おでん屋ふみ おいしい占いはじめました

「お客さまが選ばれたのは、大根ですね?」おでんだねで占い!?『おでん屋ふみ おいしい占いはじめました』第一話試し読み!#3
しらたきを選んだあなた。「複雑に絡み合う――」という暗示が出ています。
「おもしろい女」になり元カレを見返してやろうと、北大塚で深夜のおでん屋を始めた千絵。店の売りとして始めたのは「おでん占い」だった――。
「東京近江寮食堂」「星空病院 キッチン花」シリーズなど、食をモチーフに人生を切り開く男女を描いた作品が人気の渡辺淳子さん。初の角川文庫作品となる本作『おでん屋ふみ おいしい占いはじめました』は、深夜のおでん屋を舞台に、笑って泣ける、おでんのような身も心も温まる話が具だくさんで収録されています。発売直前、刊行を記念して特別に第一話を公開いたします!
『おでん屋ふみ おいしい占いはじめました』第一話試し読み#3
「よかったら、おでん屋の将来を占ってあげましょうか?」
「え? あ、いいえ。いいです、いいです。お疲れなのに、そんなこと」
「いいのよ、遠慮しなくて。ここで会ったのも、なにかのご縁」
どちらかといえば、千絵は信心深い方ではない。思春期には一過性で星占いの本を読んだけれど、今では朝テレビで観た星占いも、家を出るころには忘れている。
「もし失敗するって結果が出たら、
とはいえ、興味がないわけではない。人気占い師に見てもらうのも、ひとつの手かも。四つの紙袋に目をやり
「あなた、雑誌の星占い、読むことあるでしょう?」
「はい、読みます」
「なぜ読むの?」
「なぜ? なぜって……自分の運勢を知りたいから?」
あらためて問われると困ってしまう。そんなの考えたことがない。元より雑誌の星占いがあたるとは思っていない。しかし暇つぶしだと、占い師本人に応えるのは気が引ける。
「どうして自分の運勢を知りたいの?」
「え……だって、未来に起こることがわかるんだったら、知りたいものじゃないんですか。人間って」
そう。いずれ別れると知っていれば、最初から弘孝と付き合わなかったのに。
「どうして人間は、未来を知りたいのかしら?」
「どうしてって……先がわからないって、基本不安だからじゃないですか。先のことはわからないのはあたり前で、みんなそうやって生きてるんですけど……」
「先が見えないのは不安よね。そんなとき、いいことが起こるとわかったら?」
「それを楽しみに生きていけます」
禅問答のような質問に、千絵は真面目に応える。なにが聞けるか、興味があった。
「もし、悪いことが書かれてたらどう思う?」
「へこみます」
「でも、悪いことを避けるための手立ても、書かれてるでしょ?」
「そうですね。今日はおとなしくするのが吉とか、赤いものを身につけろとか」
「そうでしょう。占いはね、性格をあてられて感心したり、未来の予測に一喜一憂するだけじゃなくて、幸運を招く意味もあるの。実は運気をよくするために、幸せになるために、みんな占いを使ってるのよ」
「占いを使ってる……」
意外な視点だった。占いを、どこか神のお告げのようにとらえていた。映画やドラマなどで描かれる、
「神のお告げもまちがってないのよ。太古の昔から、神さまの意思を聞くために占いはあったんですもの。だから政治判断も占いで行われた。占いとまじないは、密接に関係してるからね。
なるほど、そういう意味だったのか。
「どう? あなたもひとつ、占いを使ってみるというのは」
せっかくここまで言ってくれているのだから……。
ベテラン占い師のやさしいまなざしも手伝い、千絵はおずおずと右手を差し出した。
「骨格がしっかりしてる。でもやわらかい手ね」
井波は手相と生年月日を組み合わせて占うらしい。やや節くれだった指や手に触れ、千絵の手相を丹念に見ている。
乾いた指で手のひらをなぞられるのは新鮮な感触だ。ついうっとりしていると、井波はバッグから取り出したノートにペンを走らせ、つっと顔をあげて告げた。
「お店を始めたのは正解だったわね。四十歳前後は新しいことを開始するのにちょうどいい時期のようよ。あら、親には頼らない――頼る気がない――。自立の第一歩という意味もあったのかしら」
「……あの、店を始めたことは、母には内緒にしてるんです」
ドキリとしつつも、冷静を装う。夜の店を始めたことを母に知られたら、なんと言われるか。十年前に始めたひとり暮らしでさえ、今でもチクリと言われるのに。
「お母さまとは、なんでも言い合える関係ではないのね。あなた、お父さまは?」
「父は七年前に亡くなりました」
「それはお気の毒に。お父さまとの関係は、悪くない――。亡くなられたときは、さぞ悲しかったでしょうね」
無言でうなずいた。口数は少なく、母の小言を表立って
「さて、肝心の店の方ね。――食べもの屋さんは吉。運気も悪くない。お店は少しずついい方向に向かいそうよ」
「本当ですか?」
「ええ。でもちょっと、工夫が必要のようね」
やっぱり。
「どんな工夫をしたらいいんでしょう?」
「そうね――そんなに大きなことじゃなさそうね。古くて、でも新しい――。挑戦。運命。観察――。お客さまとじっくりお話しすることもよさそうね。おでんに加えてもうひとつ、
井波はいかにも占い師らしく告げた。
「そうすれば、あなたの人生が大きく変わりそう。あなたが望む『おもしろい女』にもなれそうね。お母さまとの間も修復できるかもしれない。そして――」
そこで井波は言葉を切り、上目遣いで千絵を見た。眼鏡が少しずれているので、本当におばあちゃんに見つめられているようだ。
「人生の
「ほんとですか?」
また声が裏返ってしまった。千絵は顔を赤らめる。けれどそういう期待はやはりある。母とのことはあまり考えたくないけれど。
井波は
「あなた、とてもいいお顔になったわね」
何度もうなずく千絵に、井波は静かに告げた。
「え、顔? 私、そんなに怖い顔してましたか?」
「最初お店に入ったとき、こわばってて、肩に力が入ってる感じだった。人を怖がっているような。でも今は表情がやわらかい。リラックスしてる。違う?」
「……すみません。お客さんを見ると、つい緊張しちゃうんです。失敗しないように、変なことしないようにと思ってしまって」
本音を言えば、警戒していた。この人はどんな人だろう。やや人見知りな千絵は、いちいち身構えてしまう。ボロがでないよう、積極的に話しかけることもしなかった。
「お客の方も初めての店に入るときは、大なり小なり緊張しているものよ。だからお互いさまだと思ってみたら?」
「お客さんも緊張する……」
「だってそうでしょ。こんな真夜中に相手のテリトリーに入るんですもの。しかもその人の作った料理を食べなきゃいけないんだし」
確かにそうだ。自分も初めての店に入ったときは、誰かと一緒でも落ち着くのに時間がかかる。ましてやひとり、しかも真夜中ならば、好奇心や期待より、不安の方が勝るだろう。
「自分の
目からうろこが落ちていくようだった。黄や遠藤にハッパをかけられ、儲もうけは二の次のはずが、やはり目先のことに気が行き、本来の目的を見失っていた。
「そうですね。……ほんと、そうですね。ありがとうございます。なんだか私、元気をもらった気がします。占いだけじゃなくって、励ましてもいただいて」
「いいのよ。占いなんてしょせん、人生相談みたいなものだから」
井波はそう言い、スジかまぼことしらたきを注文した。お年の割には
「手相とか生年月日占いとか、どこで勉強されたんですか?」
湯気の上がる皿を井波の前に置いたとき、千絵の頭にふと疑問がわいた。
「私は独学。趣味で占いの本を読んでたんだけど、ちょっと友だちにやってあげたら喜ばれて味を占めたの。それからいろんな人を占ってるうちに、仕事になったというわけ」
井波はあっさりと応え、スジかまぼこをかじった。「このコリコリがおいしいのよね」と、満足げな笑みを浮かべてくれている。やはり自分の料理を、喜んで食べている人を見るのはうれしい。弘孝も千絵のおでんを、よくほめてくれたものだった。
「このおでんは、私のおばあちゃんの味なんです」
料理上手だった千絵の祖母は京都の生まれで、
「関西風なのね。なのに、ほんのりした甘みがおいしいわ」
「うちのおでんだしは、カツオ節と昆布に、干し
「まあ、
井波はだしを木の
「占い師さんって、偉い先生について勉強された人ばかりだと思ってました」
「中にはそういう人もいるけれど、私みたいな者も結構多いんじゃないかしら」
井波は追加注文をさっさと片づけると、また語り始めた。
「占いのウラの意味はね、人間の裏、つまり心の中のこと。表面に現れるオモテでなく、人は自分のことを、意外と知らないもの。その人が心の奥底の本当の気持ちに気づけるよう、依頼主の話を聞くことは、占い師の大事な仕事なのよ」
「ウラは心の中……」
「だから自然と、人生相談になっちゃうわけ」
占いを意味する「
「庶民の生活に浸透してきた占いは、娯楽性が強くなってきたのね。人間て、なんでも楽しんじゃうから。日本には
「通りすがりの人の会話で? ずいぶん適当ですね」
「だから、はずれもたくさんあったんでしょうね。あたる話を聞くために、
「柘植の?って、やっぱり霊験あらたかなんですか?」
「神さまのお
「シャレですか!」
「うふふ。そんな偶然性を楽しむのも占いなの。おみくじなんか、まさにそれ。水晶占いも、占い師の主観に大きく左右されるでしょうし」
千絵は思わず苦笑する。道理で娯楽と言われるわけだ。さっきは遠慮しないで、暇つぶしと、正直に言えばよかった。
「もちろん経験則から体系化された、四柱推命や西洋占星術、人相、手相、夢占い、動物占いなどがあるのはご存じの通り。ほかにもタロットカードやルーン、
「みんな、不安だったんですね」
「そして幸せを願ったからこそ、たくさんの占いが生まれたんでしょうね。心の平安は幸せの第一歩ですもの。人生って不公平なことが多いでしょう? 災害や事故に何度も見舞われる人もいれば、遭わない人もいる。全員が疫病で命を落とす一家もあれば、まったく無事な家もある。そんな理不尽な出来事を乗り越えるのにも、占いはひと役買ったんでしょう。『運命だった』『あの丘の木が原因だ』と言われれば、納得しやすいもの」
井波はいったんビールで口を湿らせた。
「だから私は、お客さまひとりひとりが幸せになることを願って占ってきた。現状から一歩でも前に進めるよう、手助けをするつもりでね。悪い結果がでれば、おまじないもしてあげた。あたらないこともしょっちゅうだったけど、一度も文句を言われたことはないのよ」
「あてるばかりが、占いじゃないってことですね」
「そう。要は
「え、それって、つまり……」
「あたるも
自らの頭と口元を人差し指で小突いた占い師に、笑ってしまった。こんなユーモアセンスも持ち合わせているから、この人は人気占い師でいられたのかもしれない。
「でも私には、占いなんて無理です」
「そんなことないわよ。今はインターネット? みんなこうして、その場で占ってもらってるでしょ。あそこの占い師さんたちは、昨日まで素人だった人たちばかりだって話よ」
スマホを人差し指で操作するまねをしながら、井波は目配せしてきた。千絵はやったことがないけれど、確かにネットには星の数ほど占いサイトが存在する。
「人生なんて、しょせん死ぬまでの暇つぶし。どんなことも楽しまなきゃ損々」
人生の大先輩、そして亡き祖母に似た人の言葉は妙に
噓も方便。人を幸せにするための噓なら、罪はない。
「私ったら、すっかり手の内明かしちゃって。ちょっと酔っぱらったかしら」
いたずらっぽく肩をすくめた老婦人に、千絵は味方を得たような気がした。おばあちゃんが天国から舞い降りて来て、千絵を励ましてくれたかのようだった。
「あら、いいお顔。その心からの笑顔を忘れないでね」
「はい、忘れないでがんばります」
なんだか、全身に力がみなぎってきた。
「さてと。帰るといたしましょう。これからもよかったら、占いを使ってちょうだいね。はいこれ、私の連絡先」
井波はバッグから名刺を取り出すと、千絵に手渡してきた。直後「あら、私、引退したんだった」と、慌てて取り返そうとする。
「これ、ください。ご迷惑はおかけしません。お願いします」
千絵は名刺を返さなかった。できれば、いや、絶対手元に持っておきたい。
「仕方ないわね。では今日の記念にさしあげるといたしましょう」
ちょっと困り顔になった占い師だったが、最後はやさしくうなずき、千絵の気持ちをわかってくれたようだった。
(続く)
作品紹介
おでん屋ふみ おいしい占いはじめました
著者 渡辺 淳子
定価: 682円(本体620円+税)
しらたきを選んだあなた。「複雑に絡み合う――」という暗示が出ています。
「おもしろい女」になり元カレを見返してやろうと、北大塚で深夜のおでん屋を始めた千絵。しかし客足はイマイチ。ひょんなことから「おでん占い」を売りにして評判になったが、ワケアリ客も集まった! オネエなバーマスター、呑んべのビルオーナー、美容室の元気な母娘――各フロアにも癖のある面々が勢揃い。女将とOLの二足のわらじはいったいどうなる!? 大根、卵、しらたき……アツアツおでんを準備して、今夜も開店!
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