カドブンで好評をいただいている、ミステリー『虜囚の犬』。
公開期間が終了した物語冒頭を「もう一度読みたい!」、「7月9日の書籍刊行まで待てない!」という声にお応えして、集中再掲載を実施します!
※作品の感想をツイートしていただいた方に、サイン本のプレゼント企画実施中。
(応募要項は記事末尾をご覧ください)
◆ ◆ ◆
>>前話を読む
たったいま聞かされた話を脳内で整理しつつ、白石は帰宅した。
──あの噂がほんとうなら、伊知郎さんは恨まれて当然だ。
認知症や失火は薩摩伊知郎のせいではない。しかしドミノ倒しのような不幸の連鎖は、大須賀家が土地家屋を騙しとられたことにはじまる。その一件がなければ、大須賀の老母は健やかな老後を送れたかもしれない。彼女が認知症でなければ、真夜中の大規模火災も起こらなかったはずだ。
──伊知郎さんはなぜ、そんな残酷なことを。
薩摩伊知郎は富裕な生まれだ。クルーザーに
ではなぜだ。大須賀に個人的な恨みでもあったのか。それとも子供が遊びで虫の羽をちぎるような、無邪気なたわむれだったのか。
──伊知郎さんの人物像が、どんどんいびつになっていく。
リヴィングに戻ると、時計の針は午前十時をまわっていた。
固定電話の留守電ランプが点滅している。再生ボタンを押した。
流れだしたのは、
「おい、おれだ。──殺された家出少女こと、
白石は息を
急いで留守電のヴォリュームを上げる。
「義父の稲葉
和井田の声は冷静だった。
「なお
ああわかる、と白石は胸中でうなずいた。
薩摩治郎を刺し、ホテルから去った男の風体とほぼ同一である。
──でももし、稲葉千夏の義父が犯人だとしたら。
どうやってやつは治郎くんをホテルまでおびき出した? 離れ家に電話はなく、義父が治郎のメールアドレスを知っていたとも思えない。よしんば知っていたとしても、パソコンに履歴が残るはずだ。
──第一あの治郎くんが、見知らぬ男の呼び出しに応じて、ホテルまで出向くなんてあり得るだろうか。
人見知りで、過度に用心深かったあの治郎が。
考えこむ白石をよそに、和井田の声がつづく。
「志津への脅迫電話からして、やつはこの街へ来る可能性が大だ。
言うだけ言って、留守電の声は途切れた。
メッセージを消去するか否か、と尋ねる音声が流れ出す。
白石は一時保存を選択した。そして、口の中でちいさく唸った。
第三章
1
夜八時の駅前通りは、どこか脂じみた
レゴブロックかと見まごうほど無機質なデザインの駅ビル。家路を急ぐスーツ姿のサラリーマン。タクシー待ちの列に並ぶ、のっぺりと無表情な人びと。
路上で下手くそなギターを鳴らすストリートミュージシャン。早くも千鳥足の大学生たち。ベンチに片手をかけて、伝線したストッキングに舌打ちする女性。だるそうにホストクラブのチラシを配る男。
空は曇りで、月も星も見えない。だが
視界のあちこちで赤に緑に切り替わる信号。行きかう人びとが手にするスマートフォンの灯り。ヘッドライトの金、テイルライトの赤。
光の洪水の中を、塾帰りの
青信号の横断歩道を渡って、さて今夜の夕飯はどこにしよう、と考える。
ロイヤルホストかサイゼリヤかすき家か。ちょっと足を延ばしてモスバーガーかロッテリアか。はたまたラーメンかカレーか回転寿司か。
熟考の末、「やっぱり長居できる店がいいな」といつもの結論に落ちついた。
小遣いには困っていなかった。しかし中学生が夜遅くまでいられる店は限られる。海斗はしばしば高校生に間違われるが、それでもコーヒー一杯かドリンクバーで粘れる場所は多くない。
すべては継母──内心で海斗は〝父の
彼女は何年か前まで、海斗のために使う金は一銭でも惜しいといったふうだった。食事の用意どころか、洗濯機から継息子の服だけ取りのぞき、彼が入る前に風呂の栓を抜き、給湯器の電源を切った。
しかし彼の背が伸び、体格でまさるようになると態度を変えた。海斗を高い塾へ通わせ、小遣いを潤沢に与え、「その代わり、家にいないでちょうだい」と無言でアピールするようになった。
継母の望みに、海斗は無言で
とはいえその生活に不満はなかった。家にいて〝ゴサイ〟と気づまりな時間を過ごすくらいなら、外にいたほうが何十倍もましだった。
歩道橋を越え、海斗はガストに足を向けた。
いつも見る無愛想な店員に奥まで案内してもらい、席に着く。
「ミックスグリル。ドリンクバー付きで」と注文する。メニューをひらく必要はなかった。とっくに暗記してしまっているからだ。
ミックスグリルセットは、届いて十分足らずで食べ終えた。
さて、あとは十時までスマートフォンでゲームをするか、電子書籍のミステリを読むか、動画を
退屈だった。さりとて家にいたところで、やることはたいして変わらない。
海斗は中学三年生。つまり受験生である。
だが焦りはなかった。成績はつねに上位五パーセント内をキープしていた。塾に通おうが通うまいが、成績にさしたる影響はないと思っていた。
義務教育の授業なんて、教科書の内容さえ理解していれば点は取れる。高校からは苦労するかもしれないが、そのときはそのときだと割り切っていた。
席を立ち、グラスにアイスティーを補充して戻る。
スマートフォンを手に、海斗はゲームをはじめた。
彼は基本的にRPG系しかやらない。最近はなるべく煩雑さのすくない、放置育成型ゲームを選ぶようになっていた。
時間経過とともにひとりでに進んでいく放置型ゲームは、たまに起動して眺めるだけでもそれなりに楽しめる。アイテムも勝手に
あくびを
液晶の中で、キャラクターが豪剣を
「それ、どんくらいでもらえるアイテム?」
頭上から声がした。
海斗は反射的に顔をあげた。そして、目をまるくした。
──女?
声の調子から、てっきり同年代の男だと思ったのだ。
しかし目の前に立つ人物は、透きとおるように色が白かった。やや伏し目にした
「なあ、どんくらいやってたらもらえるアイテムなんだ?」
と、いま一度
その声と口調で、ようやく海斗は「ああ、やっぱり男だ」と確信した。
ひどく中性的な美少年である。だが、よくよく見れば喉ぼとけがある。手も
「あ……」
声を発しかけ、海斗はいったん言葉を吞んだ。
脳内で言葉を組み立てながら、ゆっくりと、余裕を持って言葉を押し出す。
「ああ、これは、えっと──わからない。放置ゲーだから、いつの間にか装着してたアイテムで……」
「長くやってんだ?」
「んーと、八箇月くらい」
「マジで? やっべえ」
少年は歯を見せて笑った。真っ白い、完璧な歯並びであった。
その瞬間、なぜか海斗の心臓がどくりと跳ねた。
少年がつづける。
「辛抱強いんだな、うらやましい。おれなら絶対無理だ。がんがん課金して、欲しいもんはなにをしても手に入れたくなっちまう」
それが國広海斗と、少年──
(つづく)
発売間近! 1冊丸ごと楽しみたい方はこちらをどうぞ
▶amazon
▶楽天ブックス
▼櫛木理宇『虜囚の犬』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321912000319/