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レビュー

真の敵は誘拐犯か、警察か!? 元警官の男ははぐれ者たちを集め、娘の奪還を図る『アノニマス・コール』

 薬丸やくまるがくは、「二一世紀の社会派ミステリ」の書き手として知られている。
 第五一回(二〇〇五年度)江戸川乱歩賞を受賞したデビュー作『天使のナイフ』では、一四歳未満ならば罪に問われない少年法の壁を題材にした。第三七回(二〇一六年度)吉川英治文学新人賞を受賞した『Aではない君と』では、保護者が付添人(=少年審判における弁護人)になれるという制度を採り上げた。第七〇回(二〇一七年度)日本推理作家協会賞・短編部門を受賞した「黄昏」は、死者の年金不正受給問題という現実のニュースから、愛あふれる物語を導き出した。
 薬丸の筆は、被害者の内面のみならず、被害者の家族や関係者、加害者および加害者の家族や関係者の内面をも、透徹した言葉で切り開く。日本の法制度を見渡してみると、少し前に被害者家族のケアが始まり、加害者家族へのケアがようやく始まりつつある現状だ。この一点だけ取ってみても、薬丸が「二一世紀の社会派」と呼ばれるにふさわしい存在であることが分かる。
 だからこそ、『アノニマス・コール』には度肝を抜かれたのだ。「誘拐ミステリ」に初挑戦した本作は、巨悪に挑むヒーローありはぐれ者達の即席チームあり、ハリウッド級のアクションあり家族愛ありどんでん返しありと、ページの隅々にまでエンターテインメント精神が詰め込まれている。
 物語は静かに、ゆっくりと幕を開ける。朝倉あさくら真志しんじは妻と離婚し、六畳間で冴えない一人暮らしをしていた。派遣労働者として工場で働く彼の携帯電話に、ある日の午後、見知らぬ番号から着信が入る。怪訝に思いながら電話に出ると、沈黙の後で「お父さん」というかすかな一言が聞こえた、気がした。念のため、介護士として働く元妻の奈緒美なおみに三年ぶりに連絡をすると、娘のあずさは「友達とディズニーランドに行ってる」と冷ややかな声が返ってきた。しばしの時を経て、奈緒美の家の電話に連絡が入る。「お嬢さんを誘拐しました」。身代金は、一千万円。すがる思いで真志に連絡を入れると、意外な言葉が返ってきた。「警察に報せては絶対にだめだ!」。なぜ報せてはいけないの? 奈緒美は反発するが、元夫の決死の懇願を一度は受け入れる。真志は仲間を集めて即席チームを結成し、梓を奪還するための作戦を練っていく。
 娘を誘拐された家族の側が、警察に頼らない。誘拐ミステリは数あれど、このシチュエーションは発明的だ。より厳密に記すならば、頼れない、のだ。元夫婦である二人は、元警察官でもあった。三年前、真志は犯罪に手を染めたとして免職された。それがきっかけで家族は引き裂かれてしまったが、三年前の事件には裏があった。自らが所属する警察に、ハメられたのだ。だから、「警察は信用できない」。
 二日後、奈緒美は身代金受け渡しの係となる。真志のチームは彼女を警護しながら、犯人を突きとめようと奔走する。犯人は携帯電話を通じて奈緒美に指示を出し、横浜を皮切りに、大森、新橋、池袋、高田馬場……と、さまざまな土地を移動させた。やがて終着点へと辿り着くのだが――。身代金受け渡しが「失敗」した後、奈緒美は元警察署長である正隆まさたかに現状を見抜かれ、以後は警察が捜査に加わることになる。真志のチームは犯人を追いながら、誘拐のスペシャリストである特殊班捜査係の面々に追われることになる。
 身代金の受け渡しや、その追跡時に、印象的に用いられているアイテムがある。携帯電話だ。犯人と奈緒美のやり取りに使用されるのはもちろん、真志のチームはラインで連絡を取り合い、携帯電話のGPS機能を発信器に流用し、身代金の位置情報を特定する。事件の黒幕の可能性について、二択からひとつの選択肢を削るために、真志が警察に仕掛けた「罠」も、携帯電話を利用したものだ。ここにもまた、濃厚な発明の香りが漂っている。
 このあたりで、本作の真のジャンル名を確定させよう。『アノニマス・コール』は、「二一世紀の誘拐ミステリ」である。
 確認しよう。警察官の三種の神器と言えば? 警察手帳・拳銃・無線機だ。そこから指紋・鑑識・逆探知という科学捜査の時代を経て、二一世紀の警察官は新・三種の神器を手に入れた。監視カメラやNシステム(自動車ナンバー自動読取装置)などの映像記録、スマホなどの通信・通話記録およびそれに紐づいたGPS情報、そしてDNA鑑定。デジタル捜査の時代へ突入だ。
 新・三種の神器は、犯罪の被害者にとっては有り難く、加害者にとっては迷惑だ。たとえその場で犯罪が成功しても、サイバー空間にさまざまな痕跡(証拠)が残り、検索され、自分の元へと警察捜査の手が及んでしまう。こうした迷惑を被っているのは、犯罪者だけではない。現代に生きるミステリ作家も同様だ。なにしろ孤島や吹雪の山荘で事件を起こそうとしても、スマホの電波が通じてしまう。優れたトリックや犯罪計画を思い付いたとしても、デジタル捜査が完全犯罪に穴をうがち、密室の鍵を開けてしまう。
 誘拐ミステリも、警察のデジタル捜査によって前世紀からグッと難易度を上げたジャンルのひとつだ。日本は本来、世界的に見ても誘拐事件は少ないにもかかわらず、日本のミステリ作家達は好んで誘拐事件を描き続けてきた。理由はよく分かる。誘拐が起き、犯人から家族へ連絡が入り、警察が介入する。その初期設定の段階で、「犯人に警察が介入しているとバレてはいけない」という、極上のサスペンスが発生する。バレてしまったとしたら、警察が犯人と信頼関係を築くために暗躍する、という新たなクエストが始まる。なぜ誘拐されたんだ? 犯人の要求はなんだ? 謎が次々と連鎖していくうえに、身代金の受け渡しは、アクションであると同時にミステリでもある。片や、いかに監視網をかいくぐり安全に金を手に入れるか。片や、誘拐された人間の奪還を第一目標としながら、いかに犯人逮捕を実現するか。そこで起こっているのは、犯人サイドと家族+警察連合の推理合戦だ。
 言い切ってしまおう。誘拐ミステリの真髄は、身代金の受け渡しにある。しかしその一点にこそ、現代社会を舞台に誘拐を描く際の、難易度の高さの原因がある。というのも、他の重大犯罪は「事後」に捜査が行われる。事件が起きてから、警察の捜査が始まる。ところが誘拐は、現在進行形だ。ネット空間による金銭の取引では、即、足がつく。身代金の受け渡しが現実空間で行われなければならない以上、犯人からの「予告」があり、それを受けて警察サイドは、入念な準備を施すことができる。デジタル捜査の網の目を、事前にとことんまで細かく、広く張り巡らすことができてしまうのだ。
 その網の目をかいくぐるのは、並大抵の難易度ではない。だから現実として、日本では身代金目的の誘拐事件はごく少ない。だが、だからこそ書く、と舵を切ったのが、『アノニマス・コール』の薬丸岳なのだ。現代の東京を舞台に、警察のデジタル捜査の巧妙さを無視せず大前提とし、主人公たちがテクノロジーを逆手に取って警察と戦い、犯人を追いつめる武器とする、リアルな誘拐劇を描き出す。だから、「二一世紀の誘拐ミステリ」なのだ。
 だが……それだけか? 確かに本作は、冒頭からエンターテインメントのど真ん中を突き進む。しかし、特に後半以降の読み心地はやはり、薬丸印だった。「三年前の事件」によって引き裂かれた真志と奈緒美が、娘の誘拐事件解決に奔走することで、再び手を取り合い、お互いの本当の心の内を知る。このドラマ性は、物語を一段高い場所へとジャンプさせている。
 著者は単行本刊行時、薬丸にインタビューする機会を得た。彼は執筆のきっかけは、ハリウッド映画だったと明言した。

その当時、リーアム・ニーソン主演の『96時間』という映画を観たばっかりで。娘が海外で誘拐されちゃう話なんですね。さらわれる瞬間まで娘と携帯電話で繋がっていて、その時の会話をヒントに、元特殊部隊の父親が救出に向かう。序盤の入り方が斬新で、その後もワクワクドキドキ感がすごかったんです。そういう話を、自分でも書いてみたかったんですよ。ミステリ界の先輩である岡嶋二人さんの誘拐モノも大好きでしたし、もともと誘拐モノって、一回やってみたかったんです

「本の旅人」二〇一五年七月号より

 その一方で、「最初はちょっと戸惑う方もいらっしゃるかもしれないんですけど、最後まで読んでいただければ、『ああ、やっぱり薬丸岳の作品だ』と感じてもらえるんじゃないかと思っています」とも証言していた。それは、なぜか。

二人の気持ちの強さであったりすれ違いであったり、二人がどうやって危機を脱していくのかというところは一番大事にしなければいけない、と意識していましたね。アクション満載の話ではあるんですけど、最終的にはやっぱり、家族の話なんですよね。(中略)そこの部分はこれまで僕が書いてきたものと変わらないと思うんですよ。というのも、人間関係の中で、一番逃れられないのが家族だと思うから。人を本当の意味で救える可能性があるのは最終的には家族のような気もしますし、逆に、より絶望に落とすのも家族のような気がします。『家族を書こう』と意識しているわけではないんですが、僕が物語を書いていくと、自然とそこに集約されていくようなんです

(同)

 さらにもう一点、付け加えたい。犯人の正体と共にすべての謎が明かされるラストシーンにもまた、この作家ならではの匂いが漂っている。冒頭で、「薬丸の筆は、被害者の内面のみならず、被害者の家族や関係者、加害者および加害者の家族や関係者の内面をも、透徹した言葉で切り開く」と記した。それが「二一世紀の社会派ミステリ」と呼ばれるゆえんなのだ、と。既に本編を読み終えたという人ならば、そのジャンル名を、本作にも当てはめることができると確信することだろう。
 極上のエンタメ性を実現しつつ、作家がデビュー以来見つめ続けてきた社会性を融合させることに成功した。本作は、「二一世紀の誘拐ミステリ」であると同時に「二一世紀の社会派ミステリ」である。単行本刊行から三年経った今も、きっとこの先も、薬丸岳の作品群においてとびきりの個性を放ち続ける。


>>薬丸 岳『アノニマス・コール』


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