いやあ、面白い。本当に面白い。ミステリとしての謎解きもいいが、人間ドラマも熱く激しくて胸をうつ。人物とともに笑い、怒り、そして大いに泣かされる、まことにエモーショナルな小説だ。本書『聖母の共犯者 警視庁53教場』は「警視庁53教場」シリーズの第三作であるが、それは第一作『警視庁53教場』から変わらない。シリーズは主要人物たち、つまり五味京介(警視庁53教場の教官。警部補。妻・百合と死別している)、高杉哲也(同53教場の助教官。巡査部長。五味の妻・百合の元恋人)、瀬山綾乃(府中警察署刑事課強行犯係。巡査部長)、五味結衣(百合の連れ子。五味の娘)たちのドラマが急テンポで進展していくので、まずは第一作から簡単に紹介しよう。
第一作『警視庁53教場』は、警視庁刑事部捜査一課六係主任の五味京介が、府中署の瀬山綾乃とともに首吊り死体で発見された警察学校教官・守村の不審死の捜査に乗り出す話である。五味にとって守村は警察学校時代のクラス(教場)の仲間で、かつての仲間たちを調べることになるが、それと並行する形で、十六年前の小倉教場の学生だった高杉、そして同期の神崎百合との交流が綴られていく。それも単に過去の回想ではなく、現在の事件と関連する形で過去の出来事が浮上してくるパターンで、この現在と過去の往復が緊張感みなぎり、頁を繰る手に力が入ってくる。
事件の追及もさることながら、強烈な印象を与えるのは、癌で若くして亡くなる結衣の母親である神崎百合のキャラクターだろう。何とも奔放で、官能的で、激しく勝気な性格が時に疎ましく映るところもあるけれど、それさえ愛おしさに変えてしまうほど熱き心を持ち続けて、男たちを魅了してやまない。どのように五味と百合が出会い、高杉の存在のために深く捩じれていくのかが詳しく書かれてある。五味が嫉妬にかられてサイコパスに近い同期の仲間に情報を流して、五味、高杉、百合、そして百合の父親である小倉教官などの人生を危機的状況に追い込んでしまうのも読ませる。
吉川英梨の優れた点は、メインの事件の謎解きに紆余曲折をもたせてミステリファン(警察小説ファンのみならず本格ミステリファン)を唸らせるだけでなく、事件捜査というメイン・ストーリーを裏側から支えるようにしてサイド・ストーリーを多彩に織り込むところにある。成長小説・青春小説・恋愛小説としての要素を持ち込み、警察官たちのドラマを沸騰させていくのである。五味は過去を振りかえり、〝紙一重なんだ、どんな人間も〟と告白する場面があるけれど、それほど善と悪の境界線上を歩む困難な道が若き日にあったことが鋭く劇的に捉えてあり、読者ははらはらしながら読むことになる。百合との別れも、十年後の再会も、そして小学生の結衣とのはじめて出会いも(!)何とも忘れがたい。
そう、結衣が実に魅力的である。母親に似てストレートな、でも小学生らしい可愛い結衣の物言いが微笑ましい。おそらく警視庁53教場シリーズでもっとも人気を誇るのは五味京介だろうが、それに次ぐ(いやそれと並ぶ、あるいはそれを超える?)のが結衣のキャラクターかもしれない。遠慮のないずけずけとした、でもどこかに愛嬌があって憎めないのである。
そんな結衣の魅力がいちだんと出るのが、シリーズ第二作『偽弾の墓 警視庁53教場』である。五味京介は『警視庁53教場』の件で上層部に嫌われ、警察学校へと飛ばされてくる。教官の五味京介が受け持つクラス〝53教場〟にはそれぞれの事情を抱えた個性豊かな学生が集まってきて、五味は「53教場四十名、全員卒業」を目標に掲げるものの、ある殺人事件の容疑者として五味が受け持つ学生が浮上してきて、五味は彼を守るべく真相に迫って行くという話である。
警察学校を舞台にした作品というと長岡弘樹の名作『教場』を思い出すだろう。長岡はアイデアに富む巧緻なプロットに重きを置き、ときにアイデア優先で人物が役割の域を出ないときがあるけれど、吉川にはそれがない。プロットも巧みだし、伏線の回収も見事で、謎解きは興趣に富んでいる。何よりも、性格造型が優れていてドラマ構築が秀逸で、人間ドラマはどこまでも白熱化していく。五味は妻・百合に死なれ、その連れ子結衣と暮らしているが、結衣の父親が五味の同期の高杉哲也であり(という事実は第一作の最後に語られる)、その事実を高杉も結衣も知らない。いくら何でも作りすぎだろうと思う部分もあるけれど、その家族関係の事実の露呈を、事件追及の進展と並行させていくからたまらない。ラストは号泣ものの劇的場面を迎えるのである(結衣の切々たる告白には、読者はもう涙・涙・涙だろう)。
ということで、第三作『聖母の共犯者 警視庁53教場』である。
前二作を読んできた読者でも、プロローグにはいささか面食らうだろう。三十一歳の巡査部長瀬山綾乃が初デートで緊張している場面であり、そのデートの相手が十歳上の警察学校教官の五味京介。五味の同僚で、四十五歳の警察学校の教官高杉哲也もまた、初デートを迎える。相手は娘の結衣。十六歳の女子高校生で、五味の娘であるが、生物学上の父親は高杉で、高杉は十六年間、その事実を知らされていなかった……。
これはシリーズ第二作までの結末を踏まえての、第三作の冒頭となるのだが、それでも話の展開が早すぎる。もちろん作者はそれを知っていて、人間関係を短いながらも丁寧に整理して語り、読者に混乱を与えない。二つのデートをコミカルに、ほとんどラノベ風の軽さで描き、読者はニヤニヤしながら読んでいくことになる。しかし当然のことながら事件が発生して、そこどころではなくなる。
ひとつは女囚の脱走事件だった。あと三年我慢すれば晴れて出所となるのに、女囚は何故突然脱走を決意したのか。しかも計画的で巧妙、協力者がいることは間違いなかった。瀬山綾乃は五味の助言を入れながら事件を追及していく。
五味京介は、前作の事件で逮捕者を出したこともあり、長田教場の補助教官を務めていた。もともと長田の指導は警察官の卵たちを徹底的なパワハラで追い詰め、警察官不適格者としてあぶりだし退職させることを第一義にしていた。一方の五味は、警察官という職務に高いモチベーションを保ち続けられるように指導し、ひとりの漏れもなく卒配先に送り出すスタイル。このスタイルの違いは摩擦をよび、教官室で二人が怒鳴り合いの喧嘩をしたこともあるし、長田教場の学生がボイコット騒動を起こしたこともあるが、いまでは互いに指導スタイルの長所・短所を理解し、長田教場の今期のスローガンは「四十人全員卒業」だった。しかし、入校から三カ月、自主退学者が出る危機が訪れる。教場の中で誰よりも警察官になることに熱意を抱き成績優秀な松島が退職の意思を伝えてきたのだ。
そんな時に警察学校内で大きな事件が起きる……。
どんな事件かは読んでのお楽しみだが、ひとつだけいえるのは女囚脱走と警察学校での事件がつながり、人物たちのそれぞれの生き方が激しく問われることになる。とくに女囚脱走の裏にある過去の過失事件の真相をめぐる二転三転ぶりと悲劇的な真実は胸をつくだろうし、絶対に人を殴らないことを信条にしてきた五味京介が初めてある者を殴りつける場面は、激しく読者の胸をかきたてるだろう。父親となった高杉の予想外の苦悩も、読者の興味をひく。
正直言って、事件捜査以外の五味、綾乃、高杉、結衣のやりとりは、少しラノベ風にコミカルに傾き、いささか軽すぎるのではないかと思う場面もある。また、シリーズ三作目なのに私生活の進展が早すぎて、おいおい、もうそういう話になるの? と驚く場面もある。海外のテレビ・ドラマなら十数話のワン・シーズンでもたせる展開なのに、吉川英梨は無駄にひっぱることなく毎話ごとに次の段階へと進めていく。
毎話ごとに秘密が明らかになるので、できたら第一作から読まれることを勧めたいが(それが無理なら第二作からでもいい。僕は第二作から読んだ)、第三作からでもいいだろう。一作ごとに大いに進展のあるシリーズなので、第三作から読むとその秘密があらわになる驚きが減ってしまうものの、それでも第三作の本書のあと第一作に戻れば、若き日々の五味の青さ・醜さ・未熟さなどが逆に新鮮に映るし、死者として語られるだけだった結衣の母親の百合が溌剌と登場してきて魅せられることだろう。大いに傷つけ、大いに傷つき、挫折して苦しむだけの日々なのに、青春小説としての輝きに満ちあふれていて眩しくなる。若き日々の熱気が瑞々しく綴られてあるのだ。
いったいシリーズは今後どういう展開をたどるのだろう。少し展開が早すぎてどうなるのか不安を覚えるところもあるけれど、吉川英梨ならきちんと読者の要望にこたえ、そしてさらに読者の一歩前をいくだろう。なぜなら警視庁53教場シリーズは、警察小説なのに、本格ミステリの面白さをもち、人間ドラマも多彩で、なおかつ驚きをいくつも秘めているからである。これほどネタのぎっしりとつまったシリーズも珍しいし、高い完成度を保っているものもない。いまもっとも期待を抱かせる傑作シリーズといっていいだろう。
>>吉川 英梨『聖母の共犯者 警視庁53教場』
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