世にも珍しい物語である。ストーカー問題をフィクションで描くとしたら、恋愛の裂け目からストーカーが誕生、といったストーリーがすぐに思い浮かぶが、本書は全く違う切り口で斬新に描いている。
ストーキングとは性欲や防御本能の過作動により、または相手を支配する達成感が嗜癖化し、「つきまとう」という神経活動が定型的となり、やめられなくなる現象である。昨今はSNSの浸透とともに、相手に関する情報が与えられたり、相手のことを想像するだけで脳が簡単にそうした状態になるケースが増えた。
本書には七つのつきまとい行為のストーリーが描かれ、登場人物の関係性は夫婦、作家とファン、管理人と住民、アイドル女性と中年男性、母と娘、同僚と多種である。登場人物の殆どは被害者という立場にいながら、同時に殺人者である。実に奇想天外な設定である。悪びれることなく殺人を選択する彼らはオセロが白黒を替えても同じオセロであるように、どんな時も自分本位の人間であることに変わりはない。読み進めると実は私たちもほとんどが自分本位で、閉塞した世界に生き、その中でオセロゲームをしているようなものだということに気づかされる。
登場人物の一人一人は自分の人生にやたらと熱心である。彼らは、あたかも都会というジャングルで必死に生き延びようとする小動物のように、他者からの攻撃と他者より劣ることに極度に怯え、敵愾心を燃やす。つきまとうことを決めた相手には巧妙に忍びよる。……熱心すぎるのだ。私の知るストーカーたちにもよく見られる心理や態度が描かれている。強者の立場から落ちることへの不安、世間に自慢できる境遇を得るための強迫的ともいえる努力には、思わず共感してしまうところもある。相手から愛されていると勝手に思い込んでしまう妄想性障害についても忘れずに描かれているのがカウンセラーとしてはうれしいところだ。
日本のストーカー規制法では「つきまとい等」の加害者とは「特定の者に対する恋愛感情その他の好意の感情又はそれが満たされなかったことに対する怨恨の感情を充足する目的」を持つものに限定されるが、本書の読者は、ストーキングは恋愛に限らず、いかなる人間関係、いかなる動機においても起きるということを知るだろう。そして、誰がいつストーカーになっても不思議ではないことに気づき、恐れを感じるかもしれない。七つのストーリーを読み終えたとき、「つきまとう」という文脈でつながる世界を一握りに把握した本書の迫力を改めて実感することだろう。
ストーカー対策室という定点で事件を目撃していく男女二人の警察官が、『羊たちの沈黙』のレクター博士に似せた人物とかわす会話はひんやりと読書中の興奮を鎮めてくれ、十五年以上も前に私自身が経験したある案件を思い起こさせた。それはある女学生が、通っていたマッサージ師宅の庭先の車中に軟禁された案件であった。親の依頼で私は女学生を奪還に行った。事前に精神科医から、この案件は「感応精神病」(閉鎖空間で起きる一人の妄想が密接な関係にある者に伝染し、共有してしまう病)であり、治療には女学生をマッサージ師から切り離すことが必要との見立てをもらい、そのために入院の手はずを整えていた。しかし、女学生は「マッサージ師夫妻と自分は愛でつながっている」といってきかなかった(実際は性的被害に加えて生活保護の不正受給をさせられ、それを搾取されていたのだが)。実はもともと彼女には別の男性との被害妄想があり、苦しんでいたのだが、女学生の訴えに家族がとりあわなかったのに対し、マッサージ師は妄想と分かったうえで共感して見せ、彼女の信頼と盲信を勝ち得たのである。結局、女学生を救えず、このマッサージ師の罪を問うこともできなかった。当時の悔しさが蘇り、私は心に痛みを覚えながら本を閉じた。ストーキングという現象の深層部には人間の不幸が根を張っていることを私たちは決して忘れてはならない。
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