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試し読み

【新刊試し読み⑤】人々の繋がる思いに涙する魂の物語『営繕かるかや怪異譚 その弐』

本日7月31日(水)「営繕かるかや怪異譚」シリーズ最新作が発売されました。
これを記念しカドブンでは、第1話「芙蓉忌ふようき」の試し読みを特別公開いたします!
第1回から読む

>>第4回へ

 何が理由かは知らないが、この部屋の中に自らを閉じ込めてしまった弟が、ひょっとしたらずっと見守っていたかもしれない娘。娘は知らないことだろうが、彼女は弟の孤独にずっと寄り添っていたのだ。
 振り返れば、さほどに仲の良い兄弟ではなかった。だからこそいっそう、彼女に会ってみたかった。だがまさか、覗いていたと言うわけにもいくまい。どうしたものかと思案しながら、いつの間にか女の様子を見ているのが日課になった。
 女は常に部屋にいた。どうやら隙間から見えるその部屋が居間で、表側の隣に寝間があるようだった。小さな部屋には低い簞笥と鏡台と、そして文机が一つ。女は机に向かって鉛筆で書きものをし、手紙を読んだ。そして文机に突っ伏して――あるいは両手に顔を埋め、袂を顔に当てて忍び泣いた。その様子が痛ましく、貴樹は目を逸らせなかった。あるときは三味線を爪弾いている。別のときには針箱を手許に置いて、襦袢に襟を縫い付けていた。そんなとき、女はひどく幼く見えた。たぶん、あまり得意ではないのだろう。一心に手先に集中し、無防備になった肩や背中の線が、どこか子供じみていた。
 せめて名前が分かれば、料亭を客として訪ねて呼んでもらうこともできるのではないか。――思いはしたが、実際にどうやって芸妓を呼べばいいのかは分からず、第一、名前を知る方法もなかった。彼女の部屋に誰かが訪ねて来ることはなく、誰かが呼びに来る、ということさえなかった。ひょっとしたら、彼女もまた弟と同じように引き籠もっているのだろうか。だとしたら、料亭の娘か近親者だったりしないか。
 あの料亭にどんな人間が住んでいるのか――思い返してみても、具体的な顔も名前も思い浮かばなかった。同じ町内にはいたものの、貴樹がここで暮らしていたのは、わずかに三年のことでしかない。同じ年頃の子供がいればともかく、近隣の住人とほとんど交流はないままだった。両親もまた、ほとんど付き合いはなかったと思う。そもそも二人はこの町の人間ではなかったうえ、越してきてすぐに弟の件があって、それにかかりきりになり、隣近所との付き合いなども後廻しで、結局、古い町の地縁に繫がることができないまま逝ってしまった。
 思い巡らせていると、文机の前に坐ってぼんやりしていた女が立った。ふらりとした足取りで表側――隣室のほうへと消えていく。貴樹は小さく息を吐き、そして自身も立ち上がった。窓を開けようと窓辺に寄って、間近に男の姿を見た。
 一瞬驚いたが、よくよく見れば、男は細い丸太を三角に組んだ足場――脚立きゃたつ?――の上に昇っている。土塀の向こうにどっしりと枝を伸ばす松の木に取り付いているのだった。手にははさみを持ち、腰にのこぎりを差したベルトを着けていたから植木屋なのだろう。体格の良い若い男で、それが手を止めてじっと隣家のほうを見ている。
 ――隣。
 二階分の高さにある足場から男が見ているのは、明らかに女のいるあの部屋だった。硬い真剣な表情でまじまじと見つめていた。どこか険しくさえ思えるその表情から、強い感情が偲ばれた。――暗く、そして否定的な。
 もしかして、男も彼女を見ているのか。決して好奇心に駆られたようでもなく、温かく見守っているようでもないその様子に、何やら不穏なものを感じた。
 貴樹は意を決して窓を開けた。建付たてつけの悪い窓の音に気づいたのか、はっとしたように男がこちらを振り返った。次いで、ばつが悪そうに顔を伏せ、慌てた様子で足場を降りていく。――逃げるように。
 貴樹は窓辺に立ったまま、男の消えたほうを見た。土塀の向こうでガサゴソと庭木を搔き分けるような音がしている。
 娘に会いたい、と強く思った。会わなければ――という切迫したような気分がした。

(つづきは本編でお楽しみください)

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