作家生活四〇年で八〇を超す作品群を世に送り出した高杉良は、現代における経済小説の第一人者といってよい。経営者の情熱と苦悩、組織に生きるミドルの奮闘をリアリティーあふれる筆致で描き出してきた。
そのタイトルから独自の世界に引き込まれる。『金融腐蝕列島』『炎の経営者』『広報室沈黙す』『燃ゆるとき』『勁草の人』……。
本作品もずばり、『小説創業社長死す』。その時、会社に激震が走る。創業者は偉大であればあるほど晩年はカリスマとして祭り上げられやすい。苦言を呈する幹部をいつしか外へ追いやり、聞こえがいいことをいうイエスマンで周囲を固めるきらいがある。そのトップが急死。会社に内包されていた問題が一気に噴出する。世襲にとらわれず後継者を適切に選んでいたのか。権限を順次、委譲していたのか。風通しはよいのか。そしてオーナー社長の親族は会社とどんな関わり方をしてきたのか。
「反面教師」
高杉の問題意識は至ってシンプルだ。
「年を取るとどんなに輝いていた人でも衰えてくる。判断力が鈍ってくる。どんなに素晴らしい経営者でも老害化していって人の意見を聞かなくなる。僕はこれは何だろうと思う。神ならぬ人間というのはそのぐらい愚かなものかなあと思うんですが、結局、自分がいちばん立派だと思うんでしょうね。そんなはずはない。いつまでたっても頭がシャープで、鋭く切り結ぶ経営者なんて、そんなにいるはずがない。ところが思い込んでしまう、俺しかいない、と。俺が存在しているからこの会社は存在するんだという思い込みで行動する」
『日本企業の表と裏』
本作品でも随所にこの問題意識が出てくる。大手総合食品メーカー、東邦食品工業の創業者小林貢太郎。創業三〇年ほどで売上高約一五〇〇億円、従業員二〇〇〇人の大企業に育て上げたその手腕は見事だが、肝心の後継者が適切に選べない。創業以来、苦楽を共にしてきた実力者深井誠一を指名せず、「すべて小林の言いなりで使い勝手のいい」橋田晃を指名する。
「わたしは社長の器ではありません」 「やっかむ手合いはおるだろうが、社長心得のつもりで威張らなければ、自然みんながついてくる。地位が人を創るともいう。きみの社長は悪くない」
数年後、次の社長に小林は直言居士である青木光一を選ばずに自身の忠実な僕である筒井節を選ぶ。筒井は小林の妻晶子の寵愛を受けていた。小林の親友で本作のもう一人の主人公北野久はこのとき、「あいつの眼が節穴だったとは」と嘆く。その小林が急死。当時、相談役だったが、絶大なカリスマ性で全社を掌握していただけに、死後、社内は大きく揺れ動く。人事のミスが響いてくるのだ。大株主でもある未亡人晶子の支持を得た社長の筒井は、周囲を蹴落としワンマン体制を築き上げていく……。
高杉ファンの読者は読み進むと、舞台設定が『燃ゆるとき』(一九九〇年)、『ザ エクセレント カンパニー』(二〇〇三年)の延長線上にあることに気づくだろう。前二作が成長を希求する生き生きとした物語なのに対し、本作は企業の存続の難しさを感じさせる、ほろ苦い小説に仕上がっている。
底流にあるのはリーダーの資質とは何かを考える姿勢だ。高杉は新聞のインタビューで「反面教師としてのリーダーシップ論」と表現している。
「なぜこの小説を書いたかというと、リーダーはかくあってはならない、という願いを込めているわけです。この後継社長は、周りにイエスマンばかり集めて、歯向かう人は飛ばしちゃった。そういうことでは、昔日の輝きを取り戻すことは難しい。あと創業者も、もう少し自分の思うところを社員に伝えるべきでした。後継者選びにしても、意思をしっかり示しておくべきだった。結局、一番大事なのはリーダーなんですよ。リーダーで会社は劇的に変わるんです」
産経新聞
引き際の難しさ
引き際はいつの世もどこの組織でも難しい。「後継者を育てるのが経営者の最大の仕事。すばらしい人材に恵まれた」と著名な創業社長がいえば、また別の創業社長は「彼は未熟だ。私が会長として引き続き経営を見ていかないと……」。実際、再登板するケースもあるのだ。
「倒産、合併、人事」は記者が狙うスクープの代名詞だ。なかでも人事は人間模様や社内力学が絡み合い、取材はことのほか難しいが、それまで気づかなかった企業の素顔が見えてくる。交代が実現しても権限がスムーズに委譲されるかどうかも注目だ。会長としてにらみを利かせたり、「シニア・チェアマン」なる肩書で経営陣に助言したり……。最初は蜜月でも次第に社長と会長の間に亀裂が生じることも往々にしてある。重要な経営判断をめぐって会長が社長を解任することもある。その数年前の社長交代時には記者会見でフラッシュを浴び、満面の笑みで握手を交わしていたのだが……。
経営者の出処進退はどうあるべきか。「功成れば去る」は見事だが、長期政権、世襲など形はさまざまだ。人事が停滞すれば、組織の活力が次第に失われてしまうのは、数々の企業のケースが物語っている。
「権力者の『退き際』を観察することは、その人物と企業における制度を、全的に評価するための物差しを手にすることに通じている」。経済評論家内橋克人は、労作『「退き際」の研究』で日本を覆う「閉鎖系システム」の問題点を指摘している。この閉鎖性は企業社会のみならず政界でも依然として、というよりますます深刻になっている。二世、三世……。組織、ひいては社会の活力が次第に奪われていくことをトップ、そして有権者は肝に銘じなければならない。
再生へのメッセージ
神戸新聞記者である私が最初に高杉に会ったのは二〇〇三年一月一四日付のインタビュー記事の取材時だった。当時、小泉純一郎政権の構造改革路線の中で不良債権が増殖し、破たんが相次ぎ、失業者が増え続けていた。
「デフレを甘くみた政策の失敗、これは竹中不況だ」。高杉は第一声で当時の金融・経済財政政策担当大臣、竹中平蔵を厳しく批判した。その上で指摘した。
「まず雇用を守ることです。とりわけ終身雇用を。実際それが日本のパワーの源であり、ダイナミズムを生んだのです。日本の製造業には競争力のある企業がたくさんある。日本的経営の強みをもう一度、見直すべきなのです」
「バブル後の精神の荒廃の中で、映画監督の山田洋次氏の作品が心に響きます。私たちにとって何が本当の幸福なのか。『男はつらいよ』のシリーズや時代劇『たそがれ清兵衛』で共感を呼んだのは、家庭の大切さ、仕事をもつ意味、人間の誇りなどです。市場原理で“勝った者が総取り”という風潮がまかりとおると、そんな心のよりどころまでも壊されていく。いま、為政者に最も必要なのは、国民を委縮させるのではなく、再生への力強いメッセージなのです」
こうした共生の考え方は高杉の青年時代に培われたものなのだろう。特筆すべきは石油化学新聞の記者、編集長の経験だ。若い頃からものづくり企業の現場に飛び込み、経営者のみならず、技術者、労働者の行動をつぶさに見てきた。デビュー作の『虚構の城』の舞台は出光興産、名作『炎の経営者』は日本触媒、ドラマ化された『生命燃ゆ』は昭和電工といった具合に、深く取材した化学工業の世界は名作の数々を生んだ。
そこで知己を得た経営者と親しく接する中で高杉の「組織とリーダー論」が醸成されていく。リーダーの資質をずばり「勁さと優しさを兼ね備えたものであるべきだ」とする。雇用を守り、人を育て、社会に貢献する――。敬愛する経営者たちはこの姿勢が共通していた。日本興業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)元頭取・中山素平、東洋水産創業者・森和夫、日本触媒創業者・八谷泰造……。こうした先達から学んだ哲学が作品のバックボーンとなっている。読んで勇気の出るような向日性のある物語にその真骨頂が発揮される。これに対して、経営を私物化するトップや拝金主義の為政者、市場原理を至上とする世論に対して厳しく批判してきたのは前述のとおりだ。
東京都杉並区浜田山。自宅マンションから徒歩一〇分ほどのところに仕事部屋を置き、執筆に集中する。「僕の場合、取材が七で執筆が三。取材が終わった段階でもう七割ができあがっているということですよ」。調査マンを使わず、自らアポイントを取り取材する。仕事場には雑音を避けるために電話も置いていない。原稿を書くスタイルはパソコン時代になっても変わらず、いまも二〇〇字詰めの原稿用紙とボールペンだ。「僕はアルチザン(職人)ですから」という言葉が耳に残る。
ばらばらの真実のかけらを集めて「虚構の世界」を構築するのが作家の力量だ。実在の人物や組織を想起させる記述もあるが、「作家として想像力で現実を強調、変形させ、小説における真実を浮き彫りにする」。そこで生まれる迫力が「実の世界」を強め、虚実を超えるリアリティーとして結実する。
江戸時代の劇作家、近松門左衛門は「虚にして虚にあらず、実にして実にあらず、この間に慰が有るもの也」と書いた。虚が実を強め、実もまた虚を強める。有名な「虚実皮膜」論だ。虚実を行き来する中にリアリティーが生まれるというのだ。合理性(=実)に裏打ちされた経済社会を扱う経済小説にはより切実に、虚実の絶妙のバランスが必要になる。
今、経済小説が隆盛だ。「組織と個人」に焦点を当てた城山三郎、企業や人間の暗部を描いた梶山季之や清水一行らが先達だが、高杉に続いて高任和夫、幸田真音、楡周平、黒木亮、池井戸潤、真山仁、相場英雄らの活躍が目立つ。また松村美香や梶山三郎らの今後も楽しみだ。今後、混迷する政治経済情勢にあって本質をえぐる小説がますます求められてくるのは間違いない。同時代を生きる人間がリアルに感じられ、何より希望がにじむ作品を読んでいきたい。(敬称略)
参考文献
高杉良、佐高信『日本企業の表と裏』一九九七年、角川書店
内橋克人『「退き際」の研究』一九九三年、講談社文庫
高杉良『男の貌 私の出会った経営者たち』二〇一三年、新潮新書
産経新聞連載「話の肖像画 高杉良①」二〇一五年四月二七日付朝刊
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