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試し読み

甘粕教官の元婚約者、現る――吉川英梨『警視庁01教場』第1章までをまるごと試し読み#4

警察小説を軸に新しい挑戦を続けるミステリー作家・吉川英梨。その待望の新シリーズ『警視庁01教場』(角川文庫)が、2023年11月24日(木)に発売となりました。
刊行を記念し、プロローグから第1章の終わりまでまるごと読める試し読みを掲載! 全4回の連載形式で毎日公開します。
気になる物語の冒頭をぜひお楽しみください!



書き下ろし新シリーズ始動!
吉川英梨『警視庁01教場』大ボリューム試し読み#4

 塩見は高杉ら一三三○期の教官助教らと、警察学校を出た。
「五味に連絡ついたか」
 高杉に肩をぐいとつかまれる。
「つきましたけど、無理そうです。たてこんでいるみたいですよ。めちゃくちゃ早口で、ブチッて電話切られちゃいましたよ」
 捜査一課の忙しさは経験してわかっているつもりだが、敬愛する五味にそっけなくされるのは悲しい。
「五味さんってもっと穏やかで優しいイメージがあったんですけどねぇ」
「それは警察学校の中だけだよ。あいつは教官としては新米、新天地だったからな。でも捜査一課では違うだろ。やつのフィールドだから、本来の自分になっちゃうんだよ」
「本来の五味さんは冷たいというんですか」
「そうだよ。俺らが学生のときも五味チャンは俺に超冷たかったもん。仲良くしてくれるようになったのは、同じ教場を持つようになってからだからな」
 五味と高杉はへいせい十三年入庁の一一五三期で同教場の仲間だったらしい。当時の二人がどんな青春時代を過ごしたのか、塩見ら教え子たちは興味津々なのだが、どれだけ酒を飲ませても、教えてくれなかった。
 正門脇の練習交番の前を通り過ぎようとして、スーツ姿の訪問者が目についた。濃紺のスーツに青いストライプのネクタイで、髪を短く刈っている。四十代くらいの男だ。
「本部の島本と言います」
 ピーポ君が印刷された薄っぺらい名刺を出していた。警察外部の人間に出す名刺だ。内部の人間や他の公安機関、省庁の人間に出す名刺はもっと分厚くて、金色の桜の代紋が入っている。男は「甘粕警部補に会いたいのですが」と当番の学生に申し出ていた。
「甘粕教官なら、もう帰られましたよ」
 塩見は声をかけた。島本と名乗った刑事は落胆したふうだ。
「そうでしたか。いや、ありがとうございます」
 深く一礼し、困ったように苦笑いした。八重歯が見えて中年男ながら無邪気に見えた。仕草も警察官ぽくない。ちらりと名刺の肩書をのぞき見る。公安部の刑事だった。
 警視庁公安部は、テロリストや国家転覆を狙う暴力集団の内偵や捜査、摘発を行う部署だ。国家を守るという意識が強いエリート集団でもある。市民よりもまず国家と考える連中を、「情報は取っていくのに自分たちの情報は一切教えない、嫌な奴らだ」と悪く言う警察官が多い。島本の警察官然としていない物腰は、公安部という秘密主義の組織にいるせいだろうか。
「甘粕教官の学生さんですか」
 島本に学生と間違えられ、塩見はちょっとムッとする。
「僕は甘粕教場の助教官です」
 名刺を渡した。学生は巡査だが、塩見は巡査部長だ。
「お若いからてっきり学生さんかと。すみません。僕は公安部の者ですが」
「甘粕教官にどのようなご用ですか?」
「僕は、甘粕警部補の婚約者なんです」
 元、ですが──と島本は付け足した。

 島本は教官助教連中の誰よりもペースが速かった。
 今日の飲み会は十六人という大所帯なので、個室に並べた二つの長テーブルで飲んでいた。いまはみな散り散りになり、好き勝手な場所で飲んでいる。五人くらいは帰った。
「ねえ塩見さん、聞いてますか。僕ってそんなにイケてないですかね」
 酔っぱらった島本が塩見に顔を突き出してくる。面倒くさい。高杉のいるテーブルに逃げたいが、上司の親しい人ならばと仕方なく島本の隣で飲んでいるのだ。
「いつもいつも、仁子ちゃんには逃げられちゃうんだよなぁ。今朝もね、新しい警察人生のスタートがんばれってメッセージを送ったんですけどね。既読無視」
 島本は酔いからか鼻が真っ赤だ。リアルな公安部の刑事はこんなものだろうか。ときおりのぞく八重歯が子供っぽくも見える。
「元婚約者ということですが、破局の原因はなんだったんですか」
「破局、ねえ。正確には破局とは言わないんだけど」
「じゃ婚約中?」
「婚約には至っていないというか。仁子ちゃんが大けがを負った件があるから。僕はあの現場にいたんですよ」
 塩見は驚いた。
「レインボーブリッジの鉄塔から落下したのを見ていたんですか?」
「いや、現場は見ていないんだ。直前まで、お台場のホテルのロビーでデートしてたの」
 プライベートのさ中の出来事だったのか。追跡の態勢が取れていなかったのだろう。
「そのころから甘粕教官と婚約していたんですか」
「あれが初対面だったのよ。だからいろいろと複雑なんだ」
 互いの上司が勧めるお見合いの場での出来事だったらしい。
「僕は仁子を見て一目ぼれだよ。長い髪を巻いていて、色っぽかった。つやつやのぷるんとした唇に一瞬で恋に落ちちゃったの」
 塩見は想像しようとしたが、うまくいかない。いまの仁子は女っ気のひとつもない。警察学校の教官になって見てくれを派手にできないからだろうが、島本の話す仁子とはあまりにかけ離れている。
「だけど仁子は俺のことなんか眼中にない。俺とお見合いしつつも、人の流れを観察していたんだ。よりによって、半グレの堀田光一を見つけちゃったもんだから」
「島本さんも一緒に追跡をしたんですか」
「一応ね。でもあっという間に見失った。お台場の人混みを右往左往しているうちに、捜査員と堀田がアンカレイジの最上階付近から落下したと報告が入ってきた」
 アンカレイジとはり橋部のワイヤーを納める施設のことらしい。堀田と仁子はアンカレイジから延びるワイヤーにしがみつき、揃って落下したらしい。
「堀田は海に落ち、仁子はレインボーブリッジの遊歩道に転がり落ちたんだけど、後頭部を強打して意識不明の重体だよ。僕が次に仁子と対面できたのは、病院のERだった」
 急性硬膜下けつしゆですぐに開頭手術をせねばならない状態だったらしい。
「脳圧がなかなか下がらなくてね。命も危ないと言われた。一生意識が戻らないかも、なんて脅されちゃったし」
「その日が初対面だったんですよね」
 島本はテーブルを見つめ、こっくりとうなずいた。
「家族に連絡してやりたくても、連絡先すら知らない。緊急手術の同意書を見せられても、しよせんは他人だからね。サインしてやれないし」
 一目ぼれした女性がその日のうちに死線をさまよう──島本も混乱しただろう。
「僕は好意を持っていたけど、仁子ちゃんがどう思っていたかはわからない。そばにいるのも迷惑な話かもしれないから、ご家族が駆け付けるまでと決めていたんだ」
 ところが、翌日になっても、家族は誰一人やってこなかったらしい。
「一週間後にようやく父親だという人が来たんです。手術の同意書とか必要な書類だけ書くと、僕を親しい間柄と勘違いして言うんです」
〝意識が戻ったら呼んでください〟
「で、さっさと帰っちゃった」
「ずいぶん冷たい父親ですね」
「お母さんの再婚相手みたいですよ。仁子はお母さんとも仲が悪いみたい」
 島本がスマホを出し、画像を見せた。病室で生命維持装置につながれている仁子の画像だった。顔がいまの倍くらいの大きさに膨れ上がっていた。塩見は見ていられない。
「義理の父親が直視できないのも、無理はないです。僕もそりゃつらかった。だからこそ、奇跡を見ているみたいでしたよ」
 島本が画像をスクロールしていく。病室で寝ている仁子の顔を毎日撮影し、見守り続けていたようだ。
 赤黒くれあがっていた仁子の顔が少しずつ小さくなっていき、あざも薄くなっていく。二週間後には顔の輪郭がくっきりとしてきて、一か月後には痣も引いて血色がよくなった。呼吸器も外れた。奇跡の回復の様子をコマ送りのように見せられると、素顔の仁子の美しさがより際立って見えた。
「僕は毎日、せっせと病院に通いました。残業途中に抜け出して、仁子のお見舞いをしてからまた本部に戻って仕事をした日もありました」
 差し入れをしたり、着替えをランドリールームで洗ったり、世話を焼いていたようだ。
「仁子の意識が回復したのは、事故から十日目のことですが、えらく暴れたんですよ。脈を取ろうとする看護師を平手打ちして、注射器を構えた医師にこぶしを振り上げた。彼女の意識はまだ堀田と格闘している真っ最中だったんでしょうね」
 すぐに落ち着いたが、直後にまた仁子は混乱したらしい。
「今度は記憶障害です。自分が直前までなにをしていたのか覚えていない。刑事が聴取に来たのですが、仁子は堀田を追跡中に落下したことすら、記憶にないようでした」
 頭部を強打したせいだろうか。
「僕のことも、覚えていなかった」
 島本は深いため息を挟んだ。気が付けば、島本と塩見の周りに、教官助教が集まっていた。同じ期の新米教官がどのような人物なのか、みな気になっていたのだろう。
「噓をついた僕が悪かったんです」
 島本が先走り、深いため息をついた。
「ある日、洗濯に行こうとした僕に、仁子がいたんですよ。あなたは誰なの、って。僕はつい婚約者だと言っちゃった」
 いつの間にか話に入っていた高杉が、島本の首を絞め上げた。
「島本さん、それはずるい。あの美女をそんな風に手に入れようとするのはダメだ!」
 高杉は女好きだ。半分笑いながら島本をからかう。
れちゃって、どうしようもなかったんですよ」
 高杉は飲め飲めと島本に日本酒を注ぐ。
「結局、なんで破局したの」
「まあ、噓がバレてフラれたということです」
 島本は両腕をテーブルについて、顔をうずめてしまった。
「感謝しているけどどうしても無理と言われた僕の気持ち、わかりますか……!」
 高杉は冷たい。
「そりゃあんた、婚約者だなんて噓つくのが悪い」
「ところで、その堀田光一という手配犯はその後どうなったんでしたっけ」
いまだ行方不明です」
 島本がお猪口ちよこをじっとにらみつける。
「警視庁や海上保安庁が一週間も東京湾を捜索したそうですが、見つからなかった」
 堀田は海に落下したあと、逃亡したのか海のくずと消えたのか、わからないらしい。
「そりゃまた不気味な話だな、おい」
 高杉がぼやいたとき、彼のスマホがバイブした。高杉の表情が一変する。
「五味チャンだー!」
 子供のようにはしゃぎ、立ち上がる。わざわざ個室の外に通話しに行った。もう二十三時になっている。そろそろお開きだろうと思っているが、高杉はまだ飲む気のようだ。「早く来い、いつもの『飛び食』だ」と五味を誘っている。
「島本さん、明日も早いでしょう。そろそろ……」
 促してみたが、島本はウィスキーをグラスに注ぐ。急にかしこまった。
「なにはともあれ、塩見助教。うちの仁子をどうぞよろしくお願いします」
 塩見も一応背筋を伸ばし、頭を下げた。電話を終えた高杉がしょんぼりした様子で戻ってきた。
「五味さん、来られないんですか」
「なんかバタバタしているらしいぞ。ほら先週──」
 高杉が塩見と島本の間に強引に割って入る。島本は座布団に根っこが生えたかのように動かないので、仕方なく塩見が脇にズレた。
「警官がけん銃で撃たれて死んだだろ」
 高杉が小さな声で言った。
あざ署管内でしたね」
 組織犯罪対策部の刑事が自宅マンションで倒れているところを発見された。頭部から銃弾が発見されている。島本が嘆いた。
「ヤクザのお礼参りですかね」
 高杉は首を傾げる。
「いまどきそんな元気なヤクザがいるかな。どこもかしこも暴対法と暴排条例で首が回んない状況なのに」
「あの件の担当なら、五味さんは自宅に帰れないでしょうね」
 塩見が言うと、しょんぼりしていた高杉が大きな手をたたいた。
「そうだ! あやちゃんを呼ぼう」
 スマホをスクロールしやま綾乃の番号を表示させた。五味の妻で、彼女も刑事だ。
「ダメですよ、五味さんの奥さんは第二子妊娠中です」
「チクショー、どいつもこいつも! そうだ。を呼ぼう」
 塩見は慌てた。
「それはダメ。絶対ダメです」
 島本が話に入ってくる。
「さっきから登場人物が全然わからないんですが。五味さんって何者ですか。結衣さんというのは誰です」
「結衣ちゃんは五味さんの娘で──」
「違う! 俺の娘だ!」
 高杉が叫んだ。この辺りの人間関係を説明するのはとても難しい。他人の塩見が勝手に話していいとも思えない。
 大昔、高杉の元恋人が内緒で娘を産んだ。それが結衣だ。シングルマザーをしていた高杉の元恋人を、五味がめとったということらしい。その元恋人、つまり五味の元妻は、ずいぶん前に病気で亡くなっている。高杉は、自分の元恋人が自分の子供を産んでいたとは知らずに、別の女性と結婚している。
「結衣ちゃんは警察官じゃないんですから、この場に呼ぶのはよろしくないでしょう」
「なんでダメなんだ。俺のかわいい娘だぞ! 成人済みだぞ!」
 実の娘を自分の職場の飲み会に呼ぼうなんて考える父親はいないだろう。島本も変な顔をしている。高杉は結衣をできあいしていて、結衣の言うことなら何でも聞く。
 二十三時で飲み会はお開きになった。店の前でバラバラになったが、高杉がもっと飲もうと塩見についてきた。官舎の前でめてしまう。
「自宅は汚いので、勘弁してください」
「警察学校で整理せいとんをあれだけ教え込んだだろう! 助教にまでなって部屋が汚れている言い訳は通らない」
 高杉は強引に言うが、優しくささやく。
「俺、コンビニで酒を買ってくるからさ、その間に片付ければいいだろ?」
「しかし明日もありますし……」
 高杉が抱き着いてくる。
「お前はどこか五味チャンと似ているからさ、もっと一緒にいたいんだよう。頼むからもうちょっと一緒にいてくれよ」
「五味さんがいなくて寂しいのはわかりますけど、もう終電なくなりますよ」
 高杉が急に真顔になった。
「お前、正直に言え。なんで俺に上がられたら困るんだ。女か」
 高杉に背中を叩かれた。バイクがぶつかってきたくらいの衝撃に思えた。
「隠す必要ねえだろ。どこの子だよ」
 塩見は後頭部をかいて、どう説明すべきか考える。
「ははん。さては身内だな」
 その通り、身内だ。最も高杉は〝警察組織内にいる女〟という理解だろう。
「わかったよ。帰るか。ああ、さみしい」
 高杉はとぼとぼと駅に向かって歩き出した。あの背中は呼び止めたくなるが、ぐっとこらえて見送る。部屋に帰った。
「圭介君、お帰りッ」
 恋人の五味結衣が、塩見の首に抱きついてきた。

(続きは本書でお楽しみください)

作品紹介



警視庁01教場(角川文庫)
著者:吉川 英梨
発売日:2023年11月24日

多彩な人間ドラマ! 驚きをいくつも秘めている号泣教場小説!
甘粕仁子は見当たり捜査員だったが、犯人追跡中に大けがを負い戦線離脱。警察学校の教官になった。助教官の塩見とともに1330期の学生達を受け持つが、仁子の態度はどこかよそよそしい。やがて学生間のトラブルも頻発。塩見は、教官、助教官の密な連携が不可欠と感じる。そんな矢先、警察学校前で人の左脚が発見される。一体誰が何の目的で? 教場に暗雲が立ちこめる中、仁子が人知れず抱えていた秘密が明らかに――!

詳細ページ:https://www.kadokawa.co.jp/product/322305000330/
著者特設サイト:https://kadobun.jp/special/yoshikawa-eri/
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