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試し読み

女優・北原里英が紡ぐ解像度抜群のルームシェア小説『おかえり、めだか荘』 試し読み#3

女優・タレントとして活躍する北原里英さんの初小説『おかえり、めだか荘』(2023年8月30日発売)。刊行を記念して、冒頭試し読みを公開します!
本作は、アラサー女性4人のルームシェア生活を舞台に、30歳を目の前にした途端に立ちはだかる、仕事や恋愛、結婚、家族の悩みが鮮明に描かれています。
誰もが一度は考えたことがある「私の人生、これでいいのかな?」という葛藤に寄り添う、あたたい物語です。ぜひお楽しみください!

特設サイト:https://kadobun.jp/special/kitahara-rie/okaerimedakasou



推薦コメント続々!

ヒリヒリしながら、キラキラしてて、ゆらゆらしながら、きちんとしたがる。 女の子と、女の人の谷間のゆらぎ。気付けば、このシェアハウスの住人になっていた。この作家の吸引力。
――リリー・フランキー氏
繊細な選択を迫られる日常の中で、つい見落とされてしまう誰かの優しさを、取りこぼさぬよう大切に光を当てた温もりある物語でした。
――又吉直樹氏
めだか荘に住めばきっと、家で孤独を感じる私は存在しなかったんだろうな…。
――指原莉乃氏

女優・北原里英が紡ぐ解像度抜群のルームシェア小説『おかえり、めだか荘』 試し読み#3

 今日も左右に揺れつつ地面を目指す桜の花びらを見つめながら、この先のことを考える。の当たり具合によってはすっかり緑の面積が増えている桜。本当に桜の旬は短い。1年の間で綺麗だね、と思ってもらえる時間が圧倒的に短すぎる。なんだかそれは女の子の一生にも似ている気がした。ちやほやされるのはほんの一瞬……桜の方がまだマシだ。来年も綺麗だね、と言ってもらえる確約があるのだから。
 その場で笑っているだけでは段々ちやほやされなくなってきたわたしは、珍しく真剣に未来のことを考えていた。
 先日、ついに柚子の口から家の取り壊しについての詳細が語られた。実際にこの家から出なくてはいけないのは12月、つまり約8ヶ月後らしい。あんな風に珍しく集合をかけて、神妙な面持ちで余命宣告をされたものの、残された時間は思ったよりもあった。
 どうやら我が家の最寄りの駅が、リニアの停車駅に選ばれたらしい。
 こんな何もないところに停まっても、誰も喜ばないんじゃ……とは思ったが、そこにはきっと大人の様々な思惑があるようだった。ここが停車駅に選ばれたのもきっと、なにかわたしたち一般人が一生をかけても知ることのない、政治的な理由や大人の事情があるのだろう。そうして選ばれたこの駅の周辺は、大胆な都市開発が決定したのだった。
 そんな急に決まるものだろうか、とも思ったが、きっとわたしの耳に届いたのがつい先日なだけで、ずっと水面下で話は進んでいたのだろう。柚子のお父さんももしかしたら色々と関わっているのかもしれない。知らない方が幸せなこともある、というのは大人になって理解したことの一つだ。昔はなんでも知りたいと好奇心おうせいに生きていて、学校や町内のウワサ話などは一つも逃さず知っていたい、知っていることがステータスだと思っていたけど、知らなくても良いことが実はこの世界には何百、何千個もあるんだと大人になって知った。
 にも角にも、こうして駅徒歩2分の好立地な我々のめだか荘は、好立地なことが裏目に出て、開発区域に認定されてしまったのだった。この辺一帯はどうやら駅直結の大きなショッピングモールになるようだ。駅自体もかなり拡張して、そこから渡り廊下のようなものでつながる、商業施設。思えば駅自体の改修工事は既に年明けから少しずつ始まっていた。ベッドタウンとして生きてきたこの町が、長い夜を経てとうとう陽の目を浴びるらしい。
 となると、当然この家を出ていかなければいけない。全員バラバラの道だ。また一から部屋探しをするのはおつくうだ、と思いながら、はた、とわたしの頭に1人の人物が浮かぶ。それと同時に、笑みも漏れてしまった。
 わたしの口角はいま、下品に上がっていることだろう。
 彼の家に、転がり込んでしまおうか。



 わたしが彼と出会ったのは、たしか2週間くらい前のこと。
 駅からすぐの桜並木の、桜がまだつぼみの状態のときである。
 いつもと変わらぬ景色を、いつもと変わらない一日を終えたわたしは文字通り「無」で歩いていた。電車の中では音楽を欠かさず聴くタイプなのだが、改札を出てからはイヤホンを外す。以前聴きながら歩いていたら音に気づかなくて自転車と衝突したのだ。軽い事故だったがそれがトラウマになり、歩いているときに音楽を聞くのをやめた。
 音楽がないと生きていけない、文字通りの「NO MUSIC, NO LIFE」なわたしだったが、意外にもイヤホンを外してからたくさんのことに気づいた。
 例えば、四季には音があるということ。
 四季の移り変わりには、ちゃんと次の季節の足音が聞こえる。
 風にも温度があること。
 肌で風を感じると、季節ごとにしっかりと温度があって、匂いがある。
 それは気温ともまた違って、暖かい空気の中に冷たい風が吹くこともあれば、また逆もしかりだった。
 ただイヤホンに聴覚を奪われていただけなのに、聴覚を取り戻した結果、五感が研ぎ澄まされて、自分の気持ちにも耳を傾けることができるようになった。
 なので歩くときに音楽を聞かなくなってからは、家までの道のりはいつもぼんやりと色々なことを考えていた。
 この日も、考えているのか考えていないのか、あいまいな境界線を歩いていたら──。
「……たよ」
 背中をトントン、とたたかれた。
「落ちましたよ!」
 誰かに話しかけられてハッとする。これではイヤホンを外している意味がないじゃないか、と反省しながら振り返ると、ホワイトムスクの香りと共に端整な顔立ちの青年が立っていた。
 ふわふわの髪の毛は緑みの強い綺麗なアッシュだ。シュッとしたフェイスラインに、大きくはないけど綺麗なひとみ。鼻筋は高く、唇にはなんの嫌味もない。癖のない、まさに、整っている顔。
 そして手には見覚えのある、ピンクのハンカチ。
「え! あ、わたし落としました? すみません、ありがとうございます」
「いいえ。どういたしまして。じゃあ」
 ペコリと軽く会釈をしてから、ニコリと軽く口角を上げて、青年はさわやかに去っていった。駅の方へと消えていく。かすかに残るホワイトムスクの香り……。
 これがもし映画だとしたら、運命の出会いになりうる一瞬だ、と瞬時に妄想の世界に入る。わたしの好きないわしゆん監督がもし今のシーンを描くとしたら……桜満開の並木道。落ちた花びらで一面ピンクに埋め尽くされたこの広い道は、一歩踏み出せば綺麗なピンクを己の靴で汚してしまうことになる、そんな罪深さがある。その邪悪な足跡はわたしの記憶に深く色濃く刻まれる。確実にこの出会いから2人で地獄という名の天国に転がり落ちていく。そこは美しくて残酷な世界──。
 なんてしょうもないことを考えていたら、あっという間に家に着いた。さすが駅徒歩2分。家に着く頃には彼の記憶は既におぼろげになっていた。



 事実は小説よりも奇なり、とはよく聞いたものだが、その3日後に、わたしは岩井俊二の映画でもありえないような奇跡の再会を果たす。
 その日、受付仲間のに飲み会に誘われた。利麻と飲み会に参加することはよくあることだったので特になんの感情もなく「行くー」と答えたわたしの耳元に利麻が顔を近づける。
「今日はねー、インフルエンサーの会らしいよ」
「インフルエンサー?」
「ほら、インスタグラマーとかティックトッカーとか。ユーチューバーもいるらしいし!」
 このSNS戦国時代の先頭を走る人たちとの飲み会ということか。
「あー、ユーチューバーね……。わたしあんま詳しくないな」
「大丈夫。向こうも自分たちのこと知らない子の方が嬉しいって。最近ファンがすごすぎて大変みたいだからさ」
「ユーチューバーってそんな感じなの。もう芸能人じゃん」
「でも下手したら芸能人よりもお金持ってるかもよー、いやあ楽しみだね」
 利麻は楽しそうに笑いながら自分の定位置に椅子を滑らす。利麻は顔が広く、彼女に誘われる飲み会には野球選手やサッカー選手、聞いたことのない俳優さん、若干見たことあるな、という俳優さんなどがいる会も多い。一見ハーフに見える利麻は男性受けもよく、気遣いもでき、一緒に飲んでいて楽しい存在だ。利麻との飲み会はたとえなにも成果が出なくても楽しい。
 この日も特に大きな期待はせず、かと言って気が乗らない感じもなく、まさしく普通のテンションで飲み会に向かった。
 が、そこに、大きな出会いが待っていた。
 先日ハンカチを拾ってくれた好青年がいたのだ。一気に朧げだった記憶がフラッシュバックする。瞬時に<外字>こうをホワイトムスクの香りが突き抜けていくような、甘い衝撃が走る。相変わらず猫毛のふわふわな緑アッシュ。カラオケの安っぽいソファに礼儀正しく座る姿はここみなと区にそぐわない。彼にはあかけた都会らしいイメージは確かにあるものの、爽やかすぎてこの街には似合っていなかった。
「え、あのときの……」
「ん?」
 彼が口をとがらせながら身を乗り出す。
 あいさつもそこそこに彼の座るソファに向かうわたしを不思議そうに見る利麻。その利麻を置き去りに、もうわたしの心はこの偶然に高鳴っていた。こんなことある? こんなことってある? 偶然ハンカチを拾ってくれた好青年に、全然別の場所でもう一度会う。これはもうこの令和において、ドラマで出てきたときには思わず「トレンディー!」と叫んでしまうような安っぽい展開だ。噓のような展開。小説だとしたら思わず「この三文小説が!」と叫んでしまうような展開だ。安い展開。ベタな展開。でも不思議と自分の身に降りかかると、怖いくらいストンとに落ちた。これが、運命なのかと。
「この前、ハンカチを拾ってもらいました! あの、はし駅の近くで」
「……あ、ああー! あのときのね! え、噓みたい、すごい偶然」
「なにそこー、知り合いなの?」
 これまた噓のようなピンクの髪をした男の人がニヤニヤと、黄色い歯を見せながら言葉を投げかける。
「いや、知り合いっていうか、この前すれ違ったんだよね、ねー」
 アッシュ髪の彼が、わたしを見て言う。つぶらな瞳がキラキラしている。瞳の面積とあっていない光量の強さ……。
「あ、てかそうだ! これ。多分ハンカチに挟まってたんだけど、おれそのまま持って帰ってきちゃったの」
 彼がガサゴソとカバンを探る。と、1枚のくしゃっとした名刺が出てきた。
「あ、カバンの中でくしゃくしゃになっちゃった……ゴメンね」
 受け取ると、身に覚えのない名前が書かれた名刺だった。そうだ、あの日、名刺入れが手元にないタイミングでもらった名刺を、とりあえずハンカチにくるんだんだっけ。
「ハンカチ拾ったときに落ちちゃってたみたいで。ハンカチ返したときに気づけなくて、その後足元でそよそよ~ってなってたの、風に吹かれて。追いかけようかと思ったけど、君歩くの速いよねえ、もう遠くだったから諦めちゃって」
 笑うと目尻にしわが寄るタイプだ。優しい、垂れた目は子犬みたいだ。女の子が一番弱い、母性をくすぐるあの目だ。
「いつでも、会ったときに渡せるようにカバンに入れっぱなしにしてたの。大事なものかもしれないし。でも大事なものだったとしたらおれやばいね! くしゃくしゃにしちゃった」
 彼の手が、わたしの名刺を持つ手に触れる──正確には名刺を確認しようとした動きだったのだけど、彼の大きな手は名刺ごとわたしの手も包む。
「なんかまた会える気がしてたから持ち歩いてた! よかった会えて。てかすごくない? 運命だ」
 わたしはいとも簡単に、恋に落ちた。

(続きは本書でお楽しみください)

作品紹介



おかえり、めだか荘
著者 北原 里英
発売日:2023年08月30日

女優・北原里英の初小説! 30歳目前、夢や友情にもがくルームシェア物語
「めだか荘」でルームシェアをするアラサー女性4人。
恋愛願望が強すぎて上手くいかない遥香、あと少し売れたくて「脱ぐ」か悩む女優の那智、
プロポーズされるも仕事を頑張りたいからと結婚に踏み切れない楓、父親や弟との関係にもどかしさを抱える柚子。
性格や職業がバラバラな4人でも楽しく過ごしていたが、
リニア開通に伴う都市再開発のため、8ヶ月後に退去するよう連絡が来て……。

――私の人生、これでいいのかな?

●著者コメント
子どもの頃から、物語を想像したり妄想したりすることが好きでした。
文章を書くことも好きだったので、作家になりたいな、なんて思っていた時期もありました。
ですがいざ書き始めても、物語を完結させることができない。読書感想文で褒められることもない。
いつのまにかそんな夢を持っていたことも忘れて、わたしはアイドルになり、いまは結婚もいたしました。
そんなわたしの元に突然現れた小説家デビューのお話。
KADOKAWAさんに助けていただきながら、人生で初めて物語を完結させることができました。
特別に教養があったり、詩的センスがピカイチではないわたしに何が書けるだろう、と不安でしたが、
これまで経験してきたことを武器に、そして今のわたしにしか書けないものになったかなと思います。
人生何があるかわかりません。何年越しに忘れられていた小学生の時の夢が叶ってとても嬉しいです。
たくさんの方に手に取っていただけますように。

詳細ページ:https://www.kadokawa.co.jp/product/322111000525/
amazonページはこちら


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