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試し読み

メイトロン龍国の子どもは、僕とだけ言葉をかわすことができた。【日向理恵子『ネバーブルーの伝説』試し読み#11】

少年たちは旅に出る。
消えることのない幻のインクで、
世界の真実を書き残すために。

「火狩りの王」シリーズの日向理恵子が綴る、ペンとインクの冒険ファンタジー『ネバーブルーの伝説』。
本書は写本士見習いの少年が任務で初めて他国を訪れ、世界の秘密へと近づいていく物語。圧倒的なスケールと文学的なモチーフで構築された冒険ファンタジーの試し読みを大ボリュームで公開いたします。
胸が高鳴る冒険の世界へ――まずは試し読みからお楽しみください!



日向理恵子『ネバーブルーの伝説』試し読み#11

 ペンを使わずに、僕が問う。同じことを、はじめにこの声で問われたのだった。
〈身分はない〉
 ごく短い返答のあと、かすかに視線が揺らいだ気がした。
〈わたしがやったんじゃない……殺してなんかいない。目が覚めるはずじゃなかった。それなのに目が覚めて……そうしたら、王都が〉
「……あなた、メイトロン龍国の子どもなの? 何があったのか話せる?」
 ニノホが子どもに近づいて、灯りをかざしながら小さな体の前に膝をついた。
 僕は驚いて、ほかのみんなを見回した。この子は、いま口をきいているじゃないか。……だけど、驚いた顔をしているのは僕だけだった。ホリシイもユキタムも、モダもノラユも、息を詰めてニノホの背中を注視している。子どもからの返事を待っている。
 わけがわからなかった。どうしてだ? いま、この子は自分から話したのに。
 雨雲色の目が、僕のことを見ていた。追い込まれた獣も同然の状況なのに、その子は動じずに立っていた。黒い影が迫ってきたときとは、雰囲気がちがった。
〈……みんなには、聞こえてないの?〉
 そうだ。僕がすらすらとしやべっているのに、誰も驚いていない。僕の声も、みんなには聞こえていないということなんだろうか。
〈イオ〉
 声が響く。
〈わたしはあそこで生まれた。メイトロン王室で〉
〈イオ?〉
 どうやらそれが、この子の名前だった。この子は、ノラユの言うとおり、人間とは別種の生き物なんだろうか。だからあそこで生き延びていたのか。
〈死ななければならなかった。死ぬ手前だった。まだ仮死状態のうちに目が覚めた。イオは務めをはたせなかった〉
 何を言っているんだ、この子は? 自分の立っている世界を見失わないよう、僕は手を握り締める。てのひらが汗ばんでいて、五本の指は頼りなく滑った。
〈目が覚めたら、みんな死んでしまっていた──お前たちは、ここへ何をしに来たんだ? 王都は、死んでしまったのに〉
 相手が、イオが尋ねてきた。みんなにはやっぱり、その声が聞こえていないみたいだ。
「どうした、コボル?」
 僕がしきりに視線を巡らせるので、ホリシイがまゆをひそめた。
 答えようとするのに、僕の喉は、いつも通り声を出さない。──イオとしか、会話が成り立っていないんだ。
 イオにじっと見つめられながら、僕はもう一度、大急ぎでノートにペンを走らせた。
『この子は喋ってるよ。イオという名前だって。』
 ところが、ホリシイはますます眉を歪めるばかりだった。僕がおかしくなったと思ったのかもしれない。実際、自分がまともだなんて、何を根拠に信じたらいいのかわからなかった。
 それでも仲間に、この状況をどうにか説明しようとした。
『この子が話していることがわかる。僕からも返事が』
 つづく文字を、まともに読んでくれる者はいなかった。
「ノラユ、龍ってどういうことだ? こういう子どもを見たことがあるのか」
 ユキタムがノラユに問いかける。僕は、それ以上ペンを動かすことをあきらめた。
 うつむいて頼りない呼吸をしているノラユが、おそるおそる、顔を上げる。ためらうように視線をさまよわせ、苦しげに息を吸う。途端にその目から、涙がこぼれた。
「ア……アスユリが、言ってたの。メイトロンの王城に、探しているものがあるって。そのときに、聞かせてくれた。メイトロン王室では、龍を飼っているんだって。アスタリットやほかの国には伝わってこないけど、ほんとうに紅い鱗の龍がいるんだ、って」
「探しているもの?」
 ノラユが、こくりとうなずく。
「……インク。特別なインクがあるはずだって」
 特別なインク? 僕たちが使っていいインクは、各流派ごとに厳格に定められている。それ以外のインクが、どうして必要だったんだ? 異国のメイトロンで、なぜそんなものを探そうとしたんだ。
 同じブルー派のユキタムも知らなかったらしく、げんそうに眉をひそめている。
「どうして、アスユリがそんなことを」
 ノラユは祈るように両手を握り合わせている。そうしていないと、震えが止まらないみたいだ。
「見つけたって、言ってた。館長室で……確実になるまで、ほかの子には言うなって」
 そのか細い声で、僕の脳裏に、真夜中近い図書館の光景がよみがえる。館長室の扉の前の、館長と三人の老師たち。館長室の中から目を光らせていた、飛ばないわし……
 それじゃあ、あのとき館長室に忍び込んだのは、アスユリだったっていうのか? アスユリがそんなことをするなんて、まさか。
「なんだよ、特別なインクって?」
 ユキタムが言葉を聞き逃すまいと正面にかがみ込むと、ノラユが肩を震わせた。
「ほ、ほんとうなの。隠してあったの。館長室に……」
「アスユリが、なんで館長からそんなことを? ほかの者は何も聞かされていないのに」
 ニノホが厳しく眉を寄せる。
〈それを見つけようとしていて、黒犬のわなに触れたんだ〉
 イオが言った。イオの言葉に、みんなは反応しない。僕はノートを自分の腹に抱え込み、イオの言うことをそのまま文字にした。
〈操られて、あんなことになった。わたしを殺しに来た〉
〈殺すだって? どうして?〉
 それに対する答えは、それまでよりもこわばった調子で返された。
〈わたしがメイトロン王室の、第一王女だったから〉
 静電気に似た驚きが、体のしんをつらぬいていった。イオの目を見る。薄い唇は一文字に結ばれ、じりは張りつめていた。とてもじゃないけど、冗談を言っている顔には見えなかった。
 僕は写本士として育ってきて、文字を書く以外に他者へ言葉を伝える方法を知らない。手を使って話す方法があるらしいけれど、僕はそれを習得しなかった。図書館で写本士として生きている限り、文字を書いて伝達する方がずっと効率的だった。だからこんな状況にもかかわらず、書くことしかできない。どういうわけかみんなには聞こえていないらしいイオの言葉を、せめて記録しておこうと思った。
 と、ホリシイがノートをのぞき込んで、ささやき声を発した。
「……おい、やめとけよ。いまはそんな場合じゃないだろ」
 ホリシイが、いささか強く肩をたたく。僕が作り話を書いていると思ってるんだ。いつも書いている物語みたいに。
 頭の中心が、ぐらりと揺れた気がした。
 僕は唇を嚙んで、イオを、そしてほかのみんなを見回した。イオは深い沼のような瞳を小揺るぎもさせずに、僕の戸惑いを飲み込んでゆく。
 ページをみんなの方へ向けた。この動作をするのは、いつも伝えたいことがあるときだ。みんなもそれを知っていて、僕の書いた文字に視線を向けた。ほとんど反射的に、そうしてくれた。
 だけどつぎの瞬間、ノートが手から離れた。モルタが僕の手からひったくり、床へ投げたのだ。
「お前、ふざけるのもいい加減にしろよ」
 イオが怯えて、僕の後ろへ身を隠した。モルタが腕を突き出すので、こぶしが飛んでくるのを覚悟して僕は息をつめる。が、わななくその手は、イオを指さしているのだった。
「そいつ、やっぱり信用できない。外へつまみ出せよ」
「よせって、そういうことは」
 ユキタムがモルタの前へ体を移動させた。
「やめようぜ。ここでめてもどうしようもない。落ち着いて、生き延びる方法を考えないと。とにかく、この子に害はなさそうじゃないか。つまみ出すことなんてない……これ以上死者を増やしてどうするんだよ」
 いつもひようひようとしているユキタムの語尾が震えた。モルタは歯嚙みし、顔をしかめて視線をそらした。ホリシイがノートを拾ってくれたけど、数ページが衝撃でしわくしゃになっていた。
 また雨音が大きくなる。全員が黙り込み、それでますます雨の音がガレージ内に充満した。いまこの国には、僕らのほかに誰もいないんじゃないか。そんな錯覚が、頭の中を支配しそうになる。
 ノラユが、せきをした。立てつづけに。体が冷えて、風邪を引いたのかもしれない。
「基地がどうなってるか、見てこなくちゃ」
 居座りかけた沈黙を破るように、ニノホが髪の先を後ろへはらった。
「単独で行く。その方が早く行ってこられる。基地までたどり着ければ、アスタリットへ救助を要請することもできる」
 ユキタムが慌てて、ニノホの方へ身を乗り出した。
「心配なのはわかるけど、先走るなよ。見ただろ、飛空艇が消えてたんだ」
 言葉の外に、基地にも生存者がいる見込みはないという失望がにじんでいる。
「軍の部隊にこれだけの被害が出たんだ、かならず増援部隊が送り込まれる。それまで待とう」
 しかし、それに食いついたのはモルタだ。
「増援? いつまで待つっていうんだよ? あのおかしな黒いのに追いかけられたんだぞ、こっちは。おまけに、得体のしれない生き物が同じ空間にいるんだ。救助が来るまでに全滅するに決まってる」
「ほかにもまだいるのかな、あんなやつが……」
 ずっと黙っていたモダがつぶやくと、みんな口をつぐんだ。
「……とにかく、いま動くのは危険だ。ここで夜を明かそう。見習いたち、生かしてやらなきゃならないよ」
 ユキタムがニノホをなだめた。ノラユがまた立てつづけにき込む。
「ノラユ?」
 ホリシイが背中をさすろうとする。ノラユの咳は治まらず、背中を震わせて苦しみはじめた。
 はっと、ニノホが息をむ。口を押さえたニノホの顔から血の気が引くのがわかった。
「……塵禍を吸ったのかもしれない」
 床に崩れ込むノラユに息のしやすい姿勢を取らせようと、ニノホとホリシイが介抱する。
 イオは同じ場所にじっと立って、それを注意深く見つめていた。マントの裾からはみ出した紅い尾が、ここじゃないどこかの時を計る振り子のように、ごくゆっくりと揺れていた。

(つづく)

作品紹介



ネバーブルーの伝説
著者 日向 理恵子
発売日:2023年07月21日

「火狩りの王」シリーズの著者が綴る、ペンとインクの冒険ファンタジー!
「書物に仕えることが僕たちの仕事だ。書き残そう。二度とまちがえないように」

アスタリット星国で写本士見習いとして働く15歳のコボル。
写本士の仕事は、数年に一度起きる災害“塵禍”や戦争で滅びた他国から本を救出して正確に書き写し、文化をつないでいくことだ。
コボルは塵禍に見舞われた隣国・メイトロン龍国へ、仲間たちと初の任務に赴く。
龍の伝説が残るメイトロン龍国を調査するうち、アスタリット星国が隠していた真実を知ってしまったコボルたちは、孤独な戦いへと身を投じることになるが――。

圧倒的なスケールと文学的モチーフで構築される
胸が高鳴る冒険ファンタジー、開幕!

詳細ページ:https://www.kadokawa.co.jp/product/322212001339/
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