このころ、聖は毎日、日記をつけている。
3月11日 はれ 22ど。
今日おかあちゃんが来たので話しを、ちょっとしました。そして、つぎにつめしょうぎを、一もんやりました。そして、やる間におかあちゃんは持ってきてくれたものをせいりしたりもってかえるものを出したりしました。そしてつめしょうぎをやっていると食じになったので食どうに行って食じを食べました。そして食べおわると、またへやにもどってつめしょうぎのつづきを、しました。おかあちゃんが答えを、見て王の方になってくれました。
そしてふと時計を見ると一時八、九分前なのでおかあちゃんといちおうサヨナラをしました。そしてちょっとたつとあんせい時間になったのでねました。そしておきると、ちょうどだったので手をあらってクーポンけんをもらって店へ行きました。おかあちゃんもついて来てくれました。そして二十五分ぐらいたつと、ぜんぶ買いました。そして用がすんだのでおかあちゃんとへやに帰りました。そしてつめしょうぎの答えを見るとあっていました。おかあちゃんが「ちがう」といってくれたのでわかりました。そしてクーポンで買ったおやつは百円のおこさませんべいと五十円のガムと十円のガムです。そして店のおばちゃんが十円オーバーしてくれました。
3月12日 はれ 22ど。
今日もスピードをたくさんの人としました。まず寺おかくんと、しました。つぎにハットリくんと、しました。そしてさいごに、石地くんとしました。そしてしょうぎのれんしゅうを朝から夕がたまで四、五時間しました。よるもしようと思います。
3月13日 はれ 22ど。
今日もしょうぎのれんしゅうを六、七時間しました。朝から夕がたまでです。そしてまだ、のこっているので夜、やろうと思います。あと二もんです。だから時間はあと一時間です。
3月14日 はれ 22ど。
今日十三ごうにいる山下くんとしょうぎをたくさんしました。ぜんしょうしました。そしてささきくんともやりました。これもまたぜんしょうしました。そして五手づみを三つやりました。そして今日戸田くんがかえって来ると一ばんにしょうぎをたのもうと思います。それはなぜかというと戸田くんがじょうせきをしっているので。
3月15日 はれ 22ど。
今日寺川君としょうぎを一かいだけしました。かちました。そしてたいくつなので外の方のしょうぎをたくさん見ました。そして人がしょうぎをしない時しょうぎのせめ方という本をべんきょうしました。そして今日、戸田くんとしょうぎを一かいしました。かちました。
日記には将棋のことばかりが
時を同じくして、病院のベッドと自室の蒲団の中という大きな違いはあるものの、同じようなスタイルで将棋にのめりこんでいく少年。
羽生と聖だけではない、全国にそのような少年たちが
聖は小学2年の終わりころにこんな作文を書いている。
ぼくはこの一年間のうちだいぶんしょうぎが強くなりました。それはなぜかというとたぶん、れんしゅうを何回もやったり、ぼくよりも強い人としょうぎを、たくさんやったせいだと思います。
だからこんどからもこれをつづけて行こうと思います。
そして、ぼくが今日の国語のノートと前の国語のノートを見るとかん字がすごくちがいます。なぜちがうかというと毎日かん字れんしゅうをやったからです。だからこれも、ずっとつづけようと思います。そしてぼくはいちばんはじめ日記をめんどうくさがって書きませんでした。
でも今ごろはちゃんと書くようになりました。
これもずっとつづけようと思います。そして今ごろからだんだん人がたいいんするのでさびしくなります。
でもそれはいっ時だけですぐに新しい人がはいって来ると思います。
たいいん、という言葉が病気の回復だけを意味しないということを聖は知っていた。
療養所の生活には身近で日常的な死があった。
幼い命はまるでプラモデルのように簡単に
それも
そのことに聖は気づいている。聖だけではなく施設の固いベッドの上で暮らす子供たちは
施設の隅にひっそりと建つ、
同室の男の子が死んだこともあった。
その子は重い
何時間かそんな時が流れた。やがて発作は収まり、苦しそうな呼吸音がピタリとやんだ。
部屋にはいつもの
朝、慌ただしい気配に目を覚ますと、子供はあとかたもなくどこかに連れ去られてしまっていた。
身近なそしてあまりにもあっけない死という現実を目の前にして、聖は静かに寝返りを打つしかなかった。
そんな現実に子供たちは苛立ち、大人への反抗は時として熾烈を極めた。
しかし、聖だけは少し違った。
将棋を知りそれにのめりこんでいくことによって聖の内面に大きな変化が現れていた。
聖が将棋という
聖にとって、将棋は大空を自由自在に駆け巡らせてくれる翼のようなものであった。
だから施設での生活もベッドの上の空間も、もうつらくはなかった。知れば知るほど、勉強すれば勉強するほどに広がっていく世界に聖の心は強くひきつけられた。しかも運のいいことに、聖が手に入れた将棋という翼は、多くの子供たちが
初心者向けの将棋の単行本を何冊も読破した聖は、小学2年の秋ごろに「将棋世界」という専門の月刊誌と出会う。それはトミコが聖の将棋の本を選ぶためにいつものように古本屋を
「将棋世界」に没頭し、そして相手を見つけては
毎日、何時間もかけて聖は「将棋世界」の詰将棋を解きそして
「将棋世界」を読みはじめたことをきっかけに、トミコは行き当たりばったりに将棋の本を探してさまよわなくてもすむようになる。ほしい本を聖が雑誌で見つけ注文をするようになったからだ。
たとえば『
それは週に一度しか会えないわが子に、少しでもさみしい思いをさせないように、母がいつも身近にいることを忘れないでいてもらおうと、トミコが考えついたことの一つだった。
どうしようもない癇癪持ちで、手を焼かせてばかりだった聖が将棋を知ったことによって明らかに変わっていた。療養所や病気というつらい現実も将棋にのめりこんでいく聖の集中力の前では、もう何の障害にもなっていないようにトミコには思えた。かえって、聖はその環境を将棋の勉強のために逆用しようとしているようにさえ見えた。
聖の姿に、病気や環境に負けない頼もしさが感じられるようになっていた。その強さも、結局は将棋に夢中になることで得たものなのかもしれない。
このころ、母の日に聖はトミコに
お母さん、一しゅう間に一ど来てくれてありがとう。いそがしいのによく来てくれます。そして電話も一しゅう間に二どもかけてくれるので、いっとき思いついたこともちゃんと電話でお母さんに言うことができます。
聖に指示されるままにトミコは将棋の本を買って歩いた。新聞の
子供が夢中になることに親が
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