解説 新しい旅へ
虚実入り交じる経済小説の中でも、黒木さんの作品は「実」のにおいが濃く漂う。記者ならば自らがかかわった取材と照らすと、より実感する。
黒木さんの本格的なデビュー作となった『トップ・レフト』。私が最初に触れた作品でもある。国際協調融資の主幹事をめぐる邦銀と米投資銀行の争いや買収劇が描かれている。2000年11月に出版された当時、私は朝日新聞東京本社の経済部で金融を担当していた。通称日銀記者クラブ。日本橋本石町の日本銀行本店の西門わきの低い建物の一階にある。北京の大学で中国語を1年間、学んだあと、古巣の持ち場に9月から再び放り込まれた。
留学前の1990年代後半も、日銀・旧大蔵省の接待汚職事件や銀行、生命保険会社や証券会社の経営危機を取材していた。北海道拓殖銀行や山一証券などが破綻した。株価が暴落し、取り付け騒ぎが心配される銀行もあった。ATM(現金自動出入機)を同僚と交代で見回る日もあった。市場からの信頼が揺らぐ邦銀や生保の信用を補うため、有力な外資系金融機関との提携が模索された。具体的な内容が固まっている案件もあれば、当局や当事者が市場向けの安心材料として生煮えのままでメディアにリークするネタもあった。混乱のなか、朝日新聞など一般紙には登場する機会が乏しかった投資銀行など外資系金融機関が紙面をにぎわすようになった時代である。
2000年秋に日銀記者クラブへ出戻ると、富士銀行、第一勧業銀行、日本興業銀行の3行統合や住友銀行とさくら銀行などの合併が決まっていた。「次はどこか?」「何が起きるのか」。日銀や金融機関、財務省、政治家などの自宅や会食が引けたあとのレストランの前。夜討ち朝駆け取材の日々がまた始まった。おぼえたての中国語は吹き飛んだ。取材のブランクをうめ、勘を取り戻そうと経済小説に手が伸びる。そのひとつが『トップ・レフト』だったのだ。
中堅損保の幹部の自宅近く。居酒屋からもれるあかりの下でページをめくった。どんどん寒くなる季節だった。国際金融をめぐる情け容赦ない攻防の舞台裏をのぞく気分で、あっというまに読み終えた。耳慣れない専門用語がちりばめられていながらも、ぐんぐん引き込まれた。米国の投資銀行にカモにされる日本企業の中で、あがいたり、もがいたり、何かを捨てようとしても捨てられなかったりする登場人物の心情が、目の前の取材先の方々と重なる所もあった。さらに、細やかな食べ物の描写が、それぞれの場面に香りまで漂わせた。英仏が開発した超音速旅客機コンコルドの豪華な機内食、トルコ建国の英雄アタチュルク大統領が通ったロシアレストランのピロシキ、ウォール街で金融マンがかじりつくホットドッグやベーグル、ロンドンのパブで飲む生ぬるく茶色いビール、そして、高級フレンチのル・ポン・ドゥ・ラ・トゥールで傾けるシャンパン……。
この文章を書きながら、ふと浮かんだ。
街のにおい、天気、幹部の表情や声色、自分が着ていた服……。黒木さんなら、夜討ち朝駆けしながら読書した風景を後から立体的に描けるように、愛用のシャープペンシルでA4のコピー用紙にメモを詳しく残していただろう。時代の空気や登場人物の感情をエッジをきかせて立ちのぼらせる具体的な表現が、作品のリアリティーを高めている。
その後、私は上海、北京と中国特派員を務め、中国がからむ国際経済や政治を主に担当するようになってからも、『アジアの隼』『巨大投資銀行』『排出権商人』『国家とハイエナ』など、私自身の取材とどこか重なる作品を楽しんできた。
日々さまざまな事件が起き、伝えられ、時には私も取材する。だが、時を追うにつれ記憶から遠のいていく。インターネットのなかには現場があふれていても、スマホのカメラで切り取った風景が、全体のどこに位置するかは判然としない。そんな事件や景色のかけらに、黒木さんが自ら歩いてみた世界がブレンドされ、物語のピースとしてよみがえっていく。小説のかたちで熟成されるからこそ、全体像がより見えてくることもある。
◇
北海道北西部にある秩父別町で生まれた黒木さんが、パスポートを取得し、初めて外国に出たのは27歳。意外に遅い。大学を卒業して関西系の都銀に入り、志願してエジプトのカイロ・アメリカン大学に留学生として派遣された。それを皮切りに、銀行、証券会社、総合商社と通じて国際金融の実務に携わり、世界を駆け回った。ロンドンに1988年から住み、作家として46歳で独立してからは、取材で各地を歩く。これまで80カ国を訪れ、日本も47都道府県すべてを踏破した。
金融マン時代は借り手本人と彼らが住む国を、作家になってからは取材対象やその場所を、「必ず『自分の目で』虚心坦懐に見て、真実に一歩でも近づくこと」を心がけているそうだ。インターネットの発達で、情報収集は飛躍的に便利になった。それは作家や記者に限らず、読み手にとっても同じだ。だからこそ、誰が、どこを歩き、何を問うかが大きい。このエッセイ集は、黒木さんの取材に同行しているかのような、わくわくする気分を味わえる。地球儀を回しながら、わずかの時差で世界の今を追体験できる。
本書の「はじめに」の最後に、著者からの読み方指南がある。
(この手のエッセイ集は、最初から順に読むより、興味のある項目から拾い読みしていくほうがすんなり頭に入ると思います。お試し下さい)
新聞記者で中国を長く取材してきた私はまず、第四章の「作家になるまで、なってみて」に収められている「文章修業」「取材術」に飛びついた。続いて、第一章「世界をこの目で」の冒頭に置かれた「サハリン銀河鉄道と武漢の老父」にページを戻した。「武漢」という地名に、目がとまったからだ。
湖北省武漢まで何をしに行ったのだろう。あそこは、中国の詩人李白がうたった黄鶴楼がある。毛沢東がかつて勇ましさを誇示するために泳いだ長江が流れている。三峡下りの船の下流の起点でもある。食べ物は辛い……。そんなことを思い出しながらページをめくるうち、あっと声をあげてしまった。
中国国有企業の中国航空油料(CAO)がデリバティブで大損失を出して破綻し、経営陣は有罪となった事件がつづられていた。北京特派員時代に取材したが、事件そのものをすっかり忘れていた。その社長の故郷が武漢を省都とする湖北で、黒木さんは彼の父が今も暮らす農村を訪ねてインタビューしていたのだ。社長の横顔に迫り、作品に厚みをもたせる取材の一環である。
水牛や鶏を追い越し、土ぼこりをあげてワゴン車で走る。社長の実家としては質素なタイル張りの長屋に、毛沢東の肖像画が飾られていたという。父親や通訳、町の人々など登場する人物に、中国の農村へしばしば取材にでかけていた私も「いるいる、こういう人!」と思わず、ニンマリした。
このエッセイ集は、作品が生まれた舞台裏をたどる旅でもある。読んだことのある作品ならちょっとした種明かしを楽しみ、読んでいない作品であれば全体像を知りたくなる。隠し味は、あちこちを広く歩く黒木さんならではの視点だ。へえっと感じる表現に出くわす。たとえば、第三章にある「福島第一原発ヘリコプター取材」のこんなくだりに目が止まった。
東日本大震災の福島第一原発事故から3年7カ月が過ぎた2014年10月のこと。黒木さんは「週刊朝日」の連載の取材で、事故直後に技術者らが第一原発へ向けて飛んだ空路をヘリコプターで追う。鹿島灘沿いの上空を高度300メートルで飛んだ。時をへて、地上はすでに事故の痕跡は少なかったそうだ。白い泡を立てて海岸に打ち寄せる緑色の波間で、何十人もの黒いウエットスーツを着たサーファーたちが見え隠れする。その波乗りを楽しむ姿を、「南アフリカのケープタウンで見たアザラシの群れみたい」と書く。ここで「ケープタウンのアザラシ」を思い浮かべる人はそう、いないだろう。
ちなみに、ヘリのなかでメモを書きまくる姿に、「週刊朝日」の若い男性記者から「何を書いてるんですか?」と問われる。「あとで作品の中で何が使えるか分からないので、見えるもの、聞こえるもの、匂い、感じたことなんかをすべて書き留めておく」と答えながら、(きみは取材のときメモをとらないの?)と声には出さなかった心の声を書き添えている。リアリティーの再現を大切にする黒木さんにしてみれば、信じられない問いだったに違いない。記者を仕事にしながら何を言っているのか。やや憤慨しつつ、目を丸くする表情が浮かぶ。
ときに自らとの接点をたぐり寄せながら、関心のおもむくままにページを行き来した。最後にたどり着いた「おわりに」には、「マダガスカルの夕日を浴びて」という副題がついている。
マダガスカルは、モザンビーク海峡を挾んでアフリカ大陸南東部と向き合う島国だ。私は残念ながら、行ったことがない。それだけに、数々のディテールに引き寄せられた。
ポインセチアの花を、国名の「マダガスカル」と呼ぶとは! 「アイアイ」というサルは、私も「お猿さんだよ~」という明るい歌とともに記憶にあるが、ちっともかわいくないどころか、怖い顔をし、現地では不吉な動物とされていたのか。この国でも首都には中国製の雑貨があふれ、旧宗主国のフランス人より中国人が幅をきかせている。曽野綾子さんの小説『時の止まった赤ん坊』の舞台でもある産院があり、今も日本人シスターが現地に根づいて尽くす。
初めて訪ねた黒木さんの驚きが、随所に伝わる。これ以上、詳しくは書かないが、「常識を揺さぶられるいい旅だった」と締めくくってあった。
でも、「おわりに」は、全く終わっていなかった。むしろ、どこか「はじめに」を読んでいるようでもあった。
このエッセイ集は、黒木さんの新しい旅の起点なのだろう。その旅は、世界を舞台とした経済・社会小説、ノンフィクションにとどまらない。クールな表現ながらも、亡き父親とふるさと秩父別町への愛着が濃くにじむエッセイは、とても印象深いものだった。そこに書かれている通り、ふるさとはいつか初めて挑む純文学の作品の舞台となる予感がする。
旅は続く。道連れを、どうかよろしく。
>>黒木亮『世界をこの目で』
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