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試し読み

「お嫌じゃないですか? このような授業の体制は」指導教員の問いかけに――【『かたばみ』試し読み#04】

うちのぼりさんの『かたばみ』が第10回山中賞を受賞しました!

【山中賞とは】
高知市の「TSUTAYAなか店」の書店員であり、フリーペーパー「なかましんぶん」の編集長を務める山中由貴さんが、お客様に「どうしても読んで欲しい」と思った本の中(翻訳書も含め、ジャンルは問わず)から独自に選出する「山中賞」。年に2回、芥川賞・直木賞よりひと足早く発表され、受賞によって販売数が10倍になった書籍も!

本作は太平洋戦争中から戦後にかけての日本を舞台に、血の繫がらない親子が向き合い、生きていく様を描いた笑いと涙のホームドラマです。新聞連載時から大きな反響を呼び、数多くの感想が寄せられました。
この度、山中賞の受賞を記念して試し読みを公開! 全5回の連載形式で毎日配信します。気になる物語の冒頭をお楽しみください!



第10回山中賞受賞記念
直木賞作家・木内昇が描く笑いと涙の家族小説
『かたばみ』試し読み#04

 昇降口で生徒を出迎えていた、小使いさんらしき初老の男性に場所を訊き、まずは一階の階段そばにある校長室で挨拶を済ませた。銀髪を隙なくなでつけた校長は、「ああ、君ですか」と微笑んだきりで、細かなことは職員室へ行って教頭に訊くように、と指示をした。
 職員室は校長室とは階段を隔てた隣で、入口で名乗ると、すぐさま頭の薄い、上半分だけ縁のある両端のり上がった眼鏡を掛けた、前歯のかなり出っ張った人物が滑るように近づいてきて、悌子の上から下までをげんな顔で眺めたのち、
「山岡先生ですな。教頭のくらはしです」
 と、早口で名乗った。
「先に、書類に署名をお願いします」
 彼は自分の机の抽斗ひきだしから用紙を取り出すと、部屋のもっとも下座にあたる場所に置かれた机まで悌子をいざない、机上に置いた用紙を、人差し指でとんとんと二度ほどつついた。
「ここが山岡先生の机です。筆記用具はありますね?」
 まわりに座っていた教員が、悌子に向けて軽く会釈をした。それに応えて頭を下げつつ、ペンを取り出して椅子に座ると、ミシッと嫌な音がしりの下で鳴った。
「これ、ここもね、仕様を変えなければならなかったんですよ」
 小金井中央国民学校、と印字された箇所を教頭は小突いた。おととし、政府の通達に従って、小学校が国民学校と名を変えた。そのためこの学校でも、門札から印鑑、書類に至るまで、すべて作り直さなければならなかった。それにかかった費用は七十円にも上ったのだ、と彼は眼鏡をせわしなく押し上げながら言うのだ。適当にあいづちを打ちながらも悌子は、そうせきの『坊っちゃん』に登場する赤シャツを思い浮かべている。
「山岡先生は、体育の専門学校のご出身でしたな。ここでは女子に薙刀なぎなたの授業がありますから、受け持っていただけそうだと期待しておるんですよ。なにせ、若い男性の教員がだいぶ減ってしまって」
 教頭は、悌子の体に今一度目をやり、これなら大丈夫だ、とでも言うように深くうなずいた。
 この学校の教員数は全十九名。うち半分が女性だという。男性教員が次々出征したために万年人手不足で、悌子のような代用教員を補充しながら学級数を減らし、一教室に詰め込めるだけ生徒を詰め込んで、どうにかしのいでいるのだと教頭はためいきに交ぜて言った。
「山岡先生には、しばらくよしかわ先生について、五年三組を受け持っていただきます。文部省からは、男女で学級を分けるように、と通達がきておるのですが、教員不足もあって、うちは男女一緒の学級です。それと指導要綱の写しをお渡ししますから、必ず頭にたたき込むように。お願いしますよ」
 口調こそいんぎんだが、「叩き込むように」なんぞと険しい顔で言うあたり、くせものだな、と悌子は用心する。こういう権威主義者は体育関係者にもよくいる種で、保身のためなら人を平気で陥れるのだ──と、そこまで憶測してかぶりを振った。こうやって人に会うなり人品骨柄を見定めるのは、悪い癖だと自覚している。兄たちからも「他人をそんなにすぐにわかった気になるんやない。千里眼でも気取っとるのか。ざかしいからよせ」と、再々たしなめられてきたのだ。
 この日は、新一年生入学の日でもあった。とはいえ時節柄祝典はせず、通常の朝礼で済ませるという。予鈴が鳴るまでに書類をしあげ、悌子は教頭について校庭へ出た。生徒たちはきちんと列を作り、朝礼台の前に並ぶと直立不動の姿勢をとった。その間、一切私語は慎んでいる。ちょこまか動いているのは、まだ学校に慣れない一年生だけである。
 校長が、おもむろに朝礼台に上がった。
「国旗掲揚」
 彼が唐突に発した大声に悌子が驚くうちに、掲揚台のかたわらに控えていた教員が、するすると日の丸の旗を揚げはじめた。
 と、生徒がいっせいにそちらに体を向けたのである。ここでもまごまごしているのは一年生と悌子だけである。教師が生徒らの間を縫いながら、
「そら、鼻柱をちゃんと国旗に合わせんかっ」
 と、しつせきしている。どうやら国旗が揚がるのに合わせて顔をあおけていくものらしい。
 ──いつからそんな決めごとが……。
 戸惑いながらも、悌子は生徒にならう。鼻柱がちゃんと国旗に合っているのか、自分ではよくわからない。
 掲揚が終わると、校長の訓話である。
「君たちは、この皇国に生まれたことを感謝してください。常に日本国民たる光栄と責任に感激し、和と誠をもって全校一心錬成の実を挙げ、誓って心身共にすぐれたる大皇国臣民になれるよう心掛けてください」
 ──今や学校は、こんなことになっとるのか。
 目の前の光景を悌子はぼうぜんと見守る。
 訓話ののちに国歌斉唱が三度も繰り返され、東に向いてのきゆうじようようはいがなされた。その後、教頭が壇上に立ち、教育勅語の奉読が行われた。生徒はこれを、頭を下げて聞かなければならないらしく、長い奉読の間、九十度に身を折って耐えていた。頭に血が上ったのか、ふらつく者、あおばながだらりと垂れたままの者もある。それでもしゃがんだり、洟をすすったりすることさえ禁じられているらしかった。
 朝礼だけですでにぐったり疲れて職員室に戻ると、「山岡先生ですな」と、朝方昇降口に立っていた小使いさんから声を掛けられた。
「私、吉川ひろしと申します。五年三組の担任です。しばらく先生の指導教員となりますので、よろしくお願い致します」
「えっ、あっ、あの、すみません」
 思わず詫びた悌子を不思議そうに見返した吉川は、よわい五十過ぎで、この学校では一番の古株だという。至って温厚そうな顔立ち、白髪交じりの眉毛は目を覆わんばかりに長く、けた頰に長い顎と相まって、どこか白ヤギを彷彿とさせた。
「山岡先生は体育がご専門だそうですな」
 五年三組の教室へと廊下を並んで行く途中、吉川は言って、目尻にシワを刻んだ。
「はい。体育の専門学校に通っておりました。ただ、地元の高等女学校を出ておりますから、一通りの教科は学んでまいったつもりです」
「それは心強い」
「あ、ですが、人に教えた経験があるのは槍投げだけでして。わからないことだらけですので、どうぞご指導のほどよろしくお願い致します」
 深く頭を下げると、彼はその小さな目をしょぼつかせ、そっと溜息をついた。
「実は、私もわからないことだらけなんですよ。国民学校になってから、教育方針がだいぶ変わりましてね」
 吉川はそこで、いくぶん声を落とした。
「我が校でも国民科の修身に特に力を入れるようになったんです。なかなか改変についていけず、私も難渋しております」
 薄くなったつむじのあたりを、彼は控えめにかいた。そうして、しばし考えるふうをしてから、案外な問いを投げかけたのだ。
「お嫌じゃないですか? このような授業の体制は。ことに修身なぞは、御国のために命を捧げよと説く内容が主になっておりますし、体錬科もほとんど軍事教練に等しくなっておりますし」
 意味をむのに時間を要した。なにを「嫌」だと、吉川は訊いたのだろう。
「先ほどいただいた指導要綱には、国民皆兵ということを心に留め、生徒たちには少国民として銃後の守りをするよう指導することと書かれていました。そのような教育ができるよう努めてまいる所存にございます」
 とりあえず模範解答と思える言葉を悌子は差し出したのだが、吉川は少しばかり落胆したような力ない笑みを浮かべただけだった。
「……私、なにか、おかしなことを申しましたでしょうか」
「いえ、立派なお答えでしたよ」
 吉川はすっと目をらした。その顔からは最前までの笑みが消えている。

(つづく)

作品紹介



かたばみ(KADOKAWA刊)
著者:木内 昇
発売日:2023年08月04日

「家族に挫折したら、どうすればいいんですか?」
太平洋戦争直前、故郷の岐阜から上京し、日本女子体育専門学校で槍投げ選手として活躍していた山岡悌子は、肩を壊したのをきっかけに引退し、国民学校の代用教員となった。西東京の小金井で教師生活を始めた悌子は、幼馴染みで早稲田大学野球部のエース神代清一と結婚するつもりでいたが、恋に破れ、下宿先の家族に見守られながら生徒と向き合っていく。やがて、女性の生き方もままならない戦後の混乱と高度成長期の中、よんどころない事情で家族を持った悌子の行く末は……。

詳細ページ:https://www.kadokawa.co.jp/product/322110000639/
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