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試し読み

「人の強さとは何か。この物語の中に一つの答えがある」 今村翔吾さん推薦!『蘇った刑事 デッドマンズサイド』試し読み #3

「あなたは死人なんです。言わばゾンビです。一度死んだけれど、とある理由で生きながらえている」
頭を撃たれながら奇跡的に蘇った刑事の入尾は、覚醒後、元部下の波多野にそう告げられた。そして、波多野もまた、一度死んだのだという――。

柿本みづほさんの書き下ろし最新作『蘇った刑事 デッドマンズサイド』は、札幌が舞台のサイコサスペンス警察小説です。九死に一生を得たのと引き換えにある衝動を抑えきれなくなった主人公は、刑事として正義を貫けるのか――。根源的な問いが詰まったスリル満点の本書。その冒頭部分を特別に公開いたします。

『蘇った刑事 デッドマンズサイド』試し読み #3

「──は?」
 みゆきは満面に笑みを浮かべた。
「撃たれたんだもん、人を撃ったっていいよね。悪い事じゃないよ」
「お前、なに、言って」
「ほら、誰か来るよ。さっそく殺そう。バンッて撃っちゃおう。がんばれ、しんちゃん。やればできるぞお」
 みゆきの言うとおり、足音が近づいてくる。これは看護師のそれではない、男物の革靴の音だ。
 気付けば入尾は右手で銃を握りしめていた。
 銃口は病室の入口へと向いている。グリップから手を離そうとするも、みゆきの白い手につかまれて離すことがかなわない。
「……お前は、誰だ」
 語尾が震えた。手も、銃口も震えていた。
「みゆきだよ、わからない? もしかして忘れちゃった?」
「お前はみゆきじゃない」
「ひどいこと言うなあ。じゃあ、しんちゃんはしんちゃんなの? 自分は入尾信司だって断言できるの?」
 みゆきはぐっと身を寄せ、入尾の耳元に唇を近づけた。
「可哀想なしんちゃん。私だけがずっと側にいてあげられる。だから殺しちゃおう。沢山殺して、ずぅっと二人きりで過ごそうよ」
 足音が近づいてくる。すぐそこまで来ている。
 入尾の意思とは裏腹に、右手の人差し指は今にも引き金を絞ろうとしていた。
 ──撃つな。やめろ!
 内心でどれだけ叫んでも言葉が出ない。引き金の重さだけが指先に伝わる。
 病室の入口から人影がのぞいた。
 入尾は引き金を──。
「大丈夫か。顔色が悪いぞ」
 その声は入尾を現実へ引き戻すのに十分過ぎる力を持っていた。
 視界に彩度が戻る。全身が汗でじっとりと湿っている。
 右手は──布団の上にあった。銃はない。みゆきの姿もない。丸椅子は洗面台の横に置いてある。
 ──夢、か。
 入尾はしばらく硬直したあと、二度に分けてためいきをついた。全身が緊張しきっていてうまく呼吸ができなかった。
「具合がよくないようなら日を改めるが……」
 病室の前でげんそうな顔をしているのはスーツを着た中年男性──直属の上司である西署刑事課長のさわむらひでかずだ。
 入尾は心臓の音を抑えるべく布団を握り、もう一度室内を見回した。やはりみゆきの姿はどこにもなかった。
「大丈夫です。少しうとうとしていただけなので。……中に入って下さい」
 沢村は遠慮がちに病室へと足を踏み入れた。
 一瞬、廊下に髪の長い女の姿が見えた気がした。だがそれはまたたきの間に消えせていた。

 入尾は差し入れの缶コーヒーに口をつけ、途端にまゆを寄せた。
 以前は毎日飲んでいたはずのコーヒーがやけに苦く感じられる。まったく美味うまいと思えない。
「どうかしたか?」
 沢村に顔を覗き込まれ、入尾は慌てて首を横に振った。缶コーヒーはサイドテーブルに置いた。
「なんでもありません。ええと、何の話を──ああ、撃たれた夜のことについてでしたね」
 沢村は大きくうなずいた。
「帰宅してからすぐに現場へ向かったことは覚えているんですが、それ以降のことはほとんど」
「そうか。まあ、そうだろうな。頭を撃たれたんだ。記憶がなくなるのも当然か」
「お役に立てずすみません」
「そんなことは言わなくていい。こっちこそ、嫌なことを思い出させてすまなかった」
 思い出せていないが──とは口に出さなかった。
 撃たれた夜のことだけは今でも記憶があいまいだ。
 あの夜はとにかく急いでいたような気がする。アクセルを目一杯に踏み込んで現場まで車を走らせた。空き地に駐車して老人に怒られたことも覚えている。だがどこへ向かったのか覚えていないし、何故急いでいたのかも思い出せない。無理に思い出そうとすると記憶が〝撃たれた瞬間〟に飛んでしまう。
 寒いような、熱いような、何とも言えない不快感。自分の中身が溶け出していく感覚。撃たれた時のことを思い出すたび、強烈な吐き気とそうようさいなまれる。
「まだ混乱しているだろうが、ひとまず半年前の事件について説明したい。大丈夫か?」
「……お願いします」
「半年前、お前を撃ったのはつなふじいく、三十五歳。マル暴の使いっ走りだったチンピラだ。お前を撃った二日後、綱藤は本部の捜査員によって身柄を確保された。略取誘拐、銃刀法違反、殺人未遂で起訴され、現在は服役中。懲役三年、執行猶予なしだ」
「三年?」
 ──随分と短い。
「綱藤には殺意がなかったという弁護側の主張が通ったんだ。お前に追い詰められ、命の危機を感じて突発的に引き金を引いた──綱藤はそう証言した」
「そう……ですか」
「正直なところ、俺は綱藤の証言はデタラメなんじゃないかと思ってる。だからお前が何か覚えてはいないかと期待したんだが……いや、やめよう。忘れてくれ」
「被害者は他にもいたんですか」
「というと?」
「誘拐事件です。あの件は他にも被害者がいた可能性が高かったはず」
 沢村は不満げに口の端を下げたあと、首を横に振った。
「いいや、被害者は一人だった。被害を訴えてきた女性だけだ。綱藤いわく、女性を見た瞬間性欲が抑えられなくなり、車内でコトに及ぼうとして山へ連れて行ったらしい」
「行方不明になっていた女性達は」
「まだ見つかっていない……が、綱藤の件とは無関係と判断された」
 半年前の事件を今更蒸し返しても仕方がないのは分かっている。すでに刑は確定し、綱藤は今刑務所の中にいるのだから。だが、どうにも納得がいかない。
 理不尽な捜査打ち切り命令の件も含めて、何かが隠されているような気がしてならない。
「半年前、俺は綱藤を追って、それで頭を撃たれたんですか」
「そうだ。あの晩、お前はどういうわけか西にしみやさわにあった綱藤のすみに単身乗り込んだ。お前の登場でパニックになった綱藤はとつに銃を持って逃走。森の中へ逃げ込んだところをお前に追い詰められ、命の危機を感じて引き金を引いた……そう供述している」
 ──西宮の沢?
 確かに撃たれたのは森の中だった記憶がある。だが西宮の沢だっただろうか。
「銃は綱藤の証言通りいねやまの山中に捨てられていた。お前の頭にあった銃弾の線条こんとも一致してる」
「同一の線条痕を持つ銃弾は」
「登録なしだ」
 線条痕とは銃弾に残った傷跡のことだ。銃身の内側にはらせん状の溝があり、銃弾がそこを通ると溝に触れた部分にあとが残る。この痕は銃ごとに異なるため、銃の指紋とも呼ばれる。
 同一の線条痕を持つ銃弾が発見されていない以上、〝あの銃〟で撃たれた人間は入尾の他にいないか、あるいはということになる。
「そういえば、波多野は」
 入尾は自らの口をついて出た言葉に引っかかりを覚えた。
 波多野。──波多野麻海。
 何か大事なことを忘れている気がする。
「今どうしているんですか。誘拐の件はあいつが一番熱心に捜査していました」
「それは知っている。捜査打ち切りになった事件を秘密裏に追い続けるのは明らかな命令違反なんだが……まあ、今更言っても仕方がないな。波多野は退職した。今どこで何をしているのかは分からない」
「退職? どういうことです」
「色々とあってな。波多野のことは落ち着いたら話す。……ところで、退院後の話なんだが」
 露骨に話をらされた。沢村は都合が悪くなるとけんしわが寄るため分かりやすい。
「お前はどう考えている。自宅療養に入るのか?」
「気が早いですね。まだいつ退院になるかも分かっていないのに」
「担当医が言うには、今のペースだと十一月頃には退院できるそうだ。言うほど気が早い話でもないぞ」
 十一月頃ということは、あと一ヶ月と少し。そう考えると確かにあっと言う間かもしれない。
「俺は自宅療養に入ってもいいんじゃないかと思っている。幸い……と言っていいのか分からないが、お前は奥さんも子供もいないから、しばらく退職金で暮らしていけるだろう。もちろん傷病手当だって出る」
「それはつまり、復帰せずに退職しろということですか」
 沢村は返答しなかった。だが答えは〝イエス〟だろう。
 退職を勧める気持ちは理解出来る。驚異的なスピードで回復しているとはいえ、頭を撃たれて半年間こんすい状態にあったのだ。復帰は困難と判断するのは当然のことだ。
 よく〝足で捜査〟などと言われるが、その足は今まともに動かない。銃把を握れるかどうかも不明だ。もしかしたら、このまま何ヶ月も車椅子生活になるかもしれない。
 それでも、入尾は首を縦に振れなかった。
 自分の中の根源的な何かが「警察を辞めるな」と叫んでいる気がする。
「退職は……考えていません」
 沢村の眉間に刻まれた縦皺が更に深くなった。
「復帰を望んでいる、ということだな」
「はい」
「本当にいいのか。また危険な目に遭うかもしれないぞ」
「構いません」
 沢村はしばらくはんにやのような顔で唇をんだあと、ふっと鼻で笑った。
「以前とすっかり変わってしまったと思っていたが、そういう頑固なところは変わっていないんだな。少し安心した。もう〝鬼の入尾〟はいなくなってしまったのかと思っていたから……」
 まるで別人のよう──見舞いに来た者が決まって口にする言葉だ。
 今まで母や妹、同僚、友人など、病室を訪れた者全員に同じことを言われた。魂が抜けた人形のようだ、と言われたこともあった。
 おそらく、頭を撃たれた瞬間に〝入尾信司〟は死んだのだろう。今ここにいるのは、その体と記憶を引き継いだ何者かだ。
「復帰の意思があることは署長に伝えておく。とりあえずお前は回復に専念してくれ。……さっきはああ言ったが、俺はお前が刑事としてあちこち荒らし回って、突っ走ってるところがまた見たいよ。署長にも食ってかかる様は見ていて気持ちがよかったしな」
 沢村は入尾の肩に手を置き、力強くつかんだ。
 一方で、入尾は〝入尾信司〟に向けられた期待を受け止めることができず、ただ目を背けることしかできなかった。

続く

作品紹介



蘇った刑事 デッドマンズ・サイド
著者 柿本 みづほ
定価: 792円(本体720円+税)

一度死んだ者にしか嗅げない事件の”におい”がある――
頭を撃たれながら奇跡的に蘇った刑事の入尾は、覚醒後、“ある衝動”を伴って現れる元妻の幻覚に悩まされていた。ある日、突然入尾の前に姿を見せた元部下の波多野は、その原因を「頭にいる女王のせいだ」と説明。自分は仲間だとも言う。女王とは一体? そもそも撃たれたのは何故? 一方、周囲では熊害が頻発していた。当面の利害が一致し、行動を共にすることにした2人が辿りついた真実は? 型破りな書き下ろし警察小説!
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322011000415/
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