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試し読み

【新刊試し読み④】人々の繋がる思いに涙する魂の物語『営繕かるかや怪異譚 その弐』

来る7月31日(水)「営繕かるかや怪異譚」シリーズ最新作が発売されます。
カドブンでは、第1話「芙蓉忌ふようき」の試し読みを、発売前に特別公開いたします!
第1回から読む

>>第3回へ

 弟の様子が変わったのは、台風で物干しが撤去されて以後のことだった。もともと弟は貴樹とは違い、明朗で快活な少年だったが、学校で何かあったのか、秋口には登校を嫌がるようになった。表情も暗くなり、口数も減った。貴樹は柄にもなく理由を問うてみたりもしたが、弟は頑として自身について語ることを拒んだ。やがては家に引き籠もりがちになり、ついには自分の部屋に籠もって出てこなくなった。たまに部屋を訪ねても、露骨に嫌がる。しかも部屋の様子も奇妙だった。最初は窓際に置いてあった机を、わざわざ壁際中央寄りの最も邪魔になる場所に移した。そのせいで適当な置き場を失くしたベッドは、部屋に入ってすぐの場所に移され、すると机とベッドの間には椅子を置く隙間もなく、弟はベッドに坐って机に向かっていた。壁に沿っては現在そうなっているように低い本棚を置いてあったのだが、当時はベッドと机のせいでほとんど用を為していなかった。そのくせ、窓際には通路ほどの空間が意味もなく空いている。その混乱は、弟の精神的な混迷を示しているように思われた。ふすまを開けてすぐの場所に据えられたベッドは、明らかな障壁だった。ベッドを踏み越えなければ部屋に入ることができない。弟はそこに障壁を置くことで家族を拒絶しているように思えた。襖の隙間から窺うたび、ベッドに坐って机に向かっている弟の背中が見えた。その隙間も、冬場「寒い」という一言で、鴨居から毛布が吊られて塞がれてしまった。障壁は二重になった。襖を開け、毛布をめくってベッドを踏み越えなければ弟の領域に入ることができない。
 貴樹は「そんな時期もある」と、あっさりそんな弟を受け入れたが、両親は困惑し、怒った。部屋から引き出そうとする親と、頑としてそれを拒もうとする弟と――その攻防が続く中、貴樹は実家を離れた。うんざりしていた、というのが実際のところだった。そしてやがて、両親は諦めた――のだと思う。腫れ物に触るようにして弟に接し、おろおろと離れた場所から見守るばかりになった。為す術もなく見守ることに全てを費やし、彼ら自身の生活は完全に打ち棄てられた。貴樹が進学以来、ほとんど帰省しなかったのは、そんな弟や両親の姿を見たくなかった――そのせいもあったのだと思う。
 なぜそこまで家族を拒み、自分の殻に閉じ籠もるようになったのか――よほどのことが学校であったのか。漠然とそう思っていたが、実は少し違う理由があったのではないかと、いまになって思う。きっかけはともかく、長い間、弟が部屋に籠もっていたのには、もっと別の理由があったのではないか。
 ベッドに坐って机に向かい、ほんの少し身体を捻れば、ちょうど目線の高さに隙間がある――そういう位置関係だったような気がする。
 いまとなっては、確かなこととは言えないものの。弟が使っていたベッドも机も、貴樹が家を離れていた間に処分されていた。弟はベッドの上で事切れていた。いつもの場所にいつものように坐ったまま、自らの首を搔き斬ったのだ。両親は引き籠もりだった弟の死を、血痕の残った机やベッドとともに捨て去り、そして静かに燃え尽きるようにして、相次いで逝ってしまった。
 ひょっとしたら、弟は隙間から女を見ていたのではないか。弟が死んだのは六年前、女はその頃いくつだったろう。
 確かめたくて、貴樹は鏡をよけて再び隙間に顔を寄せた。
 狭まった視界に、女の後ろ姿が見えた。洗ったばかりなのか、濡れた髪を背中で束ね、俯いたまま三味線を爪弾いている。紅い着物は襦袢だろうか。胸高に締めた白いしごきがほっそりとした胴を際立たせていた。
 後ろ姿では年齢は分からない。けれども、そんなに年嵩としかさではないような気がした。ときどき見える頰の線は、若いようにも思えるが、だとしたら弟が生きていた頃には、まだ少女だったのではないだろうか。
 ――どういう女性なのか、会ってみたい。
 貴樹は唐突にそう思った。

>>第5回へつづく
>>『営繕かるかや怪異譚』特設サイト

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