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試し読み

本が苦手だったあなたと、本を愛するあなたのために――。深緑野分『この本を盗む者は』刊行直前特別試し読み#13

「本の呪い」が発動して、街が物語の世界に変わっちゃう? 本嫌いの少女が、街を救うために書物の世界を冒険することに――。深緑野分さんの最新刊は、本の魔力と魅力を詰め込んだ、まさに空想の宝箱。10月8日の刊行に先駆けて、特別に第一章をまるごと試し読み!



>>前話を読む

「ちょっとあんた、怒鳴るとは何ごとよ? この方は夜の大黒猫を追い払ってくれた、英雄様なんだからね!」
 彼女がそう言うやいなや、婚礼の列の面々はどよめき、要翁の顔はインクを垂らしたように青くなった。
「こ、これは失礼つかまつった。まさかあなた様が、無礼な桂是留けいぜるが差し向けた夜の大黒猫、あの厄介者を退けて下さった御方とは」
 ししゃもを思わせる体を折り曲げて、翁は思い切り頭を下げる。さすがの深冬も慌てて「やめて下さい、そんなの」と言い、頭を上げさせた。
 まったく奇妙だった。よく知っているはずの人が違う人格をまとって、大真面目に振る舞っている光景は。父がいない時に面倒をみてくれる崔と、お駄賃と言ってお菓子をくれる原田までもが、マンガに出てくる昔の貴族のような仕草で、深冬に向かってお辞儀をしてみせるのだから。
「御礼を致しましょう。何なりとお申し付け下さい。欲しいものでも、願い事でも」
「欲しいもの? まだ買ってないマンガとか? ゲームとか? いやいや、悪いしいいよ」
「では何かお困りのことは?」
 着飾ってますます美しくなった原田の、涼しげなまなざしに見つめられて、深冬はしどろもどろになりながら答えた。
「じゃあ……泥棒を捜してもらえますか? うちの本棚から本を盗んだやつがいるんだけど、全然手がかりがなくて」
 この頼み事がひどい騒ぎを引き起こすことになるとは、深冬は思いも寄らなかった。目の前にいるのが兄代わりの崔ではなく、繁茂村の村長だということが、まだよくわかっていなかったのだ。
〝米是留〟のゼッケンをつけた崔は大声を張り上げて、読長町にいる全員の身元調査をするように命じた。たちまち、婚礼の列に控えていた立派な体躯たいくの男女、〝憲兵〟のゼッケンをつけた面々が、丸腰の住民たちに飛びかかった。商店街は大混乱と化した。
「ちょっと! これはやりすぎ! そうじゃなくて、悪いやつをひとりだけ捕まえればいいの!」
 しかし深冬の声は、耳をろうするほどの怒号と悲鳴にかき消され、まるで届かない。肩の上の狐はブレザーに爪を深く立て、ぶるぶる震え、深冬にも痛みと振動が伝わってくるほどだった。
「大丈夫? 深冬ちゃん」
 真白に呼ばれて振り向くと、彼女ははっと目を見開いた。
「……耳」
「えっ?」
「深冬ちゃん、頭のてっぺんを触ってみて」
 嫌な予感がした。深冬はおそるおそる手を伸ばして頭のてっぺんに触れる。そして自分の頭から、ふたつの毛むくじゃらの尖ったものが生えていることに気づいた。天鵞絨ビロードのようになめらかな感触は明らかに獣の耳だが、しっかり感覚がある。間違いなく自分の肉体の一部だ。しかも尻からは尻尾まで生えていた。深冬は絶叫した。
「みっ……みみ、耳が! 尻尾が!」
 すると周囲が水を打ったように静まりかえった。互いに摑み合う手を止め、一斉に深冬たちに視線が集まる。つい先ほどまで賑やかで、歓迎ムードに溢れ、そして今や大乱闘の場となった商店街の空気が凍った。
 住民たちの瞳は冷たく濁っている。その上、頭のてっぺんにふたつの獣の耳がにょきにょきと生え、尻から突き出たオレンジ色の太い尻尾がぶうんとしなった。深冬は真白の腕を摑んで揺さぶる。
「みんないったいどうしちゃったの?」
「さっきから尻尾は見えてたよ。まるで狐みたいな……」
「やばいじゃん! 何で早く教えてくれなかったの?」
「いや、言ったんだけど深冬ちゃん聞いてなかった……」
「いいよもう。なんで尻尾と耳が?」
「わからないけどとにかく行こう、早く泥棒を捕まえなきゃ!」
 真白はそう言うと、顔面蒼白で頭から生えた毛深い耳をいじくっている深冬の体を支え、左手で肩を抱き、右手を膝の下にすべらせると、思い切り地面を蹴った。
 空を飛ぶ。先ほどよりも高度は低く、ビルの窓と同じくらいの高さを、真白はまるでスノーボードですべるかのように飛ぶ。強風が耳を打ち、ぼぼぼぼと鳴る。真白の腕の中で深冬は、肩に乗せたままの狐が落ちないよう手で支えつつ、夢中でしゃべった。
「……わかった。たぶんだけど、この世界ってあの物語の筋書きにただ沿って動いているわけじゃないんだ。読長町用に、微妙にカスタマイズされてる。街の人も全員役が決まってて、崔君はベイゼルだし、原田さんは恋人のハウリ。そうでしょ、真白」
「うん、たぶん、そうだと思う」
「でもあたしには役割がない。あたしは御倉深冬のままだ。だからみんなあたしのことには気づかない、物語に溶け込んでないから。いないはずの人間だから」
 まだ多少の混乱はしていたが、深冬の頭は緊急事態に遭って、かえってえはじめていた。長い髪が風にあおられて顔に張り付き、一筋が口の中に潜り込もうとするので、鬱陶しげに手で払う。
 御倉館で水晶に閉じ込められたひるねのまぶたに〝母〟と書いてあったのもそうに違いない。
「ねえ真白。『繁茂村の兄弟』の話だけど、ベイゼルとケイゼルのお母さんって死んだ時に水晶に閉じ込められちゃったりする?」
「正解。すごいよ深冬ちゃん、ふたりの母親は亡くなって土に埋葬された後、水晶に包まれて、腐らなくなるの」
「やっぱね。つまりひるね叔母ちゃんがお母さん役ってことか。ってことはケイゼルもどこかにいるはずだよね。じゃあ狐になっちゃうのもお話どおりなんでしょ?」
 どんなに奇妙なことが起ころうと、すべては物語の筋書きどおり。そう考えれば少しは気が楽になる。結末を知っているホラー映画を観るようなものだ。しかし安心しかけた深冬を真白が否定する。
「……残念だけど、それは不正解。『繁茂村の兄弟』に狐の話なんか一切出てこない」
 深冬はぽかんと口を開けた。
「えっ? じゃあ、どうして……ねえ、この話って最後はどうなるの?」
 すると真白はふと顔を曇らせ、言いにくそうに口ごもりながら打ち明けた。
「……村が滅びる」
「ええっ!?」
灰燼かいじんに帰すの。真珠雨のせいで植物は全滅、恨んだ村人に追い詰められたハウリは空に逃げて、二度と戻らなかった。それで愛する人を失ったベイゼルは怒り狂い、ケイゼルを殺しに行くんだけど、返り討ちに遭ってベイゼルが死んでしまう。ケイゼルは生き残ったけれど、二度と雨が降らなくなり、川の水はれ、家々は砂になって砕け、村人たちは全身が乾いて──滅びる。でも真珠の雨粒だけはいつまでも永遠に残る。それで終わり」
「そんな」
 深冬は愕然がくぜんとしながら街を見下ろした。真珠雨の白い粒が降り続く街は、茶色や青、白の屋根がモザイク状にひしめき、人々の動く影が見える。植物は実際に枯れはじめていた。深冬は冷たくなった手のひらをぎゅっと握りしめた。

(つづく)

深緑野分『この本を盗む者は』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321912000257/


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