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試し読み

【新刊試し読み③】人々の繋がる思いに涙する魂の物語『営繕かるかや怪異譚 その弐』

来る7月31日(水)「営繕かるかや怪異譚」シリーズ最新作が発売されます。
カドブンでは、第1話「芙蓉忌ふようき」の試し読みを、発売前に特別公開いたします!
第1回から読む

>>第2回へ

 貴樹には邦楽の素養がない。ゆえに、その音色が三味線のものらしいとは分かっても、曲名までは分からなかった。途切れ途切れに爪弾く腕の巧拙も分からない。ただ、その何かに取り残されたような曲調が、自分の気分に良く合っていた。音は左隣から聞こえてくるようだった。
 ――どの家なのだろう。
 かつて花街だったこの町では、家は複雑に入り組んでいた。貴樹の家は表通りから真っ直ぐに建物が裏庭まで延びる、いわゆる鰻の寝床だったが、壁一つ隔てた向こうが、どの家にあたるのかは分からない。順当に考えれば左隣の家になるはずだが、隣の家は建物の奥行きが貴樹の家ほどにはなかったはずだ。貴樹がまだ実家にいる頃は、老夫婦が蕎麦屋をやっていた。一階が店舗で二階が住居の小さな家で、店に何度か行ったから、建物の奥行きが貴樹の家の半分ほどしかないことは知っていた。
 さらにその隣の家の奥が、かぎの手に続いているのか。あるいは裏の家の続きなのか。よく考えてみると、申し訳程度の裏庭に面する建物がどこの家のなのかさえ、貴樹はよく分かっていない。
 二階の窓から見降ろすと、庭の右は貴樹の家と同じように増築した棟が建っているようだった。正面から左にかけては、ずいぶんと立派な土塀が築いてあった。貴樹の家の塀ではない。そのしつらえや、塀の向こうにこんもりと繁り、きちんと手入れされた庭木などから察するに、右の二軒先にある古い料亭のものではないだろうか。大きな料亭だという評判のわりに、通りに面する間口はさほどの規模ではなかった。実は貴樹の家と右隣の家、二軒を囲い込むように大きく続いているのかもしれない。
 ――なにより、そう考えたほうが三味線の音もそれらしい。
 澄んだ儚い音だった。三味線といえば、つい津軽三味線のような威風ある音を思い浮かべてしまうが、どうやらそれとは違うように思われた。同種の弦楽器に大小があるように、三味線にも大小があるのだろうか。あるとするなら、そのうちの小さいほうだ、という気がした。
 稽古なのか、それともれ弾きなのか。途切れ途切れの音は、押しつけがましいところがなく、耳に快かった。
 これが馴染みのある曲なら――と、貴樹は一人、苦笑した――なかなか出てこない次のフレーズに苛立ったのだろうが。聞き覚えのない曲、耳に馴染みのない曲調だからこそ、控え目に感じられるのかもしれない。
 どういった人物が弾いているのか――気になって窓から身を乗り出し、隣の様子を覗き込んでみたが、隣の建物のほうが引っ込んでいるらしく、二階に載った瓦屋根の軒の一部が確認できただけだった。
 この壁の向こうなのだが、と古びた土壁を見渡し、貴樹は何気なく弟の残した鏡をずらした。隣に面する壁の中央には、腰高の書棚が据えてあった。その上に立てかけてあった縦長の鏡をずらしてみると、柱と壁の間に深い隙間があった。こんなに透いてて大丈夫なのか、と顔を寄せ、そして、その向こうに人影を見た。狭く翳った部屋の中に、三味線を抱えてすわる女の後ろ姿があった。
 驚き――そして後ろめたいものを感じて、慌てて身を離した。
 ひょっとしてこの壁は、隣と共通しているのだろうか。それともよほど建物の間隔が狭いのか。その狭い間隙かんげきに向けて、窓が開いているのだろうか。
 鏡を戻しながらふと気づいた。隙間はちょうど、顔を寄せたあたりだけ不自然に広がっている。ひょっとして、弟が故意に広げたのではないだろうか。
 そう考えると、腑に落ちることがあった。

>>第4回へつづく
>>『営繕かるかや怪異譚』特設サイト

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11月10日 配信

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