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試し読み

女優・北原里英が紡ぐ解像度抜群のルームシェア小説『おかえり、めだか荘』 試し読み#1

女優・タレントとして活躍する北原里英さんの初小説『おかえり、めだか荘』(2023年8月30日発売)。刊行を記念して、冒頭試し読みを公開します!
本作は、アラサー女性4人のルームシェア生活を舞台に、30歳を目の前にした途端に立ちはだかる、仕事や恋愛、結婚、家族の悩みが鮮明に描かれています。
誰もが一度は考えたことがある「私の人生、これでいいのかな?」という葛藤に寄り添う、あたたい物語です。ぜひお楽しみください!

特設サイト:https://kadobun.jp/special/kitahara-rie/okaerimedakasou



推薦コメント続々!

ヒリヒリしながら、キラキラしてて、ゆらゆらしながら、きちんとしたがる。 女の子と、女の人の谷間のゆらぎ。気付けば、このシェアハウスの住人になっていた。この作家の吸引力。
――リリー・フランキー氏
繊細な選択を迫られる日常の中で、つい見落とされてしまう誰かの優しさを、取りこぼさぬよう大切に光を当てた温もりある物語でした。
――又吉直樹氏
めだか荘に住めばきっと、家で孤独を感じる私は存在しなかったんだろうな…。
――指原莉乃氏

女優・北原里英が紡ぐ解像度抜群のルームシェア小説『おかえり、めだか荘』 試し読み#1

プロローグ


「すみません、リビングに降りてきてもらえますか」
 この家の壁は薄い。住み始めた当初は仕事先の相手に電話で気を遣いながら話す声や、何度も繰り返されるシェイクスピアを思わせるロマンチックな台詞せりふが、昼夜関係なく隣から聞こえてきて、頭を悩ましたものだ。
 だけど人間というのは便利なもので、どんな環境にも慣れる。この家に約1年住めば、この壁の薄さにもすっかり慣れて、お互いの生活音などを全く気にしなくなった。今では隣の部屋から聞こえてくるつかこうへいを思わせる熱い台詞や延々繰り返される上司の愚痴を、華麗にシャットダウンすることに成功している。
 ただ人間というのは便利なだけではなく不思議なもので、いつもと違う匂い、空気、風、ざわざわと鳴る胸騒ぎ、妙な居心地の悪さ……なぜかこういったものを察知する能力が備わっている。故に今回も、いつもと違う湿度を帯び、不穏な空気が含まれたその言葉は、なぜかしっかりと壁をすり抜けてきて耳に入った。言葉を投げかけられたのは隣の部屋で生活するみやだったが、薄い壁をすり抜けて、大体の家具や小物がピンクでまとめられているこの部屋の主、えんどうはるの耳にもしっかりと届いた。
 コンコン。
 続いてノックされる遥香の部屋。「はーい」と軽く返事をして扉を開ける。
「すみません、リビングに降りてきてもらえますか」
 先ほどと一字一句違わない言葉を吐いて、くるり、といくしまきびすを返した。タンタンタン、と足音がリズムを刻む。それに合わせて真っ黒い髪が揺れる。揺れながら1階に降りていく。まとっている雰囲気が暗い子だ。もうちょっと明るくならないもんかね、と思いながら遥香もスマホを片手に部屋を後にする。それに続くように那智も部屋を出て、同じタイミングで階段を降りた。同じ色なのに柚子とは対照的な、常に自信にあふれる那智の黒髪も、足音のリズムと共に左右に揺れる。
 柚子の部屋は唯一1階にある。わざわざ2階に来て集合をかけることなど滅多にない。なんだか胃の辺りに重たい違和感がのしかかる。目にかかるかかからないかくらいの長さに保たれた前髪に隠れて表情までは見えなかったが、心なしかいつもより暗かったような気もする。なにか問題でも起きたのだろうか。
 リビングの扉は2階の各部屋と違ってガラス戸だ。ガラガラ、と扉を引くと見慣れたグレーのソファに、ガラスのローテーブル。ラグの敷かれた床。そこに正座する柚子の姿があった。柚子の身体はソファを向いている。つまりソファに座れ、ということだろうか。向き合うように遥香と那智はソファに腰を下ろした。
「あれ、かえでは?」
 那智がリビングを見渡す。見渡すと言っても、キッチンはガラス戸の向こうなので、この独立したリビングをチラッと確認しただけではある。さほど広くはないリビングを軽く一周して、那智の視線は柚子に戻った。
「楓さんは、もうすぐリビングに来ます。さっきおから上がったそうで、いまは洗面所にいます」
 ああ、と那智が納得するのと同時くらいに、ブオーとドライヤーの音が聞こえ始めた。
「いやまだかかるじゃん、これ」
 楓の肩くらいまで伸びたボブヘアを想像する。ずっとショートヘアだった楓が髪を伸ばし始めたのはここ最近の話だった。楓の毛量は多い。あの髪を乾かすのには3分、いやもうちょっとかかるか。
 那智はぶつくさ文句を言い始めたかと思えば、その内容が昨日見たドラマに出ていた役者の演技のひどさの話になった頃、ようやく髪を乾かし切った楓がリビングに現れた。
「ごめんごめん、お待たせしました」
 こうしてリビングに、この家に住む4人が集められた。オートミール色のスウェット姿の楓が那智の横に座る。
「お待たせしたくせに言うのもアレなんだけど、ちょっと今日中に仕上げなきゃいけない資料があって。早めに会合が終わると助かる」
 柚子によって集められたリビング集会は、楓の中でいつの間にか会合になっていた。
「そうですね、では、手短に話します」
 柚子がひざの上に乗せた両の手をさらにぎゅっと結ぶ。と、少しだけリビングの空気が引き締まった。
「あの、今日父から連絡があって……このおうち、なくなります」



1章 遠藤遥香


 わたしには、本当に何もない。
 会社からの帰り道、いつもの電車に乗りいつもの道を歩きながら、ふと舞い降りてきた桜の花びらの行方を見つめる。右へ左へと、ひらひらと舞う花びらの行方を目で追っていると、少しでも長く空を舞っていたいように見えて可愛らしさを感じた。
 東京に来て、何度目の春だろうか。
 今年も変わらずこの季節を迎え、何も変わらない自分がいつもどおりのヒールのパンプスで並木道を歩いていて、無性にむなしくなった。
 わたしの出身は九州の方だ。物心ついたときから東京に憧れていて、とにかく東京に出てくることが、夢だった。東京でなにをしたいかはわからない。東京でなにが自分にできるかもわからない。だけどとにかく、東京に出てくることだけが、夢だった。
 何がきっかけだったかはわからない。あの漫画だったような気もするし、あのドラマだったような気もする。とにかく気づいたら「東京」という街に憧れていて、大学を卒業し、東京に出てきた。就職先はとらもんにある大手の広告代理店……のビルの受付係だった。東京に行く、という目的を達成したそのときからわたしの頭の中は、いや頭だけではない、体も心も空っぽだったように思う。目的を失ってしまったのだから。
 毎日見ることになった東京タワーの赤には、すぐに慣れてしまった。たまに違った色にライティングされているのを見上げても、やっぱり東京タワーは赤だよね、と思うだけだった。何度か渡ったことのあるレインボーブリッジも、自分が渡っているときにはこの橋がれいかどうかなんて分からないから、すぐにテンションも上がらなくなった。
 東京に来ることだけが目標だったわたしには具体的ななにか、が軒並みなにもない。思い返せば昔からそんな風に生きてきた気がする。なにもないけど、なんでもそこそこできた。たまにできないこともあるけど、できなくても別によかった。なにかに夢中になることもなかったけど、たまに恋愛や友情にアツくなったりも、人並みにあった。初めての彼氏は中学1年生のとき、サッカー部のイケてる先輩。人気のあった先輩と付き合ったことにより、女の先輩から目をつけられたが上手に擦り寄り、器用にごまをり、うまく切り抜けた。昔から人と接することも嫌いではなく、どちらかというと得意で、そこそこ楽しい思い出もたくさんある。地に足を着けて、生きてはいる。ずっと生きることに対し脱力して、人生を嘆いていることもない。つまり、本当に「普通」。
 華やかな世界に興味はある。きらびやかな街のネオンを背に、底の赤いヒールを履いてさつそうと歩いてみたかった気もする。声をかけられて街角のスナップに載ったのをきっかけに、とんとん拍子に芸能界を進んでみたかった気もする。プロ野球のチームのチアガールになって球団を盛り上げて、そしたら選手になぜだか気に入られて、彼を支えるためにフードマイスターの資格をとってみたかった気もする。
 その気になればなんでもできたかもしれなかった自分の人生を少し振り返る。もういくつか年を越えると訪れる30歳の壁を見つめるわたしは、きっとこのままその気になることもなく死んでいくんだろうなあ。
 そんなちょっぴりセンチメンタルなことを考えていると、あっという間に家についた。駅から徒歩2分。好立地な我が家。赤い屋根の、日本家屋。ここがいまの、わたしのおうち。
「ただいま~」
 玄関の扉をカラカラと横に引く。広めの玄関には個性的な靴が並ぶ。コンバースのハイカットのスニーカー、ヴァンズのスリッポン、何にでも合いそうな黒のパンプス……わたしのもこもこのアグのブーツ。どれもその人の特徴を表していて面白い。
「おかえりなさい」
 障子戸がザッと開いて、柚子が顔を出した。1階の和室をこの家の主(のようなもの)である柚子に割り当てたのは失敗だった。優しい柚子は誰かが帰ってくるたびにこうして障子を開けて迎えてくれる。それはうれしいのだがなんだか申し訳なくもあった。
 なにもないわたしにとって、唯一大切にしていると言っても過言ではないこの家がなくなるかもしれないという話を聞いたのは、ちょうど2週間前のことだった。

(つづく)

作品紹介



おかえり、めだか荘
著者 北原 里英
発売日:2023年08月30日

女優・北原里英の初小説! 30歳目前、夢や友情にもがくルームシェア物語
「めだか荘」でルームシェアをするアラサー女性4人。
恋愛願望が強すぎて上手くいかない遥香、あと少し売れたくて「脱ぐ」か悩む女優の那智、
プロポーズされるも仕事を頑張りたいからと結婚に踏み切れない楓、父親や弟との関係にもどかしさを抱える柚子。
性格や職業がバラバラな4人でも楽しく過ごしていたが、
リニア開通に伴う都市再開発のため、8ヶ月後に退去するよう連絡が来て……。

――私の人生、これでいいのかな?

●著者コメント
子どもの頃から、物語を想像したり妄想したりすることが好きでした。
文章を書くことも好きだったので、作家になりたいな、なんて思っていた時期もありました。
ですがいざ書き始めても、物語を完結させることができない。読書感想文で褒められることもない。
いつのまにかそんな夢を持っていたことも忘れて、わたしはアイドルになり、いまは結婚もいたしました。
そんなわたしの元に突然現れた小説家デビューのお話。
KADOKAWAさんに助けていただきながら、人生で初めて物語を完結させることができました。
特別に教養があったり、詩的センスがピカイチではないわたしに何が書けるだろう、と不安でしたが、
これまで経験してきたことを武器に、そして今のわたしにしか書けないものになったかなと思います。
人生何があるかわかりません。何年越しに忘れられていた小学生の時の夢が叶ってとても嬉しいです。
たくさんの方に手に取っていただけますように。

詳細ページ:https://www.kadokawa.co.jp/product/322111000525/
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