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試し読み

金融市場の闇を描く人気シリーズ、開幕!!【新連載試し読み 黒木亮「カラ売り屋 vs シロアリ屋」】

6月12日(水)発売の「小説 野性時代 2019年7月号」では、黒木亮さん「カラ売り屋」シリーズの新作、「カラ売り屋vsシロアリ屋」の連載がスタート!
カドブンでは、この新連載の試し読みを公開します!

パンゲア&カンパニーの北川たちが目をつけたのは、東証一部上場のブラック企業、〝東京シロアリ防除〟だった――。

金融市場の闇に蠢く男たちを描く人気シリーズ、開幕!!


   1

 皇居の緑のもり二重橋にじゅうばし方面からみおろす高層ビルに入居している大手証券会社のトレーディングフロアーでは、トレーダーやアシスタントたちが、おびただしい数のスクリーンにとり囲まれて働いていた。
 ルルルーン、ルルルーンという電話の呼び出し音、カチャカチャとキーボードを叩く音、電話の話し声などが体育館の数倍の空間に満ちていた。かつては怒鳴り声が飛び交っていたが、IT技術の進歩で、ずいぶん静かになった。
「……ノルウェーのオイルファンドから日立ひたち三十万株の引き合い? わかった。ちょっと待って」
 白いワイシャツ姿の男性トレーダーがデスクのマイクで、ロンドン現地法人の北欧担当者と話していた。
 オイルファンドは、石油セクターからの税収を財源とするノルウェー政府の投資ファンドで、欧州最大の年金基金だ。
「板みると、八十七円(三千三百八十七円)のところに大きな売りの塊があるなあ。場(取引所)に出そうか?」
 トレーダーの目の前には二段重ねにした六面のスクリーンがあり、鮮やかな色付きの折れ線グラフや数字が相場の鼓動を伝え、保有銘柄のチャートを示している。
 そのうちの一つが「板」で、価格ごとの日立製作所株の買い注文と売り注文の株数一覧表だ。
 隣のデスクでは、金髪の欧米人の女性トレーダーが、頭に着けたレシーバーでシンガポールのセールスチームと話している。
 ピンピーンという音が突然響いた。
 大きな株価の変動や重要なニュースが入ったときの警報音だ。
 男性トレーダーは、急いで画面に視線を走らせる。

〈パンゲア&カンパニー、東京シロアリ防除を強力売り推奨〉

 黄色い背景に赤く太い文字が躍動していた。
 ニューヨークのカラ売り専業ファンドが、東証一部上場の東京シロアリ防除の売り推奨レポートを出したのだ。
(パンゲアか! これは信ぴょう性が高い!)
 トレーダーはキーボードを叩いて、東京シロアリ防除の持ち高を確認する。
 非インデックス銘柄なので、持ち高は多くなく、二万株で時価四千四百万円ほどだった。
 トレーダーは東京シロアリ防除の証券コードをスクリーンに打ち込み、株価チャートを開く。
 黒いスクリーンにオレンジ色の線が地上に突き刺さっていく稲妻のように現れた。
(げっ! もう百円近く落ちてる!)
 急いで全株を成り行きで処分するよう、東京証券取引所と直結している取引画面に入力した。
 デスクの上にある黒いディーラーフォン(受話器)を掴み、タッチパネルで社内の貸株デスクを呼び出す。普段はブルームバーグのチャット機能でやりとりするが、のんびりしている暇はない。
「すいません、シロアリ(東京シロアリ防除)をカラ売りしたいんで、集められるだけ集めてもらえませんか」
 信託銀行、生保、郵貯、農林中金といった機関投資家で、東京シロアリ防除の株を持っているところから借りてほしいという依頼だ。
「浮動株が比較的少ない銘柄なんで、ちょっと難しいかもしれませんけど、とにかく大至急でお願いします!」
 話している間にも、株価を示すオレンジ色のチャートは、じりじりと値を下げていた。
(こりゃ、ストップ安確実だ!)
 トレーダーは、パンゲア&カンパニーのウェブサイトにアクセスした。
 宇宙を背景に、青い地球がゆっくりと回転している動画が現れた。陸地は、ユーラシア、北米、南米、アフリカ、インド、南極、オーストラリアの大陸がくっついている約三億年前の超大陸「パンゲア」だ。
 上のほうに〈CONTACT〉、〈INVESTOR INQUIRY〉など、いくつかの項目が並んでいた。〈RESEARCH〉の文字をクリックすると、過去に発表した分析レポートのタイトルと発表日の一覧表が現れた。
 トレーダーは迷わず、一番上の〈Tokyo Termite Control -Strong Sell(東京シロアリ防除、強力売り推奨)〉の文字をクリックした。
 英文で約三十ページ、和文で四十ページ強の分析レポートだった。
(うーん、架空売上げの可能性あり、か……)
 冒頭のサマリーで、東京シロアリ防除は架空売上げを計上しているとみられると指摘していた。それ以外にも経営者の資質、強引で不正の可能性がある営業姿勢、M&Aの連続的失敗といった問題があり、株価は現在の二千二百円ではなく、四百円程度が適正水準であると断じていた。

 同じ頃――
 東京シロアリ防除の社長、寺門てらかど勇児ゆうじは、社長専用車の黒塗りのジャガーの後部座席で電話を受けた。
「……えっ、カラ売り屋がうちの株をカラ売りして、株価が百円以上下がった!?」
 一着百万円以上する高級ダークスーツに身を固め、無数のブリリアントカット・ダイヤモンドを盤面にちりばめたピアジェの腕時計をした寺門は、意味がわからず困惑した。
 かつては毎日作業服姿でシロアリ駆除の現場で陣頭指揮をとっていたが、上場して以来、芸能人や有名人との付き合いを始め、今も六本木ろっぽんぎのグランドハイアット東京のステーキハウスに昼食に出かけるところだった。
「先生、それ、いったいどういうことなんですか?」
 電話をかけてきたのは、会社の顧問を務めている公認会計士だった。まじめで有能な人物で、寺門は定期的に会社の問題を相談していた。
「……えっ、架空売上げ!? いや、いや、いや、そんなこと、決してやってません!」
 会計士に問いただされ、言下に否定した。
「はあはあ、わかりました。とにかくプレスリリースを出して、断固否定するってことですね? 早速やります」
 五十歳をすぎた寺門は、やや薄くなったオールバックの頭髪の顔に決意をにじませる。社業に身は入らないが、今日の地位を築いた決断力と男気だけはまだ少し残っていた。
 会計士との話を終えると、会社に電話し、総務部長に至急パンゲアのレポートに対する反論を文書にして発表するよう命じた。
 総務部長との電話が終わった途端、別の電話がかかってきた。
「ああ、清水しみずさん。……なに!? しょう!?」
 相手は外資系金融機関出身の金融コンサルタント、清水元春もとはるだった。
 寺門の虚栄心に付け込んで、様々な会社を売りつけ、莫大な手数料を稼いでいる男だ。
「社長、いったいどうなってるんですか? 株価が急に下がったもんだから、取引に追い証が必要だって、今、電話がかかってきたんですよ」
 清水は努めて冷静な口調でいった。
 上場以来、寺門は生活が派手になり、何かと物入りなので、清水に株価吊り上げ工作を依頼していた。清水は、寺門から東京シロアリ防除の株を借り、それを担保に信用取引を行なって、株価を吊り上げていた。しかし、パンゲアのレポートで株価が大幅に下落したため、証券会社に追加証拠金(通称・追い証)の差し入れを求められたのだった。
「清水さん、追い証の件は、今日中に何とかするから。しかしこれ、どういうことなの? そもそもカラ売り屋って、なんなの?」
 窓外を都心の景色が流れてゆく車の中で、寺門は訊いた。
「カラ売りっていうのは、株をよそから借りてきて市場で売却し、値下がりしたときに買い戻し、借りた株を返して利益を上げる手法です。売った値段から買い戻した値段と借株料を差し引いた差額が利益になります」
 借株料は年率〇・五~一パーセントで、それほど高額ではない。重要なのはどれだけ値下がりするかだ。
「ああ、そうなの。ちょっとよくわからんが……。で、どうしたらいいの? あんた専門家でしょう?」 
 寺門は金融には詳しくない。
「社長、パンゲアとかいうカラ売り屋を訴えましょう」
 清水がいった。
「訴える? うーん……」
「カラ売り屋なんて規模が小さいですから、巨額の損害賠償請求をされれば、ひとたまりもないですよ」
「うーん……」
「それ以外にもいくつかいい方法があります。まずは情報収集をして、あとでまたお電話しますよ」
「わかった。よろしく頼む」
 電話を切ると、寺門は懐からくしをとり出し、オールバックの頭髪を念入りに整える。
 今日、昼食をともにするワイン評論家は、すらりとしたアラフォー美女である。
「阪神・淡路大震災からこっち、いい景気だったのに……。いったい、どういうことなんだ!?」


つづきはコチラ▷▷「小説 野性時代 第188号 2019年7月号」
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