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試し読み

【話題作再掲】猫をかぶっていた後妻は本性を現し、ぼくの心を殺した。怒濤のどんでん返しミステリー!櫛木理宇『虜囚の犬』#19

カドブンで好評をいただいている、ミステリー『虜囚の犬』。
7月9日の書籍発売にあたり、公開期間が終了した物語冒頭を「もう一度読みたい!」、「ためし読みしてみたい」という声にお応えして、集中再掲載を実施します!
※作品の感想をツイートしていただいた方に、サイン本のプレゼント企画実施中。
(応募要項は記事末尾をご覧ください)

 ◆ ◆ ◆

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      4

 ホームルームが終わって、海斗は中学校を出た。

 日暮れにはまだ遠い五月の空は、どこまでも透きとおるような薄青を広げていた。近くの中華料理屋から、しよういためる匂いが漂ってくる。民家の袖垣から覗くクレマチスの花が、目に涼しいほど青い。

 海斗は両手を制服のポケットに突っこみ、一人で帰途をたどっていた。片耳にめたイヤフォンからは、グラント・グリーンのギターが流れている。未尋に薦められたアルバムであった。

 夜は楽しくなった。でも学校は、相変わらずつまらないままだった。

 海斗は校内に友達がいない。最近さぼりがちな塾でもそうだ。無口で団体行動が苦手な海斗は、生徒だけでなく教師にも持てあまされていた。

 成績が上位のせいか、中学生になってからは、あからさまないじめはなくなった。

 ただし遠巻きにされるようになった。

 何度クラス替えしようと、「二人組をつくれ」、「五人で班になれ」と教師がかける号令で、輪からはじかれるのは海斗だった。

「だんまりでキモいやつ」

「なに考えてるかわからない」

「笑ってるとこも、しゃべってるとこも見たことない」

 クラスメイトの評価は、いつだってこうだ。

 ──幼稚園までは、おれだってまわりに溶けこめていたんだけどな。

 言いわけのように、海斗は胸中でつぶやく。母さんが生きてた頃は、普通の子供だった。毎日遊ぶ友達だっていたんだ、と。

 実母が入院したのは、海斗が五歳の秋だ。病院のベッドで息を引きとったのが、六歳の春。

 葬儀、初七日、納骨式と四十九日を経て、〝父の後妻〟がやって来たのは、実母の死から八箇月後だった。

 半年ほど、彼女は父の前では猫をかぶっていた。しかし越してきた当初から、海斗に対しては当たりがきつかった。

 最初のうちは話しかけても無視する、睨む、舌打ち程度だった。

 しかしみる間に、海斗のぶんだけ食事を用意しない、洗濯物をける、ささいな失敗をあげつらって怒鳴る、あざができるほどつねる、とエスカレートしていった。

 とりわけ海斗がいやだったのは、彼が話すたび後妻が嘲笑ってきたことだ。

「しゃべりかたがおかしい」

「訛ってる」

「みっともない。こんな子を連れて歩いたら、あたしのほうが笑われる」

 自然と海斗は無口になった。しゃべろうとしても、うまく言葉が出てこなくなった。意識すればするほど、舌がもつれて喉がつかえた。

 そんな海斗を見て、後妻は顔をゆがめ、いやらしく口真似してみせた。

「『ぼくはぁ、ぼくはぁ』だってさ。ほら、もういっぺん言ってみなよ。さっきのキモい宇宙語をさ。『ぼくはぁ、ぼくはぁ……』って。ほら、早く」

 海斗の発声と仕草を大げさにカリカチュアライズする後妻の顔は、暗い喜びと汗で光っていた。

「言ってみな。馬鹿みたいな顔して、さっきみたいに言ってみなよ」

「みんなあんたを笑ってるよ。あそこの子はおかしい、恥ずかしい子だって。みんな陰で笑ってる。知らないのはあんただけ」

「あたしを意地悪だって思ってる? 違うね、教育してやってんのよ。ほら、あの『ぼくはぁ、ぼくはぁ』をやってみな。うまくできたら、今日はテーブルでご飯を食べさせてあげる」

 父は、おそらく気づいていたと思う。

 しかし面と向かって後妻をとがめはしなかった。ただときおり海斗をドライブに連れ出し、サービスエリアのレストランで「ごめんな」と、ハンバーグやカレーを食べさせてくれた。

 なにに対する「ごめん」なんだろう。海斗は思った。

 あんな女を家に連れこんだことか。虐待を見て見ぬふりしていることか。それとも母が入院中から、あの女と付き合っていたことか。

 訊きたかったが、訊けなかった。海斗は無言で、すこしも辛くないカレーをがつがつと胃に詰めこんだ。

 どこまでが後妻のもくみだったかは知らない。だがもともと感受性の強かった海斗は、てきめんに精神を病んでいった。

 最初は言葉が出てこない程度だった。その沈黙が、次第に長くなっていった。

 話しかけられても詰まる。数分黙りこくる。その間はしゃべらないどころか、石のように動けなくなる。

 その様子に、さすがの父も危機感を抱いたらしい。海斗は小児心療内科に連れていかれた。診断結果は「器質障害なし」。純粋に精神的なもので、激しいストレスが原因だろうと言われた。

 しかし父は、ストレスの源を海斗から遠ざけることはなかった。後妻は國広家に居座りつづけた。

 代わりに家庭から消えたのは、父自身だった。

 父の帰宅時間はどんどん遅くなった。家で食事する回数が激減した。土日はやれ接待ゴルフだ、休日出勤だと外出ばかりだった。

 逃げる父への不満を、後妻は海斗にぶつけた。

 海斗は学校で「だんまり野郎」といじめられ、家では後妻に小突かれてあざけられた。

 ある朝、海斗の糸はぶつりと切れた。

 彼はランドセルを背負って、いつもの時間に家を出た。しかし学校へは向かわず、通学路をそれて駅に向かった。

 財布には、お年玉をめておいた二万八千円が入っていた。

 海斗は電車に乗った。二千円で行けるぎりぎりいっぱいの駅で降り、残りの二万六千円を懐に四日間放浪した。

 警察に保護されたのは、五日目の夜だ。彼は「帰りたくない」とごねた。なぜかそのときは、言葉がすんなりと喉を通った。

「帰りたくない。父も、父の後妻もぼくを嫌いだ。このまま死んだほうがいい。おまわりさん、ぼくに苦しくない死にかたを教えてください」

 ただちに彼は病院へ搬送され、栄養点滴を受けた。大きなはなかった。ただし中程度の脱水症状を起こし、日焼けで皮膚が水ぶくれになっていた。

 病室を訪れた父は、しばしの間、絶句した。

 やがて海斗の手を握り、ベッドの横にひざまずいて泣いた。

 父の泣き声を聞きながら、海斗は眉ひとつ動かさなかった。後妻は来なかったんだなと、そのことだけにあんしていた。

 児童相談所と民生委員の指導のもと、後妻の虐待はんだ。

 しかし海斗本人は、指導は関係ないと思っている。彼が中学生になって、後妻より体格がまさったせいだと確信していた。その証拠にいまだ無視はつづいているし、海斗が家にいるだけで、彼女はいやな顔をする。なにひとつ解決などしていない。

 歩きつづける海斗のポケットで、スマートフォンが鳴った。

 未尋からのLINEだった。

 ──八時にマックな。いつもの席で。

 海斗の頰がほころんだ。

 未尋と知り合ってからというもの、彼の世界は一変していた。味気ない灰いろの風景が、いまは細部まであざやかに色づいて見えた。

 歯医者の看板を左折する。

 電柱を二本通り過ぎ、右へ曲がれば、三軒目の青い屋根が海斗の家だ。

 与えられている合鍵で、玄関を開ける。

 後妻の靴が三和土にあるのを視認する。

 ただいまは言わなかった。向こうだって聞きたくはないだろう。無言で靴を脱ぎ、無言でキッチンに入り、冷蔵庫から缶コーヒーを一本抜いた。

 彼が小学生の頃、この冷蔵庫には後付けの鍵が取りつけられていたものだ。飢えた海斗が勝手に開けないようにと、後妻が付けた鍵であった。ただし家出事件で児童相談所の指導が入って以降ははずされ、いまはいつ開けようが文句一つ言われない。

 海斗は階段をのぼり、自室へ向かった。

 ドアを開ける。学習机とベッドだけの、がらんとした部屋がそこにあった。

 海斗は貴重品を自室に置かないようにしていた。実母の写真も形見も、かつて後妻にあらかた捨てられてしまったからだ。

 いま彼は市立体育館のコインロッカーに、通帳や印鑑、民生委員の名刺、非常用の現金、実母のはいなどを入れている。貸金庫を借りようとして断られて以来、ここを使用しているのだった。ただし三日を超えると遺失物扱いになるため、ロッカーの場所はこまめに通って替えている。

 仏壇から位牌が消えたことに、父も後妻もいまだ気づいていない様子だ。

 現に仏壇はほこりをかぶって、長らく水一杯上げられていない。遺影は伏せられたきりで、誰かが触れる気配もなかった。

 海斗は床にスクールバッグを置いた。

 溜まっていた洗濯物を抱え、階下へ降りる。洗濯機は全自動のドラム式で、洗濯から乾燥まで約一時間半である。セットを終え、ふたたび自室へと引き上げた。

 ベッドに座り、海斗はスマートフォンを取り出した。

 未尋にLINEのメッセージを送る。一分と経たず返事があり、画面に吹き出しとスタンプが並んでいく。思わず頰が緩んだ。

 誰にも見せない笑顔で、海斗は親友にメッセージを打ちつづけた。

(つづく)

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