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試し読み

「よっしゃ」声に出して言ってみたものの、喜びなんてありはしなかった。/住野よる『青くて痛くて脆い』試し読み⑧

傷つくことの痛みと青春の残酷さを描いた『青くて痛くて脆い』がついに映画化!
主演に吉沢亮×杉咲花を迎え、8月28日(金)から全国で公開されます。



大学1年の春、秋好寿乃と出会い、二人で秘密結社「モアイ」を作った田端楓。
しかしそれから3年、あのとき夢を語り合った秋好はもういなくて――
冒頭47ページを映画公開に先駆けてお届けしていきます!

関連記事>>累計50万部突破!!『青くて痛くて脆い』映画公開記念 原作者・住野よるさん特別インタビュー(カドブン限定公開)

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―――◇◆――◇◆――◇◆――◇◆――◇◆―――

 朝目覚めてすぐ、そこから今日一日にこなさなければならない面倒な事柄を想像する。
 嫌気が差してなお、布団からきちんと起き上がろうとすれば、一日の労力ほぼ全てを使いきったようなためいきが出た。
 それでも、しっかりとリクルートスーツに着替え、鞄を持ち、家を出る自分は一体何に体を動かされているのだろうかと考える。恐らく、社会性や、漠然とした不安だ。
 駅に向かう途中に買ったパンを適当に腹の中に詰め、遅めの出勤をするサラリーマン達と一緒に電車に乗る。車両に乗っているスーツ姿の人達は一様に、その大きな鞄よりも重たいものを抱えているように見える。
 ここ数ヶ月で何度も降りた、ビジネス街に位置する駅に電車が到着する。ここまで来ていつまでも顔の筋肉をだらけさせているわけにはいかない。どこで誰に見られていてもいいように、できる限りの快活さを、表情で表現する。
 改札を出てからスマホで今日行く会社の位置を確認し、会社の名前とそれから業種も一応確認しておく。毎日毎日いくつもの会社の情報を頭に入れ過ぎていて、どの会社がどの会社だったか、忘れてしまうことが度々ある。つまり忘れてしまう程度の印象しか抱いていないのだということなんだけれど、きちんとした受け答えさえ用意しておけば、相手にばれることはないし、あるいはばれていたとしても、一応取り繕う能力があるのだとみなされる。
 地図を頼りに歩いていくと、問題なく指定の時間の十分前に目的のオフィスビルに辿たどり着いた。ここで働いている大人達は、見上げるほどのビルにどんな気持ちで毎日出勤しているのだろうかと思う。少しくらいこのビルが自尊心を保つ手助けをしてくれたりするのだろうか。
 背すじをのばし、口元に薄く笑みを作ってようさいに乗り込む。二枚ある自動ドアをくぐり、大きなエレベーターホールに向かうと、先に待っている二人組がいた。にこやかな二十代後半ほどの男性と、リクルートスーツを着た女性。一目で、リクルーターと就活生だろうと分かった。僕は基本的に就活生を嫌悪しているので、距離を取って立った。
 それでもエレベーターが下りてくる間に二人の会話はどうしても聞こえてくる。妙にれ馴れしい様子のリクルーターと、妙にびたしやべり方をする就活生。枕営業でも狙っているのかと、内心思っているうちに、エレベーターが来たので、先に乗り込んだ。
 てっきり二人してエレベーターに乗るのかと思いきや、僕が中で待っていると就活生の方が頭を下げ、礼と別れのあいさつをしてから、リクルーターの方だけがこちらに向かってきた。どうやら面接か何か終わった後だったらしい。
 エレベーターの扉が閉まる寸前まで二人が声をかけあっている隙に、扉を閉めるボタンを押してやろうかと思いつくもとどまっていると、最後にリクルーターの方が聞き覚えのある単語を出した。
「じゃあまた、モアイの交流会で」
 僕はもちろん、横に立つ社会人に対して反応を見せはしなかったけれど、内心では気持ちの悪い納得を抱えていた。なるほど、あの子うちの大学の学生か。
 社会人は三階で降り、僕の目的地となる九階までは一人になった。この隙に溜息をついておく、そしてその呼吸ですべてを切り替え、もう一度背すじをのばし顔を作る。
 九階につくと、すぐに受付があったので、僕は笑顔で近寄り、名前を告げた。
「本日、面接を受けさせていただきます、田端楓と申します」
 僕に負けない作り笑顔で、受付の女性が待合室へと案内してくれた。
 待合室には、僕と同じく、その形のまま固まって戻らなくなってしまったのかと思うような笑顔の学生が二人いた。
 就活生というのは、なんて気持ちの悪い生き物なのだろうと、改めて思うに十分だった。

 肉体的な運動は何一つしていないのに、家に帰ってきた時にはへとへとだった。
 あれから、面接を一つに説明会を一つこなした。
 連日つけているはずなのにいつまでも慣れないネクタイを緩め、部屋に帰り居室に辿りつくなりへたり込んでしまった。リクルートスーツにしわがよろうが気にできない。モラトリアムの三年をかけてしてきたはずの充電が、底をつこうとしていた。そろそろ、本格的に就職活動に疲弊してきていた。
 だから、その電話が来たのはなんてタイミングのいいことだったのだろうと思う。
 しっかり三コール目で電話に出た。
「お世話になっております、○○大学の田端楓です。はい、いえこちらこそ先日は貴重なお時間をいただきましてありがとうございます。はい、はい、あ、ありがとうございますっ。はい、分かりました。はい、なにとぞ、あ、はい、何卒よろしくお願いいたします。はい、では、はい、失礼いたします。あ、よろしくお願いします。失礼いたします」
 電話を切って、なぜか正座をしていたことに気がついた僕は全身の力を抜き、床にあおけになった。もうしわを気にする必要もなくなった。
 電話は、先日最終面接を受けた企業からのもので、内容は、ぜひ田端さんに弊社に入社していただきたく、というものだった。
 つまり、内定。
「よっしゃ……」
 すぐそこにある天井を見て、なんとなく声に出して言ってみたものの、言葉に追いつく喜びなんてありはしなかった。第一志望ではなかった、ことが問題なのじゃない。大きな会社でブラックという噂もあまりなく、そこそこの結果のはずだ。もう面接を受けなくていいというほっとした気持ちもある。けれどそれらはあっという間に、社会人になるのだという不安で塗りつぶされた。よっしゃ、は、内定獲得が社会的に喜ばしいことらしいと知っていたから言っただけのことだ。感情は追いついてない。

(つづく)

»住野よる『青くて痛くて脆い』特設サイト


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