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試し読み

あたたかい涙が流れるファンタジー小説の名手、村山早紀さんの新作から、第1話「遠い約束」を試し読み!#4

この世界の夜と眠りを守るのは、まるで天使のような、魔女たちでした――。
人気作家・村山早紀さんの待望の新作小説『魔女たちは眠りを守る』が4月16日に発売!
今回特別に、全7話の中から、第1話「遠い約束」をお届けします。
懸命に生きて、死んでゆくひとの子と、長い時を生きる魔女たちの出会いと別れの物語、ぜひお楽しみください。

>>前話を読む

 ◆ ◆ ◆

「こんな話、ほんとに信じてくれるの?」
 半ばあきれたように笑いながら、あの日、彼女はいったのだ。冗談めかした口調で。
 図書館の、たくさんの物語の本の前で。棚一杯に並んだ本の背表紙のその前で。物語の本のあわいから生まれてきたひとのように。
「この世界には、いまも魔女たちが隠れて暮らしているの。ええ、世界中にいるのよ。ひっそりと人間の街にいる。人間たちの間に紛れてね。──でもわたしたちは年をとるのがゆっくりだから、ずっと同じ街にいると怪しまれてしまう。だからね、いろんな街や国を渡り歩いて暮らしているの。わたしもそんな風に旅していく途中で、この海辺の街に立ち寄ったの。たまたまね。次に行こうと思っていた街は遠くて、少しだけ旅に疲れていたから」
(すごい)
 そのとき窓ガラスに映った自分の目がきらきらしていて、少し笑えたのを、叶絵は覚えている。
(ほんとうに、物語の世界みたい)
 コミックのキャラクターのように、両手をぎゅっと握りしめて、胸躍らせていたのだ。
 同じ学校の同じクラスに、人知れず世界をさすらっていた魔女の子が転校してきていたなんて。その子と仲良くお話していたなんて。本の話をして、本を薦めていたなんて。
 日常のすぐそばに魔女がいた、そんな素敵に幻想的で、ドラマチックなことが、この世に存在していたなんて。
(ああもう死んでもいい)
 そんなことまで、あのときの自分が思ったことを、叶絵は覚えている。
 こんなことあるわけがない、絶対にこの子の作り話だと思いながらも、信じたかった。信じ込もうとしていた。

 その赤毛の少女、七竈七瀬は、クラスの誰にも打ち解けようとしない、無口な転校生だった。かといって、人間が嫌いなようでもない。話しかけると、少しだけなら笑ってもくれる。明るい茶色の瞳はいつも優しい。けれどどこかみんなとの間に見えない壁があって、そこを越えずにいるような不思議な雰囲気があった。
 普通なら、叶絵は彼女に関わろうとはしなかったかも知れない。叶絵自身、ひとの輪の中に積極的に入ろうとする方ではなかったから。
 けれど、ある放課後、図書館の窓からふと見かけ、見下ろした、ひとりきりでいるときの彼女の表情がとても寂しそうで、泣き出してしまいそうに見えたので、放っておけなくなってしまった。七瀬はひとりぼっちで桜の木に寄り添い、散る花びらを見つめていたのだ。
 その次の日からだった。押しかけるように彼女に話しかけ、昼休みや放課後には図書館に誘い、いろんな本を半ば押しつけるようにして、この本面白いから、と薦めた。だって他に叶絵にできることはなかった。叶絵には本しか差し出すものがなかったのだ。
 転校生は最初のうち戸惑っていたようだけれど、少しずつ、叶絵に打ち解けてきて、やがて叶絵が薦めた本を読んでくれるようになった。面白い、といってくれるようになった。
 転校生は魔女のお話が好きだった。
 学校の図書館には、外国や日本の古い魔女や魔法使いの物語がたくさんあって、それを叶絵は端から薦め、彼女は本たちを手にしてくれた。
 子どもが読むような本ばかりだったけれど、彼女はどれも読んだことがないといった。
 これまで、物語を手にする機会がなかったと。
「時間はたくさんあったんだけど、本は、いつでも読めると思っていたから、かえって読まなかったの。どこの国の、いつの時代の本も。物語ってこんなに面白いものだったのね」
 彼女は本が苦手なわけではなかったし、むしろ活字をすらすらと読んだ。日本語だけではなく、図書館にあるいろんな国の言葉をたやすく読みこなすひとだった。英語が苦手な叶絵は、少しだけ恥ずかしかったものだ。
「面白くて、ときどき悲しくて、でもとても素敵。一冊一冊の中に、世界があるのね」
 そういって、転校生は頰を染め、笑った。
 ああ、この子のこんな笑顔が見たかったんだ、と叶絵は思ったものだ。
 自分の選んだ本の力で、この子が笑ったのだと思うと、誇らしくて胸を張りたくもなった。
 本は素晴らしい。すべては物語の力だ。でもほんの少しはわたしも得意に思っていいんじゃないかな、と思った。
 誇れることも、自慢できることも何ひとつない自分だけれど、この寂しげな転校生を笑わせることができたんだ、と。

 そんな日々が続いたある放課後、黄昏時の闇と光が満ちる空に桜の花びらが流れる春の日に、あの物語のような言葉を、彼女は話してくれたのだ。さりげなく、けれどこの世にただひとり、叶絵にだけ秘密を教えてくれる、そんなどこかおごそかな口調で。甘く静かな声で。
「だからね、わたしはひとりでまた旅していくの」
「ひとりで? 家族は?」
 彼女は首を横に振った。微笑んでいても、少しだけ、寂しそうに。
「魔女はひとりで旅をして、ひとりで生きていくものだから」
 言葉にはしなくても、家族はいないのだと知れた。死んでしまったのか生き別れたのか、とにかく彼女はもう、世界にひとりきりなのだ。
 赤い髪が流れる背後の窓の外を、風に吹かれた桜の花びらがたくさん流れていった。
 ほんとうは自分はあなたよりも年上なのだ、ずいぶん長く生きているのだと付け加えるようにいった言葉を、疑いもせずほんとうなのだと思ったのはどうしてだったろう。
「わたしはゆっくりとしか年をとらない。いつかきっと平田さんは、わたしの見た目の年齢を追い抜いて、おとなになっていってしまうのよ。
 こんな話、信じられる?」
 まあいま話したことは、みんな冗談だと思ってくれてもいいんだけど、彼女はそう笑ったけれど、叶絵は、深くうなずいた。
 目の前にいる、同級生のはずの少女の姿が、いつか自分より幼い少女に見える日が来る、そんなの想像できないと、それだけ思いながらも。
 大好きな図書館の古い本の匂いに包まれていたからなのか、ふたりきりで話していた、夕暮れの秘密めいた空気のせいなのか。
 あるいは。学校にいるはずがないのに、ふいに彼女の足下に魔法のように現れた、彼女の愛猫の黒猫の、使い魔めいたその金色の瞳のせいなのか。
「連れていって欲しいな」
 気がつくと、叶絵は彼女にいっていた。
「わたしもここではないどこかに行きたい。いつもずっと思っていたの」
 その言葉を聞いた彼女の表情が、わずかに曇ったのを覚えている。
 その頃、叶絵はいちばん家族とそりが合わない時期で、小さなことで何かとけんを繰り返したり、口をきかなくなったり、家をふらりと飛び出したりしていたのだ。
 いま振り返ると、叶絵の方にも悪いところは多々あった。けれど、あの頃の叶絵は自分を守るために、ハリネズミのように全身の針を立てて怒り狂い、そうすることでかえって自分が傷ついて、毎日のように心に血を流していたのだ。
 転校生はゆっくりと首を横に振った。
 優しい表情で、彼女は笑った。
「あなたは連れていかない。いったでしょう? 魔女はひとりで生きていくものだから」
「そんなの寂しいよ」
 叶絵はぽつりと呟いた。「七竈さんがいなくなったら、わたし、ひとりになっちゃう」
 前触れもなく、涙がこぼれた。
 わずかしか付き合いがなかったはずの転校生なのに、この子がいなくなると思うと、凍るように心の奥が冷えた。
「帰ってきて」
 と、だから叶絵は彼女に願ったのだ。
 この学校から、高校の図書館からいなくなってもいい、ただいつかもういちど、この街に帰ってきて欲しい、と。

「またきっとこの街に帰ってきて欲しいの。だってわたしはあなたの友達だから。その、勝手に、友達だと思ってるから。勝手に、だけど」
 赤毛の少女はまばたきをして、叶絵の顔を見つめた。
 少しずつ黄昏たそがれて、夜になってきた図書館で、彼女の表情はよく読み取れなかった。
 でも、少しだけ湿ったような声で、嬉しそうに彼女はいったのだ。
「もしいつかこの街にわたしが戻ってくるとしたら──それは人間には少しばかり遠い未来のことになると思うんだけど、あなたはわたしのことを覚えていてくれる?」
「覚えてる」
 叶絵はうなずいた。
「ほんとうに、いつ帰れるかはわからないのよ。それでも待てるの?」
「待つわ」
「ほんとうに、忘れない?」
「絶対に」
「わたしと──魔女と会ったことを、夢だと思わずに信じていられる?」
 叶絵は黙ってうなずいた。
 赤毛の転校生は、ふと目を伏せた。
「わたしたち魔女は普通、訪れた街で出会ったひとたちから、記憶を抜いてしまったりするの。厄介なことになったら困るから、って意味合いなんだけど、ほんとうは──出会ったことを忘れられたら悲しいから、なのかも知れない。わたしたちと人間とでは、時間の感じ方が少しだけ、違うから。わたしたちにはあっという間に過ぎる年月も、あなたたちには、長い長い、時の果てのことに思えたりもするみたいだから」
 だからね、と目を上げて、彼女はおとなびた表情で笑った。
「あなたがもしわたしを忘れても、わたしは怒らない。でもひとつだけ願うなら、いつか未来に再会したとき、平田さん、あなたが幸せだといいなあ。そんなあなたと会いたいな。
 わたしはあなたと会えて、あなたに物語の本を薦めてもらえて、とても楽しかったから。一冊一冊の本の思い出とともに、あなたのことを、きっと忘れない。
 繰り返し、思い出すと思うの。長い長い時の彼方まで。いつかあなたが年老いて、この地上からいなくなってしまうときが来ても」
 やがて窓の外の空は、すっかり夜の藍色に染まり、その頃になって生徒がまだ図書館にいるのに気づいた司書の先生に、早く帰りなさいと叱られ、促されて、叶絵と転校生は学校を出たのだった。
 校舎を一歩出ると、思ったよりも空はまだ明るくて、するとなんだか、叶絵はいままで彼女と話していた、子どもじみた魔女のお話が恥ずかしくなった。
 そしてふたりは照れたように視線を合わせないまま、互いに軽く手を振って別れたのだけれど(そういえば叶絵は転校生がどこに住んでいるのか知らなかった)、転校生に背を向け、一歩家に向かうごとに、叶絵は、夢から覚めていくような気持ちになった。
(魔女だって)
(ほんとはもっと年上で、また旅に出るんだって)
(世界中に、魔女がたくさんいて、ひとの街に隠れ住んでるんだって)
 そっと振り返る。赤毛の転校生の姿は、もう道のどこにも見えなかった。ついさっき別れたときは、すぐそこの道にセーラー服の背中がたしかに見えたのに。
 いつの間に、どこに消えたんだろう?
 まるで魔法で姿をかき消したみたい──そう思って、でも、そんな馬鹿な、と苦笑して、叶絵は打ち消した。
 立ち止まり、とっぷりと暮れていく空を見上げて、軽く息をつき、そして叶絵は重たい鞄を提げて(なぜ重たいかって、それは、いつもの通りに読みかけの本やこれから読む本たちが、ぎっしりと入っているからだ)家路を辿った。
 この世界に、現代日本に魔女がいるなんて、それも叶絵の通っている高校の、叶絵がいつもいる図書館に魔女が来るなんてこと、あるはずがない。
(そんな素敵なこと、現実になるはずがない)
 世の中って、そういうものだ。
 黄昏時の光と、転校生の声とまなざしに騙されただけだ。そう思おうとした。

 その夜のことだった。
 突然の春の嵐が台風のように街を吹き荒れ、桜の花びらどころか葉や細い枝までも吹き散らしていた夜に、叶絵はひとり泣きながら、家を飛び出した。
 家族とどんないさかいがあったのか。いまとなっては、叶絵は覚えていない。
 何に傷つき、何を怒り、何が悲しかったのか。思い出せないほどにどうでもいいささやかな出来事があって、けれどそれでも当時の叶絵には、死にたいほどに切ない悲しいことが、その夜、たしかにあったのだ。
 家に帰りたくない、それだけしか考えず、ただ夜の街を歩いた。けれど繁華街は酔っぱらいが怖かったので、ひとの気配のない方へない方へと──そう、あのときも、港のそばに辿り着いていたのだ。三日月町の三日月通りの辺りに。暗い水に引かれるように。
(あのときも、水路の水を見ていた)
 人通りのない裏通りで、ひとりきりうずくまって、冷たい夜風に吹かれながら、ひたひたと寄せる水の音を聴いていたのだ。
 そのうち冷え切ったからだが震えだしてきた。夜風に背中を押されるように、水路へと落ちてしまった。自分でも笑えてしまうほど、あっけなく転がり落ちたのを覚えている。
 それまでは妙に現実味がなかった。いいやこのまま死んでしまっても、なんて思っていた。けれど、痛いほど冷たい水に触れ、真っ暗なその底に沈みそうになったとき、苦しい呼吸の中で、こんなのは嫌だ、と思った。
 暗闇に吞まれるのは嫌だ。
 明るい方へ行きたい、と。
 そのとき、水の上から、声がしたのだ。
「寂しいときは、暗いところにいてはだめよ。魔が差してしまうから」
 光が降るような声だと思った。
 そして何も見えない暗い水と夜空の間を縫うように、白い手が差し伸べられた。
 叶絵は救いを求めるように、必死にその手へと手を伸ばした。誰の手だろうとか、なぜこの手がここに、なんてじんも考えられなかった。そんな余裕はなかった。
 そして白い手は叶絵の手をつかむと、一瞬で上へと引き上げたのだ。

(つづく)



村山早紀魔女たちは眠りを守る』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321912000467/


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