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使命と私情の両立に新時代のステージを感じさせる海上保安官小説――吉川英梨『海の教場』レビュー【評者:門賀美央子】

最高の学校と仲間が、生き方を教えてくれた。海上保安学校が舞台の教場物語
吉川英梨『海の教場』

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吉川英梨『海の教場



使命と私情の両立に新時代のステージを感じさせる海上保安官小説

評者:門賀美央子(書評家)

 海の安全を守る。
 それが海上保安官に課せられた任務だ。
 漫画『海猿』で一躍有名になった海難救助活動はもとより、治安確保や領海警備、さらには海洋環境の保全まで幅広く担う。そんな“海の守護神”とも呼ぶべき存在を育成するための学校があるのをご存知だろうか。
 海上保安学校だ。本作『海の教場』はそこを舞台にしたヒューマンドラマ、と聞くと「希望に満ちた若者たちが切磋琢磨しながら成長していく姿を描くさわやかな青春もの」が思い浮かぶかもしれない。だが、本作の著者・吉川英梨は、そんなストレートな物語で済ませるタイプの作家ではないのである。
 今回の主人公はなんと教官、しかも経理や船内生活の維持を担当する「主計科」という裏方部門出身の45歳独身男なのだ。
 吉川作品で海上保安庁関連というと「海蝶」シリーズを思い起こす向きも多いことだろう。あちらは海上保安庁初の女性潜水士・忍海愛を主人公に、息詰まるサスペンスが繰り広げられるわけだが、こちらの主役・桃地政念は白いものが混じった七三分けの短足メタボで、物語の開始時には霞が関でデスクワークの日々を送っている。なんだか冴えない。
 しかも、教官になる決心をしたのとて、後進育成に熱い想いを抱いたから……ではない。ずっと愛していた女性・高浜彩子の元に行くため、だった。異動希望の理由が使命感ではなく女のためだなんて、とても“今どき”だ。
 彩子は海上保安学校の同期で、親友の妻となるはずの人だった。だが、結婚を目前にして友は殉職し、すでにお腹に命を宿していた彩子はシングルマザーになった。桃地は、そんな彼女と生まれてきた息子・悠希を陰に日向に支えていた。幼い悠希が本当の父と勘違いするほどに。それなのに、彩子からプロポーズされるやいなや、まるで逃げるようにして二人の前から姿を消した。当時の桃地には、どうしても結婚できない理由があったのだ。
 以来、会うこともなかった彩子から急に連絡があった。浮足立つ桃地。だが、十五年ぶりの再会は、最期の別れを告げるためだった。彩子は、肝臓がんで余命一年の宣告を受けていたのだ。
 普段はのほほん、だが決意したら即行動、大胆なこともやってのける桃地は、すぐさま昔の上司に直談判して彩子が入院する舞鶴への転属を要求、見つかった唯一の空きポストが海上保安学校の教官だったのである。
 そんな事情で始まった教官生活は、最初から波乱の気配に満ちていた。
 十五年ぶりに会った悠希は、自分たち母子を捨てた桃地をガン無視。学校で待っていたのは、クラスメイトに自殺者が出たせいで生気を失ってしまっている学生たち。さらに新居となった官舎では怪談騒ぎまで勃発する。山積みの問題を前に、桃地は新米教官として、そして愛する女性を守りたい男として、どう戦っていくのか。
 一般的に、特殊な職業の世界を描く小説の主人公は才能豊か、あるいは魅力的であるケースが多い。だが桃地は行動力こそあるものの、その他はごく普通。彩子のようにレジェンド級の海上保安官というわけでもない。
 けれども、誰よりも明るく前向きな人柄で、眼前に困ったり悩んだりしている人間がいたら助けずにはいられないあたたかな心を持っている。そして、海上保安官の仕事を誇りに思っている。だから、自信喪失気味の学生や失恋しそうな学生がいれば黙っていられないし、海上保安官の心得を理解できていない学生や己の道を見失いそうになっている同僚は思いっきり叱る。おせっかいで、懐が深い。人間味たっぷりの愛すべき人物なのだ。
 だが、そんな彼でも救い方がわからない人がいた。他ならぬ彩子だ。とっくに死を受け入れてしまっている彼女に、どうやって生きる希望を蘇らせるのか。人生最大の壁にぶつかった桃地が取った行動とは……。
 吉川作品にはしばしば「組織の常識」「世間の常識」に風穴を開ける人物が登場するが、桃地もまたそんな一人だ。使命と私情が対立した時、日本では私より公を優先させる自己犠牲が讃えられてきたが、著者は両立させる道を本作で示した。私たちは、新時代のステージに立っている。そんなことを強く感じさせてくれる小説である。

作品紹介・あらすじ
吉川英梨『海の教場』



海の教場
著者 吉川 英梨
定価: 1,980円(本体1,800円+税)
発売日:2022年07月04日

最高の学校と仲間が、生き方を教えてくれた。海上保安学校が舞台の教場物語
桃地政念ももちまさむねは、海上保安官の中でも調理・経理・庶務などを担当する縁の下の力持ち部門「主計」の専門官。海上保安官といえど、海猿でもヒーローでもなく、小柄でメタボが気になる独身彼女ナシの中年だ。
霞が関勤務の彼がある日、学生時代のマドンナ・高浜彩子から呼び出された。彩子は女性ヘリ操縦士の草分け的存在で、桃地とはある因縁を持つ。
ドキドキしながら向かった待ち合わせ先で告げられたのは「肝臓がんで余命一年」。京都府舞鶴市の病院に入院するという。シングルマザーの彩子は、息子の悠希が春から舞鶴の海上保安学校に入る予定で、そのそばで過ごすためのようだった。
彼女のために現地への異動を企てた桃地は同校の教官として赴任することに。船舶運航システム課程主計コース3組の担任となったが、腐れ縁の校長・比内から、ある事情がクラスに重い影を落としていることを聞かされ……。

命と向き合う機会の多い、海上保安官という仕事。明るく人間味あふれる桃地の、学生たち、そして愛する人とのかかわりの日々に、感涙間違いなし!

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322202000845/
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