5月11日(土)発売の「小説 野性時代」2019年6月号では、真梨幸子「フシギ小説」の連載がスタート!
カドブンでは、この新連載の試し読みを公開します!
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「実は、そのマンションMに、私も学生の頃、住んでいたのです……」
戦慄のオカルト・ミステリー、開幕!
はじめにお断りしておく。
本作品は、私が体験、または見聞きした〝不思議〟を、「小説」として仕上げたものだ。
作品に登場する人物名や組織名は基本的に仮名またはイニシャルとし、若干のエフェクトもかけてある。無論、私本人に関しても、エフェクトがかけてある。プライバシー保護のためだ。一部の地名や固有名詞に関しても、特定できないようにあえて架空のものとした。
「あの街ではないか?」
「あの人のことだろう」
「この組織は、あの――」
などと、詮索されるのは自由だが、ほどほどに願いたい。特定したところで、いいことはなにひとつない。むしろ、後悔するだけだ。
前置きはこの辺にして。
では、「フシギ」小説をはじめたいと思う。
第一回目は、「マンションM」の話だ。
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「それで、話は変わるのですが――」
向かいに座る女子アナボブの女性が、ティーカップをソーサーに戻した。そして、やおら背筋をぴーんと伸ばした。
来た、来た、来た。
私の背筋もぴーんと伸びる。
港区は赤坂にあるビストロ。一人前六千円のコースを堪能し、今まさに、デザートが出されたところだった。
私が頼んだデザートは、スィーツの盛り合わせ。同じものを頼んだのは、向かいに座る女子アナボブの女性と、その隣のソフトモヒカンの男性。
その隣のヒゲ面の男性だけが、マスカルポーネとなんちゃらのどうのこうのソルベ添えだ。
ぱっと見、このヒゲ面の男が一番偉い人のように見えるが、名刺を見ると、どうも違う。肩書きはなにもない。
肩書きからすると、ソフトモヒカン男がこの中では一番の上司らしい。「部長」とある。
もっとも、「部長」が一番偉いとは限らないのが出版業界。ひとつの部署に、複数人「部長」がいるのもよくあることだ。ある程度年季がはいると、誰も彼も部長に昇格させる……という出版社もある。先日、打ち合わせしたT社などがまさにそうだが、この出版社はどうだろうか?
株式会社ヨドバシ書店。
量販店のヨドバシカメラと似た名前だが、まったくの別物。偶然、この名前になったのだという。偶然というより、必然か。ヨドバシカメラは、新宿の〝淀橋〟にあったところから、この名前になった。ヨドバシ書店も新宿の〝淀橋〟がルーツで、地名をとってこの名前になったらしい。
創業は大正十五年。関東大震災後、貸本屋として淀橋に開業したのがそのはじまりだという。戦時中は一度店を畳むが、戦後、ミステリー専門の出版社として再出発、昭和五十年代はヨドバシミステリー文庫が軒並みミリオンを叩き出し、大ブームとなる。平成に入ってからは出版不況の煽りをくらい倒産の危機にも見舞われたが、ケータイ小説で不死鳥のように蘇る。そしてここ数年は新書ブームに乗り、数々のスマッシュヒットを送り出している。新しいところでは、『霊感ダイエット体操』のヒットだろうか。不滅コンテンツのオカルトとダイエット、そしてブームの筋トレを組み合わせたような内容で、いかにもあざといし、なによりタイトルがひどく馬鹿馬鹿しいのだが、そのバカバカしさがかえって受け、今もランキングの上位に鎮座している。何を隠そう、私も勢いでそれを買った口だ。
とはいえ、自分とは無縁の出版社だと思っていた。
事実、デビューして十四年、ヨドバシ書店からお呼びがかかったことはない。
きっとこのまま、無縁なのだろうな……と、書棚の『霊感ダイエット体操』を眺めているときだった、メールが届いた。デビュー時から付き合いがあるK社からで、ヨドバシ書店の編集部から問い合わせが来ているが、メールアドレスを教えてもいいか? というような内容だった。
本来ならば、「お断り」するところだった。今、ありがたいことに仕事の依頼を数多いただいている。二年先まで予定がつまっていて、ひとつひとつのクオリティーを考えると、これ以上、仕事を入れるわけにはいかない。
それに、新規の出版社となると、マイナンバーの書類を提出したり、入金口座を指定したりと、なにかと煩雑な事務作業が発生する。これがまた一苦労なのだ。だから、ここ数年、新規の取引はすべてお断りしてきた。
が、『霊感ダイエット体操』なるものを発売したヨドバシ書店とは、いったいどういう出版社なのか? という興味はあった。
それ以上に、ヨドバシミステリー文庫には、中学、高校時代に大いにお世話になった。今の自分があるのも、ヨドバシミステリー文庫のおかげだと言ってもいい。いわば、恩人のような存在だ。そんな恩人を、「お断りします」と、無下にしてもいいのだろうか? そんな思いもあって、つい、
「メールアドレス、先方にお伝えください」
と、私は返信してしまったのだった。断るにしても、自分から直接断るのが筋だろう……と。
その日の深夜、ヨドバシ書店の『尾上まひる』という編集者からメールが来た。
『はじめまして。……高校時代、図書館にあった先生の作品を読んで以来、先生の大ファンです。先生の作品は、デビュー作から、最新作まで、すべて読んでいます。……一度、お会いしたいと思っていますが、ご予定はいかがでしょうか』
この時点では、私は断る気満々だった。
さて、なんと言って断ろう……と考えながらメールをスクロールしているときだった。
『ぜひ、聞いてもらいたいお話があるのです。……八王子にある、マンションMの話です』
マンションM?
スクロールする指が止まった。
マンションM、忘れもしない。私が、上京して最初に住んだマンションだ。
……マンションといっても名ばかりで、四階建ての小さな雑居ビルだ。一階と二階がテナントで、そして三階、四階に賃貸住宅が入っていた。賃貸住宅はワンフロアに四戸、合計八戸だったと記憶している。私は四階の1Kの部屋を借りていて、最上階だと喜んだのは最初だけ、エレベーターがないビルだったため階段の上り下りで毎日がひどく難儀だった。それでも四年間住んだのだから、我ながら大したものだ。あんなことがあったというのに。
そう、私はその部屋で、幾たびか不思議な体験をしている。どれも忘れがたい体験で、小説家になる前から、怖い体験談として飲み会で披露したり、ブログに書いたりしてきた。小説家になったあとも、そのマンションMを舞台にいくつかの小説を書いた。先月もエッセイに盛り込んだばかりだった。そういう意味では、今もお世話になっているマンションである。
『実は、そのマンションMに、私も学生の頃、住んでいたのです。エッセイを読んで、すぐに分かりました。あ、あのマンションだって。私が住んでいた部屋は、四〇一号室です』
四〇一号室!
まさに、私が住んでいたあの部屋だ。あの部屋で、私は――
『そう、私もあの部屋で、金縛りに遭ってしまったのです』
背筋を冷たいものが流れた。動悸も乱れる。私は、小さな混乱に陥った。
時間もよくなかった。いわゆる丑三つ時。
あのときと同じだ。あのときも、こんな時間帯に、あれに遭遇したのだ。
あのときの恐怖。
それが再現されるような気がして、私は咄嗟にキーボードに指を置いた。
そして、
『分かりました。一度、お会いしましょう。ご都合のいい日をいくつか、ピックアップしてください』
と、私は迂闊にも、そんな返事を送ってしまったのだった。
そして、今日。
先方が指定してきたのは、私の自宅近くのビストロで、よくランチで利用する場所だった。
が、さすがに六千円のコースを注文したのは今回がはじめてだ。いつもなら、千六百円のランチセットだ。
今日もそれでいいと思ったのだが、先方が六千円のコースを注文してしまった。しかも、ワインまで。私は酒を飲まないが、健康のため、ここ数年は一日一杯、薬代わりにワインを飲んでいる。そんなことを言ったわけではないが、気がつけば、私の前にはグラスワインが。
ここまで周到だと、ますます断りづらい。六千円のコースを食べて、ワインまで飲んでおきながら、「仕事は請けられません」と断ることなど、私にはできない。根っからの小心者なのだ。
だから、食事の最中、私はどうでもいいくだらない話をしまくった。先方が仕事の話をしようとすると、すぐさまフェンスを張り巡らし、昨日見たドラマの話やら、占いの話やら、人類滅亡の話やら、もうまさにジャンクのような話題を花咲爺さんよろしく盛大に撒き散らした。そうやって煙に巻いて忍者のように退散できないだろうか……?
が、やはり、そんな虫のいい話はない。
「それで、話は変わるのですが――」
向かいに座る女子アナボブの女性――尾上さんが、ティーカップをソーサーに戻した。そして、やおら背筋をぴーんと伸ばした。
来た、来た、来た。
私の背筋もぴーんと伸びる。
きっと、仕事の話だ。……原稿依頼の話だ。はてさて、どう断ろう? と、肩に力を入れたところで、
「マンションMの話なんですが――」
えっ? そっち?
私は肩透かしを食った。が、ここで油断してはならない。私は、再び、肩に力を入れた。
「ああ、八王子のマンションM。尾上さんも住んでいたとか?」
私は、慎重に話に乗った。
「そうなんです。大学入学のために上京して、はじめて一人暮らしした部屋がまさにマンションMでした。……借りたのは、十四年前のことです」
(このつづきは「小説 野性時代」2019年6月号でお楽しみください)
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