おでん屋ふみ おいしい占いはじめました

あなたの運勢、おでんで占います!『おでん屋ふみ おいしい占いはじめました』第一話試し読み!#2
しらたきを選んだあなた。「複雑に絡み合う――」という暗示が出ています。
「おもしろい女」になり元カレを見返してやろうと、北大塚で深夜のおでん屋を始めた千絵。店の売りとして始めたのは「おでん占い」だった――。
「東京近江寮食堂」「星空病院 キッチン花」シリーズなど、食をモチーフに人生を切り開く男女を描いた作品が人気の渡辺淳子さん。初の角川文庫作品となる本作『おでん屋ふみ おいしい占いはじめました』は、深夜のおでん屋を舞台に、笑って泣ける、おでんのような身も心も温まる話が具だくさんで収録されています。発売直前、刊行を記念して特別に第一話を公開いたします!
『おでん屋ふみ おいしい占いはじめました』第一話試し読み#2
「こんばんは」
道路と垂直に位置したドアを開けると、切れ長の鋭い目に迎えられた。
ボディビルでもやっているのかと疑いたくなるほど胸板の厚い遠藤は、いつものようにひげを蓄えた口元をニコリともさせない。悪い人ではないが、いつも見定めるような視線を向けられるので、ちょっと怖い。五分刈り頭だから、余計に迫力がある。
カウンターには男性客がふたりいた。ひとりはイエロービルのオーナー・
「おーう、千絵ちゃん。お疲れちゃん」
「こんばんは、黄さん。お世話になっております」
赤ら顔で
「どう? 少しは慣れたかい?」
「ええと……まあ、なんとか」
慣れが生じるほど接客していないので、ちょっとごまかす。キャリーバッグを壁に立てかけ、のろのろと白い
「どう? お客さん、入ってる?」
「それがあんまり……」
「あんまりじゃあ、すぐに干上がっちゃうよ。格安にしてあげたとはいえ、OLさんの給料がいくらか知らないけど、住んでるとこの家賃だってあるだろうし。営業努力して稼がないと、おもしろい女にもなれないよ~」
黄は大きな声で千絵を
「なんですか? おもしろい女って」
万札を遠藤に差し出し、三十代くらいの男性がたずねた。初めて見る会社員風だ。
「千絵ちゃんさあ、つまんない女だって男にフラれたらしいのよ。それで夜中におでん屋やって、おもしろい女になって、そいつを見返してやりたいんだと」
黄の説明に、会社員風はじろじろと千絵を見てきた。店舗借りたさに、つい本当の理由を話したことを後悔する。そんなに大声で人の不幸を吹聴しなくても……。
「おもしろくなりたいなら、
「そ、それは無理です。テレビに出て、漫才なんかできません」
「大丈夫、大丈夫。心配しなくても、テレビなんか出してもらえないから。でもおでん屋の
「アタシは心意気うんぬんより、こっちよ。こっち」
遠藤はOKマークにした親指と人差し指で千円札をつまみ、会社員風にひらひらとお釣りを渡した。最初に遠藤のオネエ言葉を聞いたときはギョッとしたが、今ではすっかり慣れてしまった。
おでん屋を始めたいけれど、どこも賃料が高いとこぼした千絵に、二部制を提案したのは和歌である。理解のありそうなマスターがいると、このバーに連れて来てくれたのだ。
時間差とはいえ、自分の店を他人とシェアするなど、決して愉快な話ではないだろう。しかし遠藤は、それもご縁、多様性のひとつだと承諾し、黄に交渉してくれた。ただ、第二部の賃料が入るじゃないかと迫り、第一部の家賃を大幅に値下げさせたらしい。どれほど安くなったのかは知らないけれど。
「でも肝心のお客の入りがよろしくないんだって。これからおでん屋の開店だから、残って食べてあげてよ」
「うーん、
黄の勧誘を断り、会社員風はあっさりと帰って行く。一瞬期待した千絵だったが、無理強いはできない。会釈し、黙ってその背中を見送った。
「ちょっと、あなた。『またよろしく』とかなんとか、お愛想を言っとけば、今度来てくれるかもしれないのに」
グラスを洗いながら、あきれたように遠藤に言われた。そこへ黄がかぶせてくる。
「千絵ちゃん、役所勤めだから、そういう感覚ないんだねえ」
ハッとした。千絵はこれまでそうしたセリフを、客にかけていなかった。そうだ、お愛想。忘れていた。
「あの、南関東中規模病院協会は社団法人で、役所ではないんです」
気まずさと恥ずかしさで、ごまかしが口をつく。
「ほら。その堅苦しいところが、そういう感覚って言われるのよ。社団法人だか異邦人だか知らないけど、どうせ言われたことだけやればいい、役所みたいなもんでしょ」
「まあまあ、遠藤ちゃん。千絵ちゃんもこれからだ、これから」
長年お役所的体質の無風組織にいる自分は、サービス精神が欠如しているらしい。
「営業努力だよ、営業努力」
黄はニコニコと言い、「食いたいけど、この間、胃もたれして寝らんなくなっちゃったからなあ」と、おでん屋オープン初日のことを口実にして、帰って行った。
黄がいなくなるとすぐ、遠藤も帰り支度を始めた。初日にバーの常連客三人と残って食べてくれたこの人も、もう甘えるんじゃないよといった態度である。
「帰るとき、換気扇回しっぱにするの、忘れないで」
遠藤は壁のフックにかけていた黒いライダースジャケットに
営業努力。
いったいどうしたらいいのだろう。チラシをご近所にポスティングして回るか。それとも勇気を振り絞って、割烹着姿で看板片手に駅前に立ってみるか。
SNSで発信とかも苦手だしなあと、誰もいない店内で、考えあぐねていた午前二時過ぎ。出入り口のドアがふっと開いた。
「いいかしら? ひとり」
姿を現したのは、八十がらみと
「あ、はい。どうぞ」
その老婦人は紙袋に入った大きな荷物を四つも抱え、店の中に入って来た。
「いらっしゃいませ。……こんばんは」
小柄でふっくらとした、品のよさそうなご婦人である。化粧っ気はないけれど、黒いロングコートは質がよさそうで、ゆったりとした黒いワンピースも嫌みのないデザインだ。
「すみません、おでんだけなんですけど、大丈夫ですか?」
今の時間は表に掲げられた「BAR REGENBOGEN」の金色看板には「準備中」のマグネットが貼ってある。その横に「おでん屋ふみ」と、縦に墨書きした木の看板を掲げ、営業時間も記しているのだが、よく見ずに、まだバーがやっていると勘違いし、入って来る人がときどきいるのだ。
「もちろん。おでんを期待して入りましたよ。今どき二部制なんて、珍しいわね」
老婦人はそう言い、細い銀縁眼鏡の奥を笑わせた。肩の力がふっと抜ける。言葉のテンポといい、間といい、人に安心感を与えてくれるおばあさんだ。
老婦人は断りを入れ、ひとつだけあるテーブル席、はめ殺し窓のそばに置かれた円いテーブルと二脚の椅子の上に、紙袋を四つとも置いた。そしてカウンター七席の真ん中、Cの字の中央の席に腰かけ、メニューを見て、ビールと大根、卵とゴボ天を注文した。
「あの、すみません。ゴボ天はちょっと時間がかかります」
「はい、わかりました。どうぞごゆっくりやってちょうだい」
先にビールとグラスを供すると、千絵は冷蔵庫からタッパーを取り出し、ゴボ天をおでん
「まあ、おいしそう」
湯気を上げるおでんに、小さな手をふうわりと合わせた姿に、千絵は亡き祖母を思い出した。千絵のおばあちゃんの手はあんなに白くもなく、立派な
「よかったら、あなたも付き合ってくれないかしら?」
老婦人は自分のグラスにビールを注ぎ終わると、千絵にも勧めた。
「あ、いえ。そんな、仕事中なのに……。いいんですか?」
「もちろん。客が勧めるときは、一緒に楽しく飲んでほしいときよ」
そうか。こういうとき、素直に受け取るのもサービスのうちか。
千絵はグラスをひとつ、棚から取り出した。ちなみにグラスや食器も、バーのものとは別の棚に置いてある。作りつけの棚が妙に大きいこともあるが、遠藤は
「乾杯」
小さくグラスを合わせると、老婦人は瞬く間に黄金色の液体を半分以上減らし、長い息を漏らした。よっぽどのどが渇いていたとみえる。
「ああ、おいしい」
「ほんとですね」
かくいう千絵も、ひと息で半分ほど飲んでしまった。この十日間(日曜定休だから実際は十一日が経ったわけだが)、平日夕方五時に日中の仕事を終えると、四十分かけて帰宅。八時から十時まで仮眠を取り、十時半過ぎに出勤。朝五時に店を終えると、六時十分にいったん帰宅。そこからおでんを仕こみ、身支度して朝八時に家を出るという生活だった。土日は寝だめ、昨日も
「私、今日お仕事を引退したの」
のどを鳴らしてビールを飲む千絵に、老婦人は打ち明けるように言った。丁寧に
「そうなんですか。大変お疲れさまでした」
「どうもありがとう」
「毎日こんな時間まで、お仕事されてたんですか?」
ゆったりと受け応えしている自分に気づく。ビールが緊張をほぐしてくれたか、それとも老婦人の持つ雰囲気に取りこまれたのか。
「いつもは十時ごろ終わるんだけど、最後の日だったから、待ってくれたお客さまを、残らずお相手しちゃったの」
この人の職業はなんだろう。飲み屋のママっぽくもないし、会社社長が顧客ひとりひとりに対応して、こんな時間になったというのも無理がある。
「こんなおばあちゃんが夜遅くまで、なにしてたんだろうって思ってる?」
「あ、いえ、そういうわけじゃないんですけど……すみません」
ぶしつけな目を向けてしまったようだ。千絵はドギマギしながら、その辺を片づけ出した。客のことを
「ふふふ。大丈夫よ。おしえてあげましょうか」
「…………」
「実はね、私は占い師なの」
「えっ」
思わず声が裏返った。占い師なんて、普段の生活で初めて会ったかもしれない。
「今日が最後と知った方々が、予約外で大勢来てくれたの。五分でいいから見てほしいなんて人もいて。だから急きょ、待てる人はすべて占うことにしたのよ。小さなマンションの四階から一階まで行列ができちゃって。プレゼントもこんなにもらっちゃったし」
この
「私、実は先週、このお店を始めたばっかりなんです」
「あらまあ、そうだったの」
つい身を乗り出した千絵に、井波はやさしく応じてくれた。
「でも、ちっともお客さんが来てくれないんです。やっぱりなんの修業もせずに飲食店を始めるのは無謀だったかなって、考えてたところなんです」
「修業ねえ。おでんはとてもいいお味だから、料理の見習いはもう必要ない気がするけれど。お店の経営に関しては、それなりの方に聞いた方がいいでしょうけれどね」
井波はグラスのビールを飲み干した。キリがないので酌はしないと決めていた千絵だが、ついおもねるようにビール瓶を手にし、井波のグラスに注いでしまう。
「やっぱり真夜中のおでん屋は難しいのかなって、思ってたところなんです」
「ふふふ。それは覚悟の上だったんでしょう? でもどうして真夜中なの?」
「昼間は普通に働いてるんです。辞める勇気はちょっとなくて」
「あら、フルタイムの正規雇用なの? ひとり暮らしでも、生活には困らないでしょうに。どうしてお店をやろうと思ったの?」
初対面で、しかも客にしゃべることなのか。しかし千絵はすがるような思いで、店を始めた理由を正直に話してしまった。
老占い師は両手を祈るように軽く組み、ときに軽く、ときに深くうなずき、「それで?」「まあ」などとうまく
「あ、ゴボ天。忘れてました。すみません、つい夢中になって……」
平謝りで千絵は新しい器にゴボ天を入れ、井波の前に差し出した。老婦人は「夕飯を食べそこなった」と、追加注文のはんぺんとがんもどき、ちくわぶも平らげると、おもむろに口を開いた。
(続く)
作品紹介
おでん屋ふみ おいしい占いはじめました
著者 渡辺 淳子
定価: 682円(本体620円+税)
しらたきを選んだあなた。「複雑に絡み合う――」という暗示が出ています。
「おもしろい女」になり元カレを見返してやろうと、北大塚で深夜のおでん屋を始めた千絵。しかし客足はイマイチ。ひょんなことから「おでん占い」を売りにして評判になったが、ワケアリ客も集まった! オネエなバーマスター、呑んべのビルオーナー、美容室の元気な母娘――各フロアにも癖のある面々が勢揃い。女将とOLの二足のわらじはいったいどうなる!? 大根、卵、しらたき……アツアツおでんを準備して、今夜も開店!
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