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試し読み

中山七里史上、もっとも狡猾な警官登場! この男正義のヒーローなのか、それとも──。 「こちら空港警察」大ボリュームの試し読み実施!

中山七里さんの新作『こちら空港警察』の刊行を記念して、第1章をまるっと公開!!
空港を舞台に、新米署長が大活躍するお話……なのですが、この新米署長・仁志村がなかなかいけ好かない。なんともずる賢いし、とっても嫌味。まわりにいたら絶対仲良くなれないタイプ。そう思っていたはず、なのに読み終わったことには、なぜだが応援してしまっていること間違いなし!
そんな中山ワールドの新たなヒーローが空港に迫る危機に立ち向かう『こちら空港警察』、冒頭を大ボリュームで公開します。ぜひお楽しみください!



中山七里『こちら空港警察』試し読み#1

一 セレブリティ



「ウチのバンチちゃんは本当に大丈夫なんでしょうか」
 目の前の中年女性は、まるで今まさに入院する愛息を見送るような面持ちでいた。
「ママ友が、やっぱりイタリア旅行にニャンちゃんを連れて行ったんだけど、向こうの空港に到着したら可哀そうに死んでいたって。それを思い出したら、わたし心配で心配で」
 営業スマイルを貼りつけたまま、蓮見咲良は内心で鼻白む。チェックインカウンターの仕事をしていれば必ずこういう客に出くわす。
「この同意書にはご署名いただきましたよね」
 咲良は同意書のひな形を掲げてみせる。
『同意書CONSENT AND RELEASE
(手荷物・ペット用/BAGGAGE・PET)
 私は下記貴社航空便による私の手荷物・ペットの運送に当り、当該運送中に発生した下記損害について貴社に一切ご迷惑をおかけいたしません。
1.私の手荷物(タグ No.   )に含まれている下記物品の紛失・毀損又は引渡しの遅延
2.私のペットの死傷』
「確かに書いたことは書いたけど」
「納得してお書きいただけたのなら、よろしいかと存じます」
「同意書を書いたからには、バンチちゃんが命を落としても責任は取らないっていうのね」
「フライトのスタッフはお客様の安全とお荷物の保全に万全の注意を払っています」
 咲良が言葉を重ねても、中年女性は納得する素振りも見せずに不安を言い募る。
 ペットは「モノ」として分類され貨物室で過ごすことになるが、空調機で温度や湿度を管理しているので外因で体調を崩すことはない。ただし貨物室はエンジン音が大きく響き、気圧も変化するので、ストレスを感じることもある。だから航空会社では仔犬や老犬、その他ブルドッグなど短頭種の持ち込みを認めていない。しかし、それほどペットの体調が心配ならペットホテルに預ければいいではないか。モノ扱いとは言え、ペットの運賃は一区間あたり一ケージ六千五百円と決して安くない。
「貨物室と言っても条件は客室と全く同じです。出発ぎりぎりまでバンチちゃんと遊んであげてはいかがでしょうか」
 搭乗手続き終了の時間が迫ってくると、ようやく中年女性は矛を収めてカウンターから離れていった。
 だが安心したのも束の間、今度はカバンを提げた白髪交じりの男性が駆け足でやってきた。
「矢島だ。手続きしてくれ」
 男は名前を告げただけでこちらの対応を待っている。何かのジョークかと思ったが、落ち着きのなさからして本気らしい。
「お客様、チケットを拝見できませんでしょうか」
「あん? タカダ物産の矢島だよ。名前ですぐ手続きできるだろ」
「お名前だけではちょっと」
「月イチで乗ってるんだ。名前と顔はスタッフ間で申し送りされているだろ。もう搭乗手続きが終わる時間だ。早くしてくれ」
「申し訳ありませんが、ヤジマ様。お顔とお名前ではなく予約番号で登録しておりますので、チケットの呈示をお願いします」
 男の顔は焦燥から憤怒へと変わる。
「時間、ねえんだよ」
「ええ。ですからお早くお願い致します」
「だから名前で分かるだろ。や、じ、ま、こ、う、い、ち、だ」
「恐れ入ります。当社での予約は例外なくアルファベットと数字の組み合わせ番号で登録されておりますので、お名前では照合できかねます」
 男の顔に赤みが増す。すわ激昂でもするかと咲良は身構えたが、男は歯を剝いてカバンの中を漁り始めた。レシートの束、おしぼり数袋、ファイル、ヘッドフォン、タブレット端末、ボールペン等々が出るわ出るわ。どうやら何でもかんでも適当に放り込んで、搭乗チケットの在り処が分からなくなっていたらしい。
 ようやく捜し当てたようで、男はくしゃくしゃになったチケットをカウンターに投げつけた。
「ほらよ」
 咲良は笑顔を崩さぬまま、記載されている番号を打ち込んで予約状況を確認する。
「ありがとうございました。確認が取れました」
「最低の対応だな。クレームを覚悟しておけよ」
「いってらっしゃいませ」
 既に当該機の搭乗が始まっており、男は振り返ることなく保安検査場へと急ぐ。
 この手の客も珍しくない。カバンの中に紛れ込んだチケットを捜すのに往生したのは事実だろうが、それ以前に自分が顔パスでチェックインカウンターを通過できる人物であるのを確認したかったに違いない。幼稚な承認欲求だ。念のため、顧客リストを検索すると男のプロフィールが表示された。
『氏名矢島紘一、勤務先タカダ物産、クラスサファイア 執拗なクレーマー レベルC』
 仲間内での申し送りで要注意人物であると分かる。しかしブラックリストに載せるほどではない。
 各航空会社によって規定は異なるが、咲良の会社では旅客運送約款第16条に抵触したケースをブラックリストに登録している。いくつか例を挙げれば次の通りだ。
・飲酒などで他の客に迷惑をかける。
・地上職員や客室乗務員の指示に従わない。
・機内迷惑行為。
 更に機長の指示に従わず迷惑行為を継続した場合は処罰対象となり、運送を拒否する。いずれにしても矢島のような振る舞いをする人物は情報共有しておくべきだろう。咲良は今のやり取りを記録として打ち込んだ。
 咲良が成田空港のGS(グランドスタッフ)として働き始めて、もう五年になる。元々はCA(キャビンアテンダント)に憧れて入社したのだが、身長が規定に四センチ足りないという理由だけで地上勤務に回された。
 意に染まない配置ではあったが、従事してみれば地上勤務も刺激的な仕事だった。毎日がトラブルの連続だったが、解決や回避を繰り返すうちに経験値が上がっていくのが楽しかった。
 だが地上勤務をひと通りこなせるようになると、新鮮な経験よりも不快な経験の方が目立ってくる。4勤2休の職場環境はともかく、接客で心を削られることが多過ぎる。
 小休止の時間がきたので交替してカウンターを離れる。向かう先は休憩室だ。
 成田空港に勤めてよかった点の一つは職員用の休憩室が充実していることだ。羽田空港は部屋の数が少なくスペースも狭い。スペースが狭いということは仲の悪い同僚や煙たい上司と顔を合わせる確率が高くなるのを意味しているので、精神衛生上よろしくない。休憩室は広いのが正義だ。しかも休憩ソファーは深く沈む。
 休憩室に飛び込んだ咲良は、まずハイヒールを脱ぐ。長時間の立ち仕事の上、重いスーツケースを持ち上げることも多く常に足は痛む。巻き爪や靴擦れもしょっちゅうで地上勤務の職業病のようなものだ。
 咲良が備え付けの自販機で買った微糖コーヒーをひと口啜っていると、同期の山吹千夏が苛立った様子で現れた。
「お疲れ」
「お疲れ」
 千夏は自販機でコーラを買うと、腰に片手を当てて豪快に中身を呷る。千夏がこの飲み方をするのは決まって何かのトラブルに遭遇した時だ。
「荒れてんねえ、山吹」
「今日のはまだ大したことない」
「シフト、第二のラウンジだったよね」
 咲良の会社ではビジネスやファーストといったアッパークラスの乗客のためにラウンジを用意している。咲良や千夏たちはシフトを組んでラウンジでの接客も務めているが、アッパークラスの客だからといって人間が上等とは限らない。咲良自身、ラウンジで嫌な思いをしたのは一度や二度ではない。
「何があったの。ま、大体見当つくけどさ」
「ナリタ建設のクソ野郎がさ。ラウンジのワインをしこたま飲んで泥酔してやんの」
 仲間内では『ナリタ建設のクソ野郎』だけで話が通じる。一部上場企業の課長で週に一度はラウンジを利用する男だ。
「酔っ払うだけならまだしも、わたしに絡んできたのよ。酒を注げとかCAを紹介しろとか。絶対、ホステスか何かと間違えてる」
「最悪。でも、あいつに絡まれてよく逃げられたね」
「助けてくれたのよ、あの山崎さんが」
 咲良は即座に山崎の顔を思い出す。仲間内では『ナリタ建設のクソ野郎』よりも有名で、その素性は広域暴力団の幹部だ。だが決して強面の男ではなく、むしろくたびれたサラリーマンの見てくれだ。反社会的勢力の一人には違いないが、ラウンジでは借りてきた猫のようにおとなしく礼儀正しいので咲良たちから気に入られている。
「運よく近くの席に座っていてさ、間に入って『タダ酒で酔いなさんな、みっともねえ』ってひと声。いやあ、あの人、あんなドスの利いた声出せるんだ。クソ野郎、尻尾を巻いて逃げていった」
 千夏はせいせいしたように言う。
「ヤクザ屋さんを褒める訳じゃないけど、ことラウンジに限っては一部上場企業の課長の方が反社会的よね」
 事情を知らぬ者が聞けば目を剝くような話だが、咲良は頷かざるを得ない。先刻のヤジマといい『ナリタ建設のクソ野郎』といい、ラウンジで態度が横柄だったり狼藉を働いたりする者は、決まって会社の経費で出張しマイルを貯めて悦に入る社用族ばかりだ。いい大人が恥ずかしいと思うが、SNSに向かって吐き出す話でもないので同僚相手に愚痴をこぼすに止めている。
「賭けてもいいけど、ああいう人たちって、自分のおカネじゃ絶対にファーストクラスに乗らないよね」
「でも山崎さんが居合わせたからよかったものの、本当ならお巡りさんに対応してもらうべきだったんじゃないの」
「警察って」
 千夏は馬鹿馬鹿しいというように肩を竦める。
「ここの警察が全然あてにならないのは、蓮見だって知ってるでしょうに」
 成田空港には第1、第2ターミナルに三カ所ずつ、そして第3ターミナルにも一カ所、成田国際空港警察署の詰所がある。結構な密度だとは思うものの、民事不介入の原則からか客とのトラブルには一切関わろうとしない。そうした事情から咲良たちGSの間では役立たずと見做されているのだ。
「そう言えばさ、山吹。空港警察、今日から新しい署長さんが赴任するでしょ。名前は確かニシムラ」
「興味ない。一切、ない」
 千夏は言下に切り捨てる。
「大きな組織なんて、責任者が替わったくらいじゃ変わりゃしないよ。現にウチがそうじゃない」


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