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試し読み

【新刊試し読み②】人々の繋がる思いに涙する魂の物語『営繕かるかや怪異譚 その弐』

来る7月31日(水)「営繕かるかや怪異譚」シリーズ最新作が発売されます。
カドブンでは、第1話「芙蓉忌ふようき」の試し読みを、発売前に特別公開いたします!


>>第1回へ

 一家がこの家に越してきたのは、貴樹が高校一年になる春、弟が中学三年になる年の三月のことだった。
 それまでに住んでいたのは、徒歩で十五分ほどの場所にあるアパートで、父母はこの家を知人から購入した。築年数がどれくらいになるのかは貴樹も知らない。両親が手に入れて越してきた当初から、古く、狭く、暗く、傷んでいた。両親が何を思ってこの家を購入したのかも貴樹は聞いていなかった。特に古い建物が好きだとか、そういう話ではなかったと思う。第一、好ましいと思えるほど風情のある建物でもなかった。単に古いだけの建物に、場当たり的な修理を施し、実用に堪えるようにしてある。格安で譲ってもらえることになったとか、そういう事情だったのだろうと思う。いずれ建て替えるなりリフォームするなりしようという意志があったのかもしれないが、実際にそういう話を両親の口から聞いたことはなかった。貴樹はそんなことに興味を抱く歳でもなかったし、どちらかと言えば、古びたこの家があまり好きではなかった。高校生の貴樹には、家はあまりに古すぎ、あまりに傷んでいるように思われた。せっかく家を購入するのに、なにもこんな襤褸ぼろ屋でなくても、と落胆したのを覚えている。
 家を離れていた十年の間に、傷みはさらに深まったようだった。掃除をすれば埃だけは拭えるものの、家の中に淀んだ薄暮は拭いようがなかった。建物は間口が狭く奥行きが長い。左右を隣家に接し、窓は表と裏にしかなかった。その窓も、表側は深い軒と太い格子、磨りガラスのせいで採光が悪い。裏側には縁側と申し訳程度の庭があったが、そもそも水廻りを増築してあるためにいびつに狭く、一方には隣家が、二方には高い土塀が迫っているので、光庭としても風の通り道としても用を為していなかった。そのせいだろう、表裏双方の窓を開け放っても、家の中には常にうっすらと腐臭めいた匂いが漂っている。
 暗い一階には、両親の生活の痕跡が雑然としたまま残っていた。そこには小綺麗に居心地よく住もうという意志は欠片も見えず、ただ食べて寝て時をやり過ごせればいい――という厭世が、古屋の匂いと同じように澱んでいる。
 貴樹が荷物を運んだ二階にも、同じ空気が籠もっていた。二階には三部屋があったが、真ん中の部屋は窓もなく、階段に面していたので、通路兼物置としての役しか果たしていなかった。表と裏と、二間あるうち、表の一間は貴樹が自室にしていた。裏の一間は裏庭に面していて、窓を開ければ当たり前に景色が見えた。大した眺望ではなかったが、面格子で閉ざされた表の部屋よりは数段ましだ。――越してきた当初、そう恩に着せて弟に譲ったのだが、実はその庭が見降ろせる窓には、申し訳程度の物干しが付いていた。母親が洗濯物を干す際、部屋を出入りすることになるのを見越したうえで貴樹は表の部屋を選んだのだった。おかげで弟の恨みを買ったが、しかしその物干しは老朽化が激しく、そもそも危険だったうえ、越してきた年の夏、台風で壊れて撤去されてしまったのだった。
 物干しがなくなったせいで、腰高の窓を開けると、ここだけは光が射し込み、風が通る。帰郷に伴って運んだ大量の本はここに収めることにして、書棚を整理していたときだ。貴樹は微かな三味線の音を聞いた。

>>第3回
>>『営繕かるかや怪異譚』特設サイト

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