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試し読み

お調子者の演歌歌手・新渡戸(cv.松平健)が秩父にやってきた! 音楽フェスの行方は……?『小説 空の青さを知る人よ』試し読み⑤

10月11日(金)の映画公開に先駆け、小説版の試し読みを特別配信!

音楽フェスの目玉は、大物演歌歌手の新渡戸団吉!
そのバックバンドでギターを弾いていたのは何と、姉の元恋人・金室慎之介だった……。
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 * * *

「あっ、あか姉!」

 玄関で靴を脱ぎ捨てて、台所に駆け込んだ。

 あかねは鼻歌を歌いながら、ボウルで挽き肉を捏ねていた。今日はメンチか、それともハンバーグか。メンチだったらいいな。頭の隅っこで、あおいはそんなことを思った。

「あれ? もう練習終わったん? 今日はねえ、あおいの大好きなメンチ――」

「し、しんのがっ!」

 あかねの言葉を遮って叫ぶと、メンチのタネを捏ねるあかねの手が止まった。確かに、止まった。

 ゆっくりとあかねがこちらを見た。照明の光があかねの眼鏡に、鈍く、でも鋭く、反射する。

「しんのが、どうしたの?」

 あか姉、あか姉と散々叫びながら走って来たのに、言葉が出てこなかった。

 お堂にしんのがいた。高校生の姿で、しんのがいた。あたし、確かに見たんだ。そんなこと、しんのの名前を聞いて呆然と手を止めたあかねに言えるわけがなかった。

「あ、いや……そう、なんか練習してたら急に思い出して。どーしてるかなって……ただそんだけなんだけど」

 視線をあかね以外のものに泳がせながら、あおいは答える。冷蔵庫のドアにマグネットで留められたスーパーの特売のチラシ、壁に貼られたゴミ出しの日の一覧、水切り台にひっくり返された茶碗やコップを、忙しなく見つめた。

「ずっと連絡取ってないからねえ」

 あかねの手が、ゆっくりとメンチのタネを捏ね始める。挽き肉と玉ねぎのみじん切りとパン粉が混ざり合い、粘りけのある湿った音が聞こえてくる。

 その音の合間に、あかねがふっと溜め息をつくように笑った。

「生きてるか死んでるかもわかんないや」

 何てことないようにあかねは言うけれど、どうしても、その横顔に懐かしさと寂しさがこびりついているように見えてしまう。

 そのとき、玄関から「おーい」という声が聞こえた。直後、どたどたという足音が近づいてくる。

「玄関開きっぱなしだぞ、不用心だな」

 ダイニングに現れたのは、正道だった。

「みちんこ?」というあかねの声に覆い被さるようにして、正道がぎょっとこちらを見る。 「何やってんだよ二人とも!」

「なにって……」

 ちらりとあかねを見ると、彼女は挽き肉塗れの手を正道に見えるように広げた。

「晩ご飯の……準備」

「そんな場合じゃないだろう!」

 地団駄を踏んだ正道に、あおいは「は?」と凄んだ。そんなの気にも留めず、正道はさらに声を張る。

「イベントのヘルプだよ!」

「それは聞いたけど……」

 意味がわからないという顔で首を傾げるあかねに、今度は正道が怪訝な顔をする。

「あれ? 俺、今日のこと言ってなかったっけ?」

「今日?」

「あーとにかく! いいから急いで‼」

 あかねに伝え忘れていたのは自分なのに、「早く! 早く!」と手招きしながら正道はリビングを出て行く。

 仕方ないという顔で手を洗い始めたあかねを送り出そうと思っていたら、正道が再び騒がしい音を立てて戻ってきた。

「あおい、お前も来い!」

 巻き込まれた。

       4

 正道に車で連れて行かれたのは、西武秩父駅だった。七時半を回ったから、あたりはすっかり暗くなっている。ぼんやりと明かりの灯るホームに、特急レッドアロー号が到着した。グレーの車体に引かれた真っ赤なラインが、暗がりに鮮やかに浮かび上がった。

「先生が来たらバッと開いてくれ! 景気よく、バッとな!」

 駅前のロータリーで、正道が意気揚々と指示を出す。彼の背後を、客を乗せたタクシーが走り抜けていった。

 集まったのは、あおいとあかねと正嗣と、とうの正道を入れて四人。大きな横断幕を畳んだ状態で持たされ、薄暗いロータリーでとある人物の到着を待っている。

 駅の改札から次々と人が出てくる。横断幕を持つあおい達に気づいて、スーツ姿のサラリーマン達が怪訝な顔で通り過ぎていく。

「父ちゃん、昨日、徹夜で作ってたの、これだったんだ……」

 呆れ顔で正嗣が言う。ついでに溜め息もつく。待ちくたびれて駅前の売店で買ったみそポテトにかぶりつきながら、あおいはムスッと鼻を鳴らした。串に刺さったジャガイモの天ぷらからは、味噌ダレの甘い香りが漂っている。

 あおいの隣で、やれやれという顔であかねもみそポテトを頰張っていた。呆れているのは、正道にだろうか。それとも、ぶすくれているあおいにだろうか。

「おい、横断幕に味噌、こぼすなよ」

 正道があおいに言ってくる。無視してやった。こっちは、こんなことをしてる場合じゃないってのに……。

「でも、どうして今日来るの? イベントは一週間後でしょ?」

 あかねが正道に聞く。あおい達が待っているとある人物とは、音楽の都フェスティバルに参加する大物演歌歌手だ。新渡戸団吉とその名前を聞けば、あおいもなんとなく顔を思い浮かべることが出来る。去年の紅白歌合戦で、きんきらの御輿に乗って歌っていたような気がする。

「それがなあ、新渡戸先生、ご当地ソングの大家だろ? そこならではの美味いもんやら人の温かさやらに触れないと、その土地の魂は歌えないとかなんとか」

「その費用、市役所持ちでしょ?」

 あかねの指摘に、正道がぎくりと肩を揺らす。

「それ、たかられてるよね、確実に……」

 正嗣がぼそっと言った。「絶対そうだよ」とあおいが返そうとしたら、正嗣が背後を振り返って「えっ?」と声を上げた。

「ツグ、どうしたの」

 みそポテトの串を咥えたまま、あおいも振り返った。

「――はあっ?」

 叫んだら、みそポテトの串が口から落ちた。

 駅前ロータリーに、大型トラックが入ってくる。ドラムロールが聞こえ始める。巨人の足音みたいに、どしん、どしんと音が自分達に近づいてくる。

「なんだ?」

 あかねと正道も音に気づいて、驚いた様子でトラックを見た。

 トラックが四人の前で停まる。トラックの荷台が、宝箱の蓋みたいに開いていく。隙間から煌々と明かりがこぼれて、ドラムロールの音がさらに大きくなる。

「皆さま、お待たせしました」

 トラックの荷台から姿を現したのは、和服姿の新渡戸団吉だった。胸元に、大振りな趣味の悪いペンダントをぶら下げている。細い目をさらに細めて笑い、凜々しい佇まいであおい達を見下ろす。テレビで見たことのある顔だけれど、実物は妙に存在感があった。七福神の中に素知らぬ顔で潜り込んでいそうだ。

「男一匹、新渡戸団吉、はるばる野を越え山を越え、笑顔のギフトをお届けにやってまいりました!」

 ぎらぎらと光るペンダントとマイクを通した大音量の声に、あおいは身を竦めた。

 荷台の蓋が開ききって、一際強い照明がパッと灯る。ロータリーが照らされ、帰宅途中のサラリーマン達も呆然と足を止めた。中には「新渡戸団吉だ!」「団ちゃんじゃん!」と声を上げる人もいた。スマホをかざして写真を撮る人までいる。

「フェ、フェイント⁉」

 てっきりレッドアロー号で来ると思っていたのに、という顔で正道が叫ぶ。

 あおいと正道の間で、あかねだけがずっと黙っていた。

「あか姉……?」

 あおいが呼んでも、無反応だった。あかねの手から、みそポテトの串が落ちた。地面にこつんと当たって、寂しく転がっていく。

 そんなものには目もくれず、あかねは一点を見つめている。

 あかねは、新渡戸団吉なんて見ていなかった。

 その視線を追って、あおいは目を瞠った。

「――え?」

 口の端から、勝手に声がこぼれていく。

 新渡戸がマイク片手に歩み出て、軽快に歌い出す。街中に届かんばかりの伸びやかな歌に、ざわついていた周囲から拍手が聞こえてきた。

 新渡戸の背後にはバックバンドがいる。ぎらついた照明にトランペットとサックスが光る。トロンボーンの低い音があたりに鳴り響く。ドラムに、ベースにキーボードに……ギター。ギター。

 金色の光に照らされてギターを弾く男から、あおいは目が離せなくなった。見えない手に顎を摑まれたみたいだった。瞬きすら、できなかった。

 ギターを弾いていたのは、金室慎之介だった。

 つまらなそうな顔をしていた。ステージに立ってギターを弾いているのに、高校生の頃の彼とは似ても似つかない。あおいがあかねと一緒にお堂やライブハウスで見ていた彼とは、お調子者でちょっと馬鹿で、でもげらげらと笑いながらあおいにベースを教えてくれた彼とは、何もかも違う。

 この世に楽しいものなんて何一つないとでも言いたげな慎之介の横顔に、あおいは息を吞んだ。飲み込んだまま、呼吸ができなくなる。

「しんの……」

 ぽつりと、あかねが呟くのが聞こえた。

 頰を引っぱたかれたような気分だった。懐かしさと寂しさと……あとは何? あおいには、わからなかった。たくさんの感情がこもったあかねの声に、喉の奥がきゅっと詰まった。

 きっと、あか姉の目には最初から、新渡戸の姿なんて入っていなかったんだ。

「ほら、ツグ! ちゃんと持ってろよっ!」

 正道の声に、あおいはハッと我に返った。

 横断幕はいつの間にかあおいの手にも、あかねの手にもない。横断幕を抱えた正道が、あおい達の前をばーっと走っていく。正嗣が、戸惑いながらも横断幕の端を握り締める。

 広げられた横断幕が、ロータリーを吹き抜けた夜風にわずかに揺れる。

【新渡戸先生ようこそ秩父へ!】

 横断幕には、大きく太い文字でそう書いてあった。でも、そんなものあおいは見ていられなかった。

 新渡戸を歓迎する言葉の下に、小さく書いてあった。

【お帰りなさい しんのすけくん!】

 それを見てやっと、目の前で演奏する男が金室慎之介だと――しんのだと、実感した。

 どれだけあの頃と違っても彼はしんのなのだと、思い知った。体の中心に、大きくて冷たい杭を打ち込まれたみたいだった。

 しんのが、帰ってきた。

〈第6回へつづく〉

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映画情報


映画「空の青さを知る人よ」
2019 年 10 月 11 日(金)全国ロードショー
吉沢亮 吉岡里帆 若山詩音/ 松平健  
落合福嗣 大地葉 種﨑敦美   
主題歌:あいみょん(unBORDE / Warner Music Japan)
監督:長井龍雪
脚本:岡田麿里
キャラクターデザイン・総作画監督:田中将賀
soraaoproject.jp

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紹介した書籍

カドブンノベル

最新号 2019年11月号

10月10日 配信

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