
「今救急車を呼ぶ。それまで何とか持ちこたえろ」
 入尾はすぐさま一一九番通報をした。
 激しい動揺とは裏腹に手も足も一切震えていない。まるで別の何者かに体を乗っ取られているような感覚だ。刑事としてのきようが理性を保たせている。
『一一九消防です、火事ですか、救急ですか』
 応答したオペレーターの声は機械のように淡泊だった。
「救急だ。場所はちゆうおうみなみさんじよう西にし……二六か二七。ジーヴルさつぽろ円山公園ってマンションの前。人が高所から落下した。頭が割れてる。まだ息はある』
 オペレーターはすぐに『今救急車を向かわせました』と口にした。
 その後のやり取りも極めてスムーズだった。入尾は淡々とオペレーターの質問に答え、通報を終えた。
「波多野、もう少しだけ頑張れ。すぐに救急車が来る」
 もう一度波多野の顔を覗き込む。
 先ほどより顔色が悪い。胸が上下する間隔も随分と広くなっている。
 ──このままだと、波多野は死ぬ。
「……かり、ちょ」
 声がした。
 波多野の切れた唇がかすかに動いている。
「かかり、ちょ……つかま、えて……くださ……ほし……まだ……」
「分かってる。必ず捕まえる。でも今はお前を」
「あ、そこ……あいつ、が……」
 波多野はぎこちなく視線を動かした。見ているのは入尾の後ろ──正面玄関の方だった。
 玄関の前には若い男がいた。体を震わせ、真っ青な顔で波多野を見ている。
 死にかけている人間を見ておびえているのかとも思ったが、どうにも様子がおかしい。その表情には〝興奮〟が混じっているように見える。
「あいつなんだな」
 波多野はゆっくりとまばたきをした。それだけで十分だった。
「そこのお前、動くな」
 入尾はおもむろに立ち上がった。
「警察だ。署まで同行願いたい」
「違うんです……僕じゃない、僕じゃないんだ」
 男は一歩後ずさった。続けて二歩、三歩と下がっていく。──かと思うと、突然きびすを返して走り出した。
 すぐに後を追った。かんじようどおりを横切り、墓地を抜け、山へと入っていく。
 男はわめきながら必死に山道を駆け上がっていたが、固まった雪に足をとられたのか派手に転倒した。ジタバタと手足を動かして這いつくばる様は、まるで水をかけられた虫のようだ。
「話を聞いて下さい、僕のせいじゃないんです、違うんですッ」
 逃げられないと悟ったのか、男はしりをついて入尾に向き直った。
「違うと言うならどうして逃げた」
「僕はこんなことしたくないんです。本当です」
「何故逃げたと聞いてる」
「ああ、どうしてこんなことに。どうして」
 ──話にならない。
 入尾は獲物を追い詰めるように一歩一歩男へと近づいた。男は後退していったが、木にぶつかってそれ以上後ろへ下がることはなかった。
 月光が男の顔を照らす。
 声からして若者だろうとは思っていたが、想像以上に若い。二十代前半といったところだろう。目鼻立ちの整った今風のやさおとこである。
 それよりも。
「お前、どこかで会ったか」
 男は顔色を変えた。
 どこかで見た顔だ。プライベートではなく仕事の時に一度会っている。事件の参考人──いや、に顔を合わせたような気がする。
 ということは、この男。
「僕のせいじゃないんだよ……誰か助けてくれよう」
 男は激しくかぶりを振った。
 甘い匂いがする。香水か何かだろうか。
「じゃあ誰のせいだって言うんだ」
です。幽霊が何度も目の前に現れて、やれっていうんです。……ああ、僕は人殺しなんかしたくないのに!」
「クスリでもやってるのか。まあいい。話は署で聞く」
「クスリ? 違う違う違うッ。そんなものじゃない。これはその程度じゃ済まない。あなたには分からないんだ。この衝動が、欲求が、幽霊の声が……」
「分かるわけねえだろ。さっさと立て。現行犯で逮捕──」
 せつ、乾いた音が静寂をつんざいた。
 夜の果てまで音が響いている。少しして右の脇腹がじわりと熱を持った。
 腹を押さえる。生温かい液体が手をらす。
 血だ。
「て、めッ……」
 入尾はガクンと膝を折った。だが地面に膝をつけることはなく、そのまま足を踏み出した。
 男の手には銃が握られている。
 何故銃を持っているのか。そんなことはこの際どうでもいい。
 入尾は腹の激痛に耐え、男の手をり飛ばした。銃は放物線を描いて近くの茂みへと飛んでいった。
 慌てて取りに行こうとした男の顔面にもう一度蹴りを入れ、茂みへと駆ける。途中で足に力が入らなくなりその場にくずおれたが、それでもいつくばって前へと進んだ。
 まみれの手で銃をつかむ。
 身をひるがえし、銃口を男へと向ける。
 だが──。
「ごめんなさい、ごめんなさい。本当はこんなことしたくないのに」
 男の姿をとらえるよりも先に、濃い影が入尾を覆った。
 眼前に銃口がある。男が二ちよう目の銃を手にして、入尾に馬乗りになっている。
 男は鼻から大量の血を流しながら、興奮の混じった笑みを浮かべた。
「でも、こうしなくちゃ駄目なんだ。もうこれをやめられないんだ。だから許してください」
 果物を煮詰めたような、甘い匂いがする。
 遠くでサイレンの音が聞こえた。
「ごめんなさい、。……僕と同じ苦しみを味わって死んで下さい」
 刹那、世界から一切の音が失われた。
 額の左側が熱い。何かが流れ出ていく感覚がある。視界が右端からどんどんゆがんでいく。
 顔に何かが落ちた。熱いのか冷たいのか分からないそれは、雨粒のようにポツポツと降り注ぎ、頰を伝って耳の方へと垂れていった。
 ──死ぬのか。俺は。
 寒い。熱い。自分が空になっていく。
 別れた妻の影が見えた。引き留めたくて、ぐっと手を伸ばした。
 そうして──何もかもが闇に飲まれた。

続く

作品紹介



蘇った刑事 デッドマンズ・サイド
著者 柿本 みづほ
定価: 792円(本体720円+税)

一度死んだ者にしか嗅げない事件の”におい”がある――
頭を撃たれながら奇跡的に蘇った刑事の入尾は、覚醒後、“ある衝動”を伴って現れる元妻の幻覚に悩まされていた。ある日、突然入尾の前に姿を見せた元部下の波多野は、その原因を「頭にいる女王のせいだ」と説明。自分は仲間だとも言う。女王とは一体? そもそも撃たれたのは何故? 一方、周囲では熊害が頻発していた。当面の利害が一致し、行動を共にすることにした2人が辿りついた真実は? 型破りな書き下ろし警察小説!
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322011000415/
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