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試し読み

「他殺ですね」――いつも寝てばかりの女官は、遺体を前に覚醒する。『後宮の検屍女官』試し読み#4

4月23日に発売された『後宮の検屍女官』。
居眠りしてばかりの女官&イケメンだが腹黒(?)な宦官のコンビが、後宮を揺るがす騒動に【検屍】で挑む、斬新にして骨太な中華ミステリです。
独創的なアイデアと確かな筆力で、角川文庫キャラクター小説大賞〈大賞〉〈読者賞〉ダブル受賞。選考委員・書店員も太鼓判の力作です。
発売に先駆け、特別に試し読みをお届けします!

『後宮の検屍女官』試し読み#4

    ***

 後宮一区の中心、しようよう殿。その名の通り、光り輝くようなまぶしい装飾がほどこされた殿舎の耳房こべやで、桃花とうかはうとうとしながら筆をとっていた。
 昭陽殿の小主あるじである梅婕妤ばいしょうよは、梅が姓、婕妤が後宮内での位をしめすひんである。本来は婕妤の上にしようという位があるのだが、現在空位のため、今上の最高級妃嬪となっている。
 桃花はその梅婕妤の侍女であり、この耳房で寝起きして女主人の側近くにはべり、また、書の代筆や詩作を代わって行う女史でもあった。
「桃花、桃花!」
 呼ばれた気がして顔をあげる。正房おもやにつながる戸口で、侍女仲間のさいが眉をつり上げて立っていた。
「ちょっと何回呼べば気がつくのよ!? どうせまた居眠りでもしてたんでしょ! 早くきなさいったら!」
「寝ていたわけでは……」
「いいえ寝てた! ああもう、顔に墨なんてつけて……! ほら早く、婕妤さまがお呼びよ」
 顔を適当にぬぐい、書き終えたばかりの書簡を掲げて主人の前へと進み出る。
「お待たせいたしました、婕妤さま」
 梅婕妤は春らしい白のないに紅梅の深衣を重ね、蘇芳すおう色のしゆうをほどこしたどんの帯を締めるという、いかにも春らしい装いで座していた。肩に羽織るうすものも白く、二十代の半ばとなってもいまだ少女のように愛らしい顔立ちをした彼女に、よく似合っていた。
 だがそのようぼうにも、ここ数日の寝不足が色濃く影を落としている。幽鬼騒動のせいで眠れないのだ。梅婕妤はどこか疲れた様子で書簡を受けとり、仕上がりを確認してから他の者にそれを託した。
「ご苦労だったわね、桃花。今日はいつにも増して眠いでしょう? 昨夜はあなたに夜警を頼んでしまってすまなかったわね。どうしても皆、怯えて行くのをいやがるものだから」
「いえ、歩くのは好きですので、とてもよい散歩となりました」
「おまえはほんとうに豪胆だこと。では、今夜も行ってくれるのね?」
「もちろんでございます」
 ゆうれいをささげると、梅婕妤はくまの濃くなった目もとを気にするようにさすってから、「ところで」と不安げに視線を下げた。
「昨夜、ついに死王に憑き殺された者が出たとか」
 威厳を保とうとしつつも、わずかに震えのうかがえる口調で梅婕妤は問うた。
 やはりその話か、と桃花は思う。昨夜の碧林の件についてはかんこうれいが敷かれていたが、人の口に戸はたてられないものだ。だれかが梅婕妤の耳に噂を運んだのだろう。
「婕妤さまご安心くださいませ。呪いやうらみで人を殺せるのなら、この後宮はとっくに無人になっていてもおかしくございませんわ」
「おまえは桃のような愛らしい顔をしてしんらつなことを言うわね。──それで、どうだったの? 昨夜おまえもなにか見たのではない?」
 桃花は返答に困った。幽鬼は見ていないが、憑き殺されたと噂される女官の死体は見た。だが余計なことをしゃべって、怖がりな主人をこれ以上怯えさせたくはない。
 噓はきらいだが、なにも見ていないというべきか──そう口を開きかけたとき、桃花のしゆんじゆんはらうかのように、客人来訪の合図が鳴った。ほぼ同時に、息を切らせた少年が駆けこんでくる。
「母上!」
 梅しようの子、御年九つのそう皇子だ。
 後を追うように急ぎ足でやってきたのは、もえの深衣に身を包んだ、まだ幼さの残る若い妃嬪──おなじ一区に住まうりよ美人だった。数人の女官も後ろに従っている。
「まあどうしたの、ふたりとも」
「婕妤さまに置かれましては、ごきげん麗しく」
 呂美人が揖礼をささげる。蒼皇子は早く早くと婕妤の手をひいて立たせた。
「母上、呂美人が花園で花見でもしましょうとお誘いくだすったのです。よい天気ですから、花でもでていれば気分もすっきりするだろうと」
「まあ、花見」
「実家から良い茶葉が届いたところなのです。もしよろしければ婕妤さまにもお楽しみいただきたく」
 呂美人は高官の娘だ。多くの娘がそうであるように、彼女も実家の勢力拡大のために、昨年十五歳で後宮へと送られてきた。しかし彼女自身にはちようを得ようという意思は薄いようで、そういったところが特に梅婕妤に気に入られていた。
 梅婕妤は薄暗い室内と外のまぶしいほどの天気とを見くらべるようにしたあと、「そうね」とうなずいた。
「ちょうど花園の紅梅も見頃だものね」
「はい。あのすばらしい紅梅は、梅姓である婕妤さまのために主上が集められたものだと聞いております。主上のご寵愛がきっと婕妤さまのお心を慰めてくださいますわ」
「母上の寝不足もきっと治ります。酒ではなく茶をのみ、太陽の光にあたることが安眠のけつなのだと、侍医も言っていたではないですか」
 蒼皇子が言うと、梅婕妤は弱ったようにまゆをさげながら、指先でコンと脇息を打った。内心ではいらっているときの、梅婕妤のくせだ。
 寝不足になっている理由が理由であるから、我が子であろうと無邪気に口をはさんでほしくないのだろう。
 勘気に触れるだろうか。そう女官たちがハラハラしながら見守ったが、今回はゆうに終わった。
「あら呂美人。あなたのところの女官たちも、ずいぶんと顔色が悪いのではない?」
 ふと、呂美人が連れている女官たちに目をとめて、婕妤が言う。
 呂美人の女官といえば、後宮ではちょっとした注目の的だった。小柄でまだ幼さの残る顔立ちの呂美人に対して、どれもすらりと背が高く、しげな麗人ばかりなのだ。彼女たち見たさにせっせと呂美人と交流をもつ妃嬪も少なくない。
 呂美人は困ったように女官たちに視線をやった。
「じつは幽鬼が苦手なものが多くて、寝つけない女官が多いのです。まだ後宮入りして一年しか経ちませんし、場所に慣れていないからなおのようで」
「そう、では皆で紅梅をながめながら、ゆるりと陽気にあたってきましょうか。幽鬼は陰気を好むというものね。では行ってくるわ、桃花、才里、留守を頼むわね」
「行ってらっしゃいませ」
 桃花たちは深く頭をさげ、主人たちの輿こしを見送った。

「それでね、死んだ侍女は朝な夕な病床でよだれを垂らしながら、歯をむき出しにして笑っていたそうよ。それだけじゃなくて、たびたび金縛りにもあっていたとか!」
 耳房こべやあわもちをかじりながら、才里が行儀悪くつくえにひじをついて言う。
「まさにかれているとしか思えなかったという話よ! どう思う、桃花」
「……気の毒、と」
「なに言ってんのよ、そういう話がしたいわけじゃないのあたしは──って、こら寝ない!」
「……はい。起きてます半分」
 ぜんぶ起きろ! と小突いてから、才里は空になった茶をとりに部屋を出て行った。その際にも「起きてなさいよ!」とくぎを刺すことを忘れない。
 主人が留守のあいだ、こうしておしゃべりに花を咲かせるのが女官の大切な息ぬきなのだと、才里はいつも言う。
 ──できれば静かに寝させてほしい。
 ぼんやりとそう思いながら、花窓を見あげる。窓辺には小さなこけだまが飾ってあった。
「ああそれ、美人にもらった手づくりの苔玉ね」
 そそくさと戻ってきた才里が、桃花の視線を追って言う。
「いつだったか……うーん去年の初夏くらいかしら? まだ李美人と婕妤さまが仲よくしてらした頃のよね。あのかたの殿舎にはたくさんの苔玉や野草が飾ってあった、素朴な李美人によく似合ってる、なんて婕妤さまも言ってらしたわね」
 はいあんたのぶん、と桃花にも茶をさしだして、才里はふたたびくつろいだ様子で腰をおろした。
「李美人もねぇ、まさかこんなことになるなんてねえ。あの方も大人しくしていれば、婕妤さまに目をつけられることもなかったでしょうに」
 いまや李美人をいびっていたひんとして有名──それどころか一部女官たちからは李美人を謀殺したとまで思われている梅婕妤だが、もともとふたりの仲はそう悪いものではなかった。
 李美人はもう何年もお手がついていないという『みかどから忘れ去られた女』で、梅婕妤は寵を競わない相手に対してはとても寛容なのだ。
 ところが去年の晩夏、この李美人が帝とねやをともにした。しかも懐妊までしたことで、ふたりの仲は決裂したのである。
 さらに、寵に興味はないという顔をしながらも、李美人がかなりのまいないを各所にばらまいて機会を得たという情報があり、そういった点がさらに梅婕妤の怒りを買った。桃花も「あんな女だと思わなかった!」と婕妤が憤慨していたのを覚えている。
「って言っても、婕妤さまによる謀殺だなんていうのはさすがに言いすぎだと思うけどね。それくらいで殺してたらキリがないもの。あの怖がりだし。あ、そうそう、で幽鬼の話だけど」
「幽鬼の話はもうおなかいっぱいです」
「えー。だってあんた昨夜の夜警に行ってたじゃない。なにか面白い体験とか、面白い話とかきかなかったの? なにか見たりとか」
「興味があるなら、今日の夜警は才里が行きますか?」
 親切心で言ったのだが才里はぎょっとした顔をして、それからねたように口をとがらせた。
「……この殿舎にほとんど幽閉された身だけど、さすがにそれはごめんだわ」
 あまりにも消沈してしまうので、桃花は仕方がないと昨夜の記憶を掘りおこす。
「じゃあ、ようを見た話でもしましょうか。あの有名な」
「えっ? 夜警の支援にきたのって、延明さまだったの!?」
 で、どうだった? と才里が身を乗り出してくる。皇后のお気に入りかんがん孫延明そんえんめいといえば有名だ。
 見た目の美しさもさることながら、五年前に罪を得て腐刑──浄身となり皇太子の寝宮に仕え、その後、罪はえんざいだったとして身分を回復したという数奇な身の上でも知られている。
「そうですね、妖狐は……つねに微笑みを絶やさない方で、白くてきれいで」
「それでそれで?」
「あと、笑顔が噓くさくて腹黒そうな方でした」

(つづく)



後宮の検屍女官
著者 小野はるか
定価: 660円(本体600円+税)

後宮にうずまく疑惑と謎を検屍術で解き明かす、中華後宮検屍ミステリ!
「死王が生まれた」大光帝国の後宮は大騒ぎになっていた。
謀殺されたと噂される妃嬪の棺の中で赤子の遺体が見つかったのだ。
皇后の命を受け、騒動の沈静化に乗り出した美貌の宦官・延明えんめいの目にとまったのは、
幽鬼騒ぎにも動じずに居眠りしてばかりの侍女・桃花とうか
花のように愛らしい顔立ちでありながら、出世や野心とは無縁のぐうたら女官。
多くの女官を籠絡してきた延明にもなびきそうにない。
そんな桃花が唯一覚醒するのは、遺体を前にしたとき。彼女には、検屍術の心得があるのだ――。
後宮にうずまく数々の疑惑と謎を検屍術で解き明かす、中華後宮検屍ミステリ!
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322012000507/
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