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試し読み

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展で話題のレンブラント! 中野京子『怖い絵』シリーズ特別試し読み 第2回

名画の新しい楽しみ方を提案する中野京子さんの『怖い絵』シリーズから、選りすぐりの作品を特別試し読み! 第二回は、美術史を通じ世界最高峰の画家のひとりと言われるレンブラントを紹介します。


書影

『怖い絵 泣く女篇』より


レンブラント『テュルプ博士の解剖学実習』


1632 年 油彩 170 × 216cm
マウリッツハイス美術館
©Bridgeman/PPS


 オランダの十七世紀は、他のヨーロッパ諸国が絶対王制を固めていたのが噓のように、海外貿易を軸とした商業貴族的共和制ともいうべき社会を実現させ、空前の繁栄を誇った。アムステルダムは世界一の大都市となり、富裕な中産階級の市民たちが政治経済を動かし、とうぜん芸術もまた彼らのもので、特に絵画はどんな貧しい家にも必ず飾ってあるといわれたほどだ。
 そんな中、小型肖像画の需要が飛躍的に伸び、画料の高い画家に大型の肖像を依頼する場合のグッド・アイディアも生まれた。各業種のギルドなど組織内の数人で資金を出し合い、集団でひとつの画面におさまって、完成品は組合のホールに飾ればいいござというわけで、オランダ独自の「記念集団肖像画」というジャンルが確立、たちまち流行したのだった。
 アムステルダム外科医ギルドの主要メンバーもまた、自分たちの集団肖像画制作を企画し、目利きの画商に相談したところ、ちょうど地方から上京したばかりのレンブラントなる二十五歳の画家を推薦された。まだ無名の若者だが間違いなく天分があるとのことで、協議の末、依頼してみた。結果は、ずらりとこちら向きに並ぶ(卒業写真のような)平板な図柄になるかと思いきや……。

 舞台は外科医ギルドの「解剖学劇場」、つまり観客席付き手術室。
 絵の依頼者である七人のメンバーが高名なニコラス・テュルプ博士ござヨーロッパ随一のライデン大学出身ござを招聘しようへいし、講義を受けている。黒い大きな帽子をかぶった博士は、威厳たっぷりに屍体したいの左腕のけん鉗子かんしでつまみ、何やら皆に説明中だ。まさにこれは「神の手」、優れた医の実践者を、視覚化したものといえよう。
 受講生たちの顔の向き、表情は、さまざまである。ある者は切開された腕の内部を真剣な面おも持もちで覗き込み、ある者は博士の顔を見、またある者は屍体の足もとの書見台に広げられた大判本ござ人体解剖図が描かれているのだろうござに目をやっている。個性的で生き生きした彼らの動きと肌の色いろ艶は、手術台に横たわる硬直した死者の、完全に生気を失って蒼白く沈んだ肌と鮮やかな対比を見せている。
 画面中央から左にかけて三角形に盛り上がる人物群、博士の両手と屍体の左手が形作る小さな正三角形、死の横線、生の縦線、右の広い空間と左の密集。斬新な構図といい、印象的な光の当て方といい、臨場感あふれる静かなドラマの創造といい、これはそれまでの集団肖像画の様式を一変させる画期的な名品となり、レンブラントの名を世に轟かせ、出世の階段を駆け上らせることとなった。
 野心的で自信満々だったレンブラントは、中央の壁に貼られた紙に自分の名前と制作年「一六三二年」の文字を、目立つように記している。

 ところで画中の人物たちのうち、大学で医学を修めた者は何人いるだろう? 正解は、ひとり。テュルプ博士だけだ。彼だけが社会の上層部に属しているので、室内で帽子をかぶっていられる特権を持った。
 では、フレーズ(首に密着した幅広の白襟)をつけて正装した、絵の出資者たちはどうか。外科医なのに大学教育も受けていないのか? そのとおり。彼らは二年から四年の徒弟とてい修業を受けたあと、大卒の医師団の前で実地試験を受けただけなので、実践能力はあっても、医についての学問的素養は欠けていた。
 古典古代の医書を読むという文献中心主義が幅をきかせたこの時代、したがって外科医の地位は現代人の想像を絶するほど低く、「医者」と呼ばれ尊敬されるのはテュルプのよ
うな「内科医」(「解剖医」を含む)か、「病理学者」のみ。外科医は理髪師と同義語であり、仕事の範囲はといえば、ケガや骨折の治療、四肢切断、瀉血しゃけつ(悪血を抜くこと)、浣腸、髪の毛や髭の手入れ、鬘かつら制作など、要するに肉体に直接触れる「手当て」全般であった。イタリアではさらに、少年をカストラート(去勢した男性ソプラノ歌手)にするための、尊敬されざる手術も加わる。
 外科医たちは、現状に満足していたわけではない。地位向上を目指し、この絵のように定期的に学者の講義を受け、系統立って人体の構造を学ぶべく努力し、理髪の仕事を徐々にアシスタントにまかせ、自らは外科治療に専念しようとしていた。
 集団肖像画をギルドの建物内に飾るのも大切な世間向けアピールであり、ましてや著名な博士(テュルプは後年、アムステルダム市長にもなった)に特別出演してもらい、いっしょに画面におさまるのは大変な名誉であった(それでも外科医と理髪師の分業が認められるのは、まだまだ先のことだ)。
 他に留意すべき点としてござオランダにおける公開解剖はこのころようやく増加しつつあるところで、見物人はもっとおおぜい、それも医学関係者ばかりでなく一般市民まで詰めかけた。まさに解剖「劇場」の言葉どおり、手術台を客席がアリーナ状に取り巻いたのだ。
 また屍体の処理に関しては、腐敗を避けるため冬の寒い一時期に限定されたばかりでなく、まっ先に内臓を除去することから始められた。だから腕のみの切開というのは、通常ありえなかった。本作はあくまで肖像画なので、そのあたりが粉飾されるのはやむを得ないだろう。レンブラントは二十年後に再び解剖シーンを絵にしており、そこではすっかり内臓を抜き取られ、頭蓋ずがいを切開される屍体の、リアルで凄惨な様があますところなく描かれている。
 ルネサンスあたりから高まってきた人体への解剖学的生理学的関心は、こうして着実に医学と結びつき、次の十せ世紀には外科手術の飛躍的進歩をもたらすのである。外科医ギルドの七人の侍たちは、その先陣部隊といえる。
 着衣の男たちのことはわかった。さて、では裸の男は? 彼は医学への貢献という崇高な気持ちから、進んで我が身を献体したのであろうか? もちろん違う。
「小僧」というあだ名で知られたこの男は、強盗および看守を殴って重傷を負わせたとがにより、絞首刑になった。冬場の死刑囚は即、解剖台へ直行と決まっていたので、ここに横たわっている。ここに横たわること、つまり遺体を切り刻まれることは、当時、一種の懲罰とされていた(こうすれば犯罪が減ると政府は考えたのだ)。人殺しをしたわけでもないのに「小僧」は首を吊られ、死んだ後もなお罰が続いているところだ。
 絵の中なので下半身に布をはおってもらえているが、実際には丸裸であったし、これから骨まで裸にされるわけで、少しも敬意は払われなかった。以前は解剖される人間の顔は隠されて描かれたこともあったのに、もはやそんな配慮もない。すでに物体なのだ。人間ではない。いわんや個性などない。
 遺体に対するヨーロッパ人の考えは、時として日本人にはひどく怖く感じられる。
 魂の抜けた身体はモノとなる。モノとなった屍体は、必然的に商品となるであろう。そして商品に対しては需要と供給が生じる。
 事実、地位の上がった外科医の数が増え、冬場以外にも解剖が行なわれはじめ、時に公開解剖は入場料を取る一大イヴェントとなり、解剖件数がどんどん増加するにつれて、死刑囚の数が足りなくなってゆく。足りなくなると外科医たちはモノを高額で買うようになる。するとどうなるか?


レンブラント『ヨアン・デイマン博士の解剖学講義』(この絵は一部破損している)1656 年
© Granger/PPS


『フランケンシュタイン』や『二都物語』に描かれた墓場荒らし、あれはフィクションではない。真夜中にこっそり墓をあばき、できるだけ新鮮な死体を調達し、高値で売りさばく「復活屋」と呼ばれる闇の男たちが、長らくヨーロッパ中で暗躍したのだ。買い取る方もうすうす盗掘とわかっていても、黙って支払いをしていたらしい。全く油断も隙もあったものではない。ひつぎの中でさえ安心できない世の中になってしまった。
 やがてこの犯罪が目にあまるということで、警察は取締りを強化、遺族たちも大事な家族を盗まれないよう自警しはじめる。するとどうなったか?
 死体を盗めないなら、死体を作ればいい。今度はそう考える輩やからが出てきた。十九世紀初めのスコットランドで起きた、バークとヘアの二人組の事件がもっとも有名だ。彼らは係累けいるいのなさそうな浮浪者や売春婦、孤児など社会的弱者を自宅へ誘い込み、酒で酔わせては絞め殺し、わかっただけで何と十五人を殺害。そのうち十三人を同じ解剖学者に売りつけていた。これはたまたま露見した犯罪だが、一匹のゴキブリの背後には数匹が隠れているといわれるのと同じで、各国にどれだけの数のバークたちがいたか知れたものではない。
 バークは絞首刑になったので、たぶん解剖されただろう。とはいえ屍体不足は解消されず、イギリス議会は同時期に「解剖法」を制定した。これは、救貧院などで亡くなった埋葬費用のない貧民の死体を解剖用にまわすという、恐るべき法律である。肉体はいったい誰のものなのか。貧しいということが、懲罰に値する罪となったのだ(反対者たちの暴動が起こったほどだ)。
 罰とは違うと、ナイーヴな現代人は主張するかもしれない。しかしかつて実際に懲罰として死刑囚に加えられた行為が身に降りかかってくる時、時代は変わったとそう簡単に考えられるものだろうか? ディケンズの小説には、どんなに貧しさに喘いでいても埋葬費用だけは決して使わず、衣服に縫い込んで最後の支えとする老女が登場する。彼女にとって解剖台の冷たさは死の冷たさにも優ったのだ。
 十九世紀半ばのアメリカでは、明らかに人種差別的な解剖ショーが開かれたこともある。著名な興行師バーナムが、初代大統領ワシントンの乳母と称させ、せいぜい七十歳台だった黒人女性を百六十一歳という触れ込みで見世物にし、死後には「科学的に実証するため」との名目で政府の許可を取り、公開解剖に付したのだ。千五百人もの一般人が、入場料を払って詰めかけたというから怖い話ではないか。
 屍体のモノ化はその後もいっそう進んでいる。臓器売買が、金持ち=強者による貧民=弱者の搾取だという事実を誰が否定できよう? 『テュルプ博士の解剖学実習』に見られた、博士、外科医、犯罪者という、みごとなヒエラルキーの展示は、今なお連綿と続いているのだ。
 その一方で、だが我々は医学の進歩の恩恵を多大に受けている。怖い、というつぶやきすら偽善なのかもしれない……。

 レンブラント・ファン・レイン(一六〇六〜六九)は、若くして富と名声と愛妻を手に入れた。だがなぜか神は彼にルーベンスのような世俗的幸運の維持を拒む。幸せは短かった。愛する妻と子を亡くし、破産し、名声は下落した。人生に影が差せば差すほど、しかし作品は深みを、凄みを、力を、増していった。美術史を通じて世界最高峰の画家のひとり。

(『怖い絵 泣く女篇』より)

レンブラントの作品は、国立西洋美術館にて開催される「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」でも見ることができます。同展で展示されるのは《34歳の自画像》という作品です。


34歳の自画像

レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン 《34歳の自画像》 1640年 油彩・カンヴァス 91×75cm
©The National Gallery, London. Bought, 1861


ロンドン・ナショナル・ギャラリー展とは

ヨーロッパ絵画を網羅する質の高いコレクションで知られる「ロンドン・ナショナル・ギャラリー」が、200年の歴史で初めて開催する館外での大規模な所蔵作品展。ゴッホの《ひまわり》、フェルメール の《ヴァージナルの前に座る若い女性》、ゴヤの《ウェリントン公爵》など、今回は61作品、すべてが初来日という、開催前から注目を集めている美術展です。
https://artexhibition.jp/london2020/

会期:2020年6月18日(木)~10月18日(日)
※6月18日(木)~6月21日(日)は、「前売券・招待券限定入場期間」とし、前売券および招待券のをお持ちの方と無料鑑賞対象の方のみご入場いただけます。
会場:国立西洋美術館
開館時間:午前9時30分~午後5時30分 (金曜日、土曜日は午後9時まで) ※入館は閉館の30分前まで
休館日:月曜日、9月23日 ※ただし、7月13日、7月27日、8月10日、9月21日は開館

※日時指定制となります。詳細は展覧会公式サイトをご確認ください。
※国立西洋美術館では入場券の販売はございません。

中野京子が贈る名画の新しい楽しみ方 角川文庫「怖い絵」シリーズ

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